第4話 黄昏時のオタク語りと、震える背中
太陽が沈みかけ、空が紫とオレンジのグラデーションに染まる「逢魔が時」。
俺と陽奈は、問題の園芸用倉庫の影に身を潜め、張り込みを続けていた。
周囲には誰もいない。風が木々を揺らす「ザワザワ……」という音だけが響く。
出現予測時間の18時まで、あと15分。
「……なぁ、天道」
俺は隣に座り込んでいる陽奈の、足元にある異様な装備に目を留めた。
「さっきから気になってたんだが、そのデカい袋と、長い棒はなんだ?」
「え? これ?」
陽奈はビクッとして、愛おしそうにそのアイテムを抱きしめた。
彼女の手には、スーパーの袋に入った白い粉の塊と、竹ぼうきが握りしめられている。
「『お徳用盛り塩セット(1キログラム)』と『お祓い用のほうき』だよ!」
「……1キロ? 相撲取りでも呼ぶ気か?」
「備えあれば憂いなしだよ! 悪霊が出てきたら、この塩で目潰しして、ほうきで物理的に成仏させるの!」
「幽霊に物理攻撃は通らないって理科で習わなかったか? ……もしかして天道、ビビってるのか?」
俺が指摘すると、陽奈はバッと顔を上げた。
その表情は強張っているし、ほうきを握る手が小刻みに震えている。
「は、はぁ!? ち、ちち、違うし! 武者震いだし! 興奮して手が震えてるだけだし!」
「声、裏返ってるぞ」
「う、うるさいなあ! ……だ、だからさ」
陽奈の声のトーンが、急にしゅんと下がった。
彼女は恐怖を紛らわせるように、俺の方へジリジリと距離を詰めてきた。
「……気を紛らわせたいの。なんか話そうよ」
「張り込みとは忍耐だ。静かにしてろ」
「ねー、さっきのゲームの話、聞かせてよ」
陽奈が縋るような目で俺を見た。どうやら、なんでもいいから喋って沈黙を埋めたいらしい。
「……どの話だ」
「その、『ぐんし』ってやつ。どんなゲームなの?」
俺は少し躊躇った。
一般人にオタク趣味の話をしても、引かれるだけだ。それが俺の経験則だ。
だが、陽奈の瞳は純粋な好奇心(と恐怖からの逃避願望)で輝いている。
「……『ロゴス・リベリオン』だ。基本はオートバトルだが、スキルの発動タイミングと編成のシナジーが重要なんだ」
「シナジー?」
「相乗効果だ。例えば、このキャラは単体だと弱いが、味方がピンチになると攻撃力が5倍になる『背水の陣』というスキルを持ってる。そこで、あえてHPを減らす自傷スキル持ちと組ませることで、爆発的なDPS……秒間ダメージを叩き出すことができる」
話し始めると、止まらなかった。
普段、誰とも共有できない熱量が口から溢れ出る。
乱数調整、ドロップ率、ギルド戦の駆け引き。
俺が早口でまくし立てる間、陽奈はずっと俺の顔を見ていた。
「……というわけだ。まあ、お前には退屈な話だったか」
ハッとして口を閉ざす。喋りすぎた。キモがられたか?
恐る恐る陽奈を見ると、彼女はポカンと口を開け、それからフニャッと笑った。
「ううん! なんか呪文みたいで全然わかんなかったけど、軍師くんが楽しそうなのはわかった!」
「……は?」
「軍師くん、そのゲームのこと大好きなんだね。好きなことを話してる時の顔、なんかカッコよかったよ?」
ドクン。
また、心臓が変な音を立てた。
カッコいい? 俺のオタク語りが?
こいつ、やっぱりバカなのか、それとも天然のタラシなのか。
「……お世辞はいい」
「本音だってば! ……あ」
その時。
ザァァァッ!!
突然、突風が雑木林を駆け抜け、木々が悲鳴のような音を立てて揺れた。
気温がスッと下がり、肌にまとわりつくような湿った空気が流れ込む。
(……くるぞ)
俺がスマホのライトを構えようと立ち上がった、その刹那。
ドンッ!
背中に柔らかな衝撃が走った。
振り返る暇もなかった。陽奈が俺の背後に回り込み、ガシッと俺の腰に腕を回してしがみついてきたのだ。
「……おい、なにやってる」
「か、壁! 軍師くん、肉壁になって!」
「俺は後衛職だぞ! お前が前衛だろ!」
「む、無理無理無理! 足が竦んで動かないの!」
背中越しに伝わる陽奈の震えは、本物だった。
だが、それ以上に深刻なのは、彼女が密着しすぎていることだ。
怯えた彼女が背中に顔をグリグリと押し付けてくるたびに、背中に当たる「柔らかな感触」と「高い体温」が、俺の理性をゴリゴリと削っていく。
甘いシャンプーの香りが、恐怖で乱れた彼女の呼吸に乗って漂ってくる。
心臓の音が背中から伝わってしまいそうだ。
「くっ、離れろ! 動きにくい!」
「やだ! 絶対離れない! ……あ、そうだ!」
陽奈は俺の腰に腕を回したまま、震える手で持っていた「お徳用盛り塩(1キロ)」を俺の目の前に突き出した。
「ぐ、軍師くん! これ装備して!」
「は?」
「私の代わりに、これで悪霊を殴って!」
「塩は殴るもんじゃない! 撒くもんだ!」
「いいから持ってよぉぉ! 手が震えて落としそうなのぉ!」
陽奈が半泣きで、ずっしりと重い塩の袋を俺に押し付けようとしてくる。
俺たちの緊張感はピークに達していた。
いや、正確には俺の心拍数が限界突破していた。
背中の感触と、闇への恐怖。二つの異なる種類のドキドキが混ざり合って、脳内物質が暴走している。
(落ち着け、俺。これは恐怖による吊り橋効果だ。ラブコメイベントじゃない。ホラーイベントだ)
必死に自分に言い聞かせるが、耳元で聞こえる陽奈の荒い息遣いに、俺の思考回路はショート寸前だった。
――ヒュゥゥゥ……
俺たちの間抜けな争いを切り裂くように、倉庫の裏から、空気が漏れるような、あるいは女の人が泣いているような音が響き渡った。




