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第32話 暗闇の指定席と、ポップコーンの距離感

 シアター内に入ると、すでに照明は薄暗く落とされていた。

 スクリーンでは、地元の工務店や学習塾のCMが流れている。


「えっと、席は……Fの12と13……」


 陽奈がチケットを覗き込みながら、暗がりの通路を進む。

 俺たちは中央ブロックの、少し後ろ寄りの席を確保していた。一番見やすい特等席だ。


「あ、ここだ!」


 陽奈が席を見つけて座り込む。俺もその隣に腰を下ろした。

 映画館の椅子特有の、ふわりと沈み込む感覚。

 右側には知らない人。左側には陽奈。

 カップルシートではないが、アームレスト一つを隔てた距離は、思った以上に近かった。


「……ふぅ。涼しいね」


 陽奈が小声で囁く。

 暗闇のせいか、普段よりも声が耳元で響く気がする。

 スクリーンからの淡い光が、彼女の横顔を青白く照らしていた。


「……そうだな」


 俺は短く答え、手元の巨大なバケツに視線を落とした。

 Lサイズ・塩とキャラメルのハーフ&ハーフのポップコーン。

 売店で「Sサイズ二つより、L一つの方がお得だよ!」という陽奈の経済的な提案により、シェアすることになったのだ。

 俺はそれを二人の間のドリンクホルダーにセットした。


「いただきまーす」


 陽奈が早速手を伸ばす。

 サクサク、と小気味よい音がする。


「……軍師くんも食べなよ。キャラメル味、美味しいよ」

「ああ、もらう」


 俺も手を伸ばした。

 その時だ。


 コツン。

 バケツの中で、俺の指先と、陽奈の指先がぶつかった。


「あ……」

「わ、悪い」


 俺は反射的に手を引っ込めた。

 静電気でも起きたかのような、ピリッとした感覚が指先に残る。

 暗闇の中で手が触れるというだけの事象が、なぜこうも破壊力を持つのか。


「ふふっ、ごめんね。タイミング被っちゃった」


 陽奈は気にしていない様子で笑い、再びポップコーンを口に運ぶ。

 だが、俺の動揺は収まらない。

 これ、食べるたびにこの「事故」のリスクがあるのか?


 これは高度な心理戦(マインドゲーム)だ。相手が手を引いたタイミングを見計らい、最短距離でポップコーンを確保し、離脱する。

 俺はポップコーン一つ食うのに、(リアル)(タイム)(ストラテジー)並みの集中力を発揮し始めた。


 しばらくして、館内の照明が完全に落ちた。

 真っ暗闇。

 予告編が始まる。大音量のBGMが腹に響く。


「わ、始まったね!」


 陽奈が身を乗り出す。

 その拍子に、彼女の肩が俺の腕に触れた。


「……ッ」


 柔らかい感触。

 すぐに離れたが、その熱だけが二の腕に残った。

 意識するな。ただの物理接触(コリジョン)だ。

 俺は必死に自分に言い聞かせるが、視界の端に映る陽奈の存在感が強すぎて、スクリーンに集中できない。


 最初に流れたのは、夏公開予定のホラー映画だった。

 不気味なピアノ音。廃墟の映像。そして――。


 『……後ろに、いるよ』

 ギャァァァァッ!!

 大音量の悲鳴と共に、画面いっぱいに幽霊の顔が映し出された。


「ひぇっ!?」


 隣で、陽奈がビクゥッ! と大きく身体を震わせた。

 反射的に両手で目を覆う。しかし、指の隙間から恐る恐るスクリーンを覗いているのが見えた。


「……ぐ、軍師くん……」

「……なんだ」

「ま、まだ? あのお化け、まだいる?」


 震える声で囁いてくる。

 普段は「私が守る!」と豪語する勇者のくせに、オバケ相手にはレベル1の村人以下になる。

 俺の袖を少しだけ摘んでいる指先が愛おしい。


「……もう終わった。次は恋愛モノだ」

「ほ、ほんと? ふぅー……怖かったぁ」


 陽奈が安堵の息を吐き、姿勢を戻す。


 次に始まったのは、人気アイドル主演のキラキラした青春恋愛映画だった。

 夕暮れの教室。見つめ合う男女。


 『ずっと、好きでした――』


 画面の中で、二人の顔が近づいていく。キスシーンだ。


 ……気まずい。

 男女二人で見に来て、この予告編は気まずすぎる。


 俺が身じろぎすると、隣の陽奈も食べる手を止めていた。

 チラリと見ると、彼女はストローを咥えたまま、じっとスクリーンを見つめている。

 その瞳に、キス寸前の二人が映り込んでいる。


(……何を見入ってるんだよ)


 ふと、陽奈が視線に気づいたのか、こちらを向いた。


 目が合う。


 暗がりの中で、彼女がパッと慌てて顔を逸らし、誤魔化すようにジュースを飲み込んだのが分かった。

 その仕草が、「意識してます」と言っているようで、俺の心拍数を跳ね上げる。


 最後に流れたのは、動物たちが歌って踊るコメディ・アニメの予告だった。

 コミカルな動きでキャラクターがドジを踏む。


「んふっ……!」


 陽奈が吹き出した。

 でも、映画館だから声を出してはいけないと我慢しているのだろう。

 口元を手で押さえ、肩をプルプルと小刻みに震わせている。

 「くふふ」と漏れる忍び笑いが、アームレスト越しに伝わってくる。


「……っ、ふふ、あのアライグマ、動きが……」


 涙目になりながら俺に同意を求めてくる。

 さっきまで怯えたり、照れたりしていたのに、今は無邪気な子供のようだ。

 その反応がいちいち可愛い。


 普段の「暴走ポニーテール」とは違う、静かな空間での無防備な姿。

 甘いキャラメルの匂いと、彼女のシャンプーの匂いが混ざり合って、俺の思考回路を侵食していく。


(……ダメだ。映画の内容が頭に入ってくる気がしない)


 俺はドリンクのコーラを一口飲み、乾いた喉を潤した。


 映画本編の上映開始を告げるブザーが鳴る。

 『爆筋都市5』。アクション超大作だ。爆発音と銃撃戦で、この煩悩を吹き飛ばしてくれ。

 俺は祈るような気持ちで、スクリーンを見つめた。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

もし作品がよかったら、ページ下の★をいいねをつけていただけると嬉しいですm(_ _)m

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