第29話 暗黒物質(ダークマター)と、絆創膏の隠し味
パカッ。
軽快な音と共に、お弁当箱の蓋が開けられた。
その瞬間、俺の視界は「混沌」に塗り潰された。
「……天道」
「ん? どう? 彩りも考えたんだよ!」
彩り。彼女の色彩感覚はどうなっているんだ。
そこに広がっていたのは、食欲を減退させる毒々しい配色のダンジョンだった。
まず、メインディッシュと思われる唐揚げ。
これは「揚げ物」ではない。「炭化物」だ。漆黒のオーラを纏っており、箸で突けばカキンと乾いた音がしそうだ。
次に、おにぎり。
握りすぎたのか、米粒が融合して一つの巨大な粘土塊と化している。海苔は申し訳程度にへばりついているだけだ。
そして極めつけは、卵焼きだ。
なぜか、紫色をしている。
毒沼だ。絶対に触れてはいけないダメージ床の色だ。
「……なぁ。この卵焼き、なんでこんな魔界の色をしてるんだ?」
「えっとね、栄養バランスを考えて紫キャベツを入れてみたの! そしたら化学反応(?)で変色しちゃって……あはは!」
「料理は科学実験じゃねぇんだぞ」
笑い事ではない。俺の生存本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしている。
俺はそっと箸を置こうとした。
悪いが、俺の胃袋はこのレベルの攻撃魔法には耐えられない。
「……軍師くん? 食べないの?」
陽奈が不思議そうに首を傾げ、俺の顔を覗き込んでくる。
その時。
俺の視線が、彼女の手元に釘付けになった。
「……おい。その手、どうした」
膝の上に置かれた彼女の指先。
そこには、痛々しいほど大量の絆創膏が巻かれていた。
親指にも、人差し指にも。手首には油が跳ねたような赤い火傷の痕もある。
「あ……」
陽奈は慌てて手を背中に隠した。
「な、なんでもないよ! ちょっと……包丁とケンカしちゃっただけ!」
「ケンカってレベルじゃねぇだろ。戦争でもしたのか」
「だって……卵焼きも5回くらい焦がしちゃって……唐揚げも、中まで火を通そうとしたら黒くなっちゃって……」
彼女は俯き、隠した手をもじもじとさせている。
「一生懸命、練習したんだけどな……やっぱり、変だよね……?」
消え入りそうな声。
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが切り替わった。
彼女は早起きして、指を傷だらけにして、俺のためにこれを作ったのだ。
料理スキルE(壊滅級)の脳筋勇者が、慣れない台所で悪戦苦闘する姿が脳裏に浮かぶ。
それを「不味そうだから食わない」?
ふざけるな。そんな選択肢、俺の人生には存在しない。
「……変じゃない」
俺は覚悟を決めて、箸を握り直した。
狙うは、最難関ダンジョン――紫色の卵焼き。
「い、いただきます」
「あ、待って! 心の準備が……!」
俺は陽奈の制止を聞かず、魔界の卵を口に放り込んだ。
ガリッ。
鈍い音が頭蓋骨に響く。
卵の殻だ。カルシウム満点だな、チクショウ。
味は――しょっぱい。致死量の塩分を感じる。
だが、その奥に、砂糖と間違えて入れたと思われる謎な物資の甘みと、キャベツの青臭さが混ざり合い、未体験のハーモニーを奏でている。
不味い。客観的に言えば、間違いなく不味い。
だが。
「……ど、どう……?」
陽奈が不安げに、上目遣いで俺の反応を待っている。
俺は必死に咀嚼し、飲み込んだ。
喉が焼け付くようだが、不思議と不快ではなかった。
「……食えるな」
「え?」
「殻が入ってるし、味付けはカオスだが……毒じゃない。HPは回復しそうだ」
俺がぶっきらぼうに告げると、陽奈がパチクリと瞬きをした。
そして次の瞬間、パァッと花が咲いたような、今日一番の笑顔を見せた。
「ほんと!? やったぁ! 毒じゃなかった!」
「ハードルが低すぎるだろ。……次は漆黒の唐揚げを攻略する」
「うん! あ、そっちは苦いかも!」
俺たちは並んで、不格好な弁当を食べ進めた。
唐揚げは炭の味がした。おにぎりは密度が高すぎて餅みたいだった。
それでも、俺は完食した。
隠し味の「絆創膏」が、どんな高級調味料よりも俺の胸に響いたからだ。
「……ごちそうさん」
俺が空になった弁当箱を置くと、陽奈は「お粗末さまでした!」と嬉しそうに手を合わせた。
そして、ふと俺の顔を覗き込んできた。
「ん? どうした」
「軍師くん、じっとして」
「は?」
陽奈がスッと身を乗り出してくる。
近い。
長いまつ毛が見える距離まで顔が近づき、甘い香りがふわりと包み込む。
俺が固まっていると、彼女の指先が、俺の口元に触れた。
「ん。……ついてるよ、海苔」
柔らかい指の腹が、俺の唇の端を優しく撫でた。
触れられた場所から、熱が一気に全身へ伝播する。
「あ……」
「ふふっ、子供みたい」
陽奈は取った海苔片をティッシュで拭うと、悪戯っぽく微笑んだ。
無防備で、無邪気で。
それでいて、ドキリとするほど大人びた視線。
木漏れ日が彼女の髪を透かし、その笑顔をキラキラと輝かせている。
ドクン、と心臓が跳ねた。
これは反則だ。
こんな顔を至近距離で見せられて、平気でいられる男子高校生がいるわけがない。
「……ありがとな」
俺は視線を逸らし、照れ隠しにぶっきらぼうに言った。
「へへ、どういたしまして!」
陽奈は本当に嬉しそうに笑い、空の弁当箱を愛おしそうに撫でた。
その笑顔を見れただけで――胃薬代の元は、十分に取れた気がする。
俺はこっそりとポケットの中で整腸剤のシートを破りながら、静かに覚悟を決めた。
――この先、どんな無理ゲーが来ても、こいつとなら乗り越えられるかもしれない。
ただし、料理修行だけは早急にクエストリストに追加しよう。そう固く心に誓った。




