第27話 清楚なワンピースと、クレープの甘い罠
シャッ……。
試着室のカーテンが、ゆっくりと左右に開かれた。
「……あのさ。軍師くん」
消え入りそうな声と共に、彼女が姿を現す。
その瞬間、ショッピングモールの喧騒が、俺の耳から完全に消え失せた。
「……これ、変……かな?」
そこに立っていたのは、俺の知っている「天道陽奈」ではなかった。
トレードマークのポニーテールが、ない。
ゴムを解き、艶やかな黒髪を肩まで下ろしている。
それだけで、彼女の印象は劇的に変わっていた。
身にまとっているのは、純白のノースリーブワンピース。
フリルや過度な装飾はない、シンプルなAラインのデザイン。
だが、それが彼女の健康的なスタイルの良さと、飾り気のない素朴な可愛さを、暴力的なまでに引き立てていた。
清楚。可憐。深窓の令嬢。
普段の「暴走勇者」というクラスから、「聖女」へとクラスチェンジしたかのような変貌ぶりだ。
「……っ」
俺は息を呑んだまま、言葉を失った。
直視できない。
髪を下ろした彼女が、恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いでこちらを覗き込んでいる。
艶やかな黒髪が、さらりと素肌の肩に流れ落ちている。
袖がないことで露わになった丸みを帯びた肩や鎖骨は、日焼けした健康的な首筋とは対照的に、驚くほど白くて滑らかだ。
いつもは自信満々に輝いている大きな瞳が、今はとろんと潤んで、俺の反応を恐る恐る窺っていた。
無防備で、無垢で。
それは、卑怯なほどに愛らしかった。
「ぐ、軍師くん? ……やっぱり、似合わない?」
反応がないことに不安を感じたのか、陽奈が一歩踏み出してくる。
ふわり、と髪が揺れ、いつもの倍以上の甘い香りが漂う。
「ち、違う!」
俺は慌てて顔を背け、口元を手で覆った。
「……似合わない、わけじゃない。むしろ逆だ」
「え?」
「防御力は控えめだが……精神攻撃の威力がカンストしてる。直視すると目が焼ける」
「もー! またゲームの話! 可愛いか可愛くないかで言ってよ!」
陽奈がむぅ、と唇を尖らせる。
俺は覚悟を決めて、チラリと彼女を見た。
「……可愛い、と思うぞ。悔しいが」
俺が絞り出した本音。
それを聞いた瞬間、陽奈の顔がボンッ! と音を立てて赤く染まった。
「ふぇ……あ、あはは……そ、そう?」
彼女は嬉しそうに、けれど恥ずかしそうに視線を泳がせ、ワンピースの裾をギュッと握りしめた。
その仕草がまた、反則級に可愛い。
試着室の狭い空間に、甘酸っぱい空気が充満していく。耐えられない。これ以上は俺のライフが持たない。
「……で、でも! それ、白だから!」
俺は必死に理性を総動員して、話題を変えた。
「白は汚れが目立つ! カレーうどんもミートソースも食えないぞ! お前の食事スキルを考えろ!」
「あ……たしかに! 私、絶対汚しちゃう!」
陽奈がハッとした顔になる。
この「残念な感じ」が戻ってきて、俺はようやく呼吸ができた。
「今回は見送ろう。最初のオーバーオールにするのが賢明だ」
「うん、そうだね! 軍師くんの言う通りにする!」
陽奈は残念そうに、でもどこかホッとしたようにカーテンを閉めた。
俺はソファに深く沈み込み、額の冷や汗を拭った。
……危なかった。あのまま見つめ合っていたら、何か決定的なバグが発生するところだった。
無事に(?)最初の服を購入し、店を出た俺たちは、広場のベンチで休憩することにした。
「はい、お礼! 軍師くんはイチゴね!」
陽奈が買ってきたクレープを手渡してくる。俺にはイチゴ、自分用にはチョコバナナだ。
並んでベンチに座る。
さっきのワンピース姿の残像がまだ脳裏に焼き付いていて、隣に座る彼女の距離感が妙に意識されてしまう。
「ん~! おいし~! やっぱり買い物あとの糖分は最高だね!」
陽奈はもう髪をポニーテールに戻し、いつもの笑顔でクレープにかぶりついている。
その無防備な横顔を見ていると、ふと気づいた。
「……おい。付いてるぞ」
「ん? なにが?」
「クリーム。口の端だ」
チョコクリームが、彼女の唇の端にちょこんと付いていた。
まるで漫画のようなベタな展開だ。
ラブコメの主人公なら、ここで親指で拭ってやったりするのだろう。
だが、俺はモブだ。そんなキザな真似はできない。
「ここかな?」
俺が指差そうとした瞬間。
陽奈は「ん!」と小さく舌を出し、ペロリとクリームを舐め取ってしまった。
「取れた?」
「……あ、ああ」
小動物のような仕草。
そして、舐め取った後の満足げな笑顔。
……こいつ、無自覚か?
俺の心拍数を上げる天才なのか?
「へへ、ありがとう軍師くん! 今日は楽しかった!」
陽奈はクレープの包み紙を丸めながら、ニカッと笑った。
「装備も新調できたし、次は私が軍師くんにお礼する番だね!」
「お礼? クレープ奢ってもらっただろ」
「ううん、もっと凄いヤツ! ……手作りお弁当で、パワーつけてあげる!」
ビシッ、と親指を立てる陽奈。
その瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
「……手作り、弁当?」
「うん! GW最終日、ピクニック行こ! 料理は『火力』と『気合い』だもんね! 任せてよ!」
彼女の自信満々な笑顔。
だが、俺の「危機察知スキル」が警鐘を鳴らした。
火力と気合い。繊細さの欠片もないワードチョイスだ。
普段の彼女の行動――ドアを破壊し、手加減なしで人を殴るあのステータスで、まともな料理が生成されるとは到底思えない。
「甘い罠」の次に来るのは、「物理的な死」か。
「……お、お手柔らかに頼む」
「楽しみにしててね! 隠し味いっぱい入れとくから!」
陽奈はポニーテールを弾ませ、夕陽の中を駆け出していった。
俺はその眩しい背中を見送りながら、震える手でスマホを取り出し『胃腸薬 即効性 最強』で検索をかけた。
――次回のクエストは、命がけになりそうだ。




