第19話 文化部の聖域と、千手観音の樹木(トレント)
グラウンドでの「ガーゴイル」認定を終えた俺たちは、最後の調査エリアである文化部棟へと向かった。
運動部の喧騒とは対照的に、ここは油絵の具や楽器の音が混じり合う、静謐な空気が流れている。
「しーっ。静かにね。文化系の子は繊細だから」
さっきまで大声を出していた陽奈が、忍び足で廊下を進む。
俺たちは、廊下の突き当たりでキャンバスに向かっていた美術部員の女子生徒に声をかけた。
彼女は俺たち(主に金剛)を見てビクリとしたが、陽奈が持っていた飴玉を差し出すと、少しだけ心を開いてくれた。
「……噂、ですか? ありますよ。この棟の裏手……旧校舎の裏庭です」
彼女は筆を止め、窓の外を指差した。
そこは鬱蒼とした木々が生い茂り、昼間でも薄暗い場所だ。
「あそこにある古い松の木……夜になると、影が形を変えるんです」
「形を?」
「はい。幹から無数の手が伸びて、まるで『千手観音』のような姿になって……」
美術部員は声を震わせた。
「おいでおいでって手招きしてくるんです。目が合うと、そのまま霊界に引きずり込まれるって……」
「ひぃぃっ!!」
その言葉が終わるより早く、陽奈が悲鳴を上げた。
バッ! と俺の背後に回り込み、俺の両肩をガシッと掴んで盾にする。
「せ、千手観音……!? た、祟りだぁ! 神様のバチが当たったんだぁ!」
「い、痛いぞ天道。爪が食い込んでる」
「だってぇ! 引きずり込まれるんでしょ!? 霊界に連れて行かれたら帰ってこれないよぉ! もう部室に帰ろう軍師くん! あそこは聖域だよ!」
陽奈は限界寸前だった。
ミミック、ガーゴイルと来て、トドメの千手観音。
彼女のメンタルゲージは赤色点滅だ。
陽奈は俺の背中に顔を押し付けながら、必死に訴えてくる。
「き、木がおかしいなんて……あ、あれだよね? 植物のモンスターだよね!? 霊じゃないよね!? ねえ!?」
必死の同意。
「NO」と言えば、彼女はこの場で気絶するかもしれない。
俺は深くため息をつき、本日三度目となる「翻訳」を行った。
「……落ち着け。植物が襲ってくるなら、それは『エルダー・トレント』だ」
「と、とれんと……?」
「ああ。長い年月を生きた樹木の魔物だ。無数の枝を腕のように操って獲物を捕らえる」
「え、枝……?」
陽奈が恐る恐る顔を上げる。
「そ、そうか……あれは手じゃなくて、枝なんだ……?」
「そうだ。あくまで植物だ。火属性に弱いが、まあ、物理的に枝を切り落とせば無力化できるだろう」
俺が淡々と解説すると、陽奈の顔に生気が戻ってきた。
恐怖で潤んでいた瞳が、カッと見開かれる。
「枝だ! あれは手じゃなくて枝だ! なんだ、ただの植物じゃん!」
陽奈は俺の背中から飛び出し、シャドーボクシングを始めた。
「木なら切れる! 枝なら折れる! 伸びすぎた触手なんて、私が剪定して丸坊主にしてやるよ!」
「お、おう……お手柔らかにな」
……まあ、あそこの松は手入れされずに伸び放題だったからな。
風で枝が揺れているだけだろうが、散髪してやれば怪談も消えるだろう。
「よーし! これで三体コンプリートだね!」
陽奈はビシッと指を立て、高らかに宣言した。
「『嘆きのミミック』! 『血涙のガーゴイル』! 『千手のトレント』! この学園を脅かす三大モンスターは、私たちお任せ部が討伐する!」
こうして、ただの「汚れ」「イタズラ書き」「伸びすぎた枝」という学園の三大汚点は、陽奈の脳内で「倒すべき強敵」へと変換された。
恐怖は消え去り、残ったのはやる気と勘違いだけ。
クエストの準備は、これですべて整ったのだった。




