第1話 人生というクソゲーに、暴走ポニーテールがログインしました
人生は、神様がテストプレイを放棄したバグだらけのクソゲーである。
これは俺、笹木慧が十六年の生涯を費やして導き出した、紛れもない真理だ。
初期ステータスは完全ランダム、親ガチャによる環境依存、リセマラ不可能。そのくせシナリオライターの性格は最悪で、難易度調整は崩壊しているとしか思えない。
特に、高校二年生の春という時期は、このゲームの難易度が理不尽に跳ね上がるタイミングだ。
四月のクラス替えから二週間。
教室という閉鎖空間では、既に「グループ」という名の派閥が確定し、厳然たるカースト制度が敷かれている。
「ねーねー! 今週末さ、みんなで流行りのグランピング行かない?」
「うわ、それ最高じゃん! 映え確定!」
「あ、じゃあ俺、親父に頼んで軽井沢の別荘借りるわ。移動も家のクルマ出してもらうし」
「マジで!? じゃあ私、デパ地下でA5ランクのお肉買っていくー!」
教室の中央、まるでスポットライトを浴びているかのような「一軍エリア」から、脳みそがとろけそうな会話が聞こえてくる。
彼らは「陽キャ」という名の種族だ。
コミュ力S、外見A、経済力A。神様という名の運営に愛された、このクソゲーの覇者たち。彼らにとって、この世界はさぞかし神バランスの良ゲーなのだろう。
そんな過酷なオープンワールドの中で、俺のような「運動F、コミュ力E、学力C」というモブキャラ以下のステータスで生成された個体が生き残る方法はただ一つ。
――気配を消し、世界からログアウトすること。これに尽きる。
俺は耳に突っ込んだイヤホンのノイズキャンセリング機能を「最大」に設定した。
ふっ、と世界から「グランピング」だの「A5ランク」だのといった雑音が消え失せる。
俺は誰にも気づかれないように、机の下でこっそりとスマホを操作する。
「……ログイン。……よし、回線安定」
画面に映るのは、国内1000万ダウンロードを誇る超人気ソシャゲ『ロゴス・リベリオン』。
現在開催中のイベントは、推奨レベル90の超高難易度『絶望の魔王城・深層』だ。
画面の中では、禍々しいオーラを纏った巨大な魔将軍が、俺のパーティーに襲いかかろうとしていた。
一撃でも食らえば即死。オート操作のAIなら、三秒で全滅する難所だ。
(……来る)
ボスの足元に、真っ赤な魔法陣が展開される。
範囲攻撃の予兆。発動までは1.5秒。
俺の指先が、目にも止まらぬ速さで画面を走る。
シュバババッ!
0.1秒単位のフリック入力。
前衛のタンクをバックステップで範囲外へ逃がし、同時に魔法使いの詠唱をキャンセルして防御バフを展開。さらにヒーラーの回復スキルを、ダメージ判定が発生する瞬間に重ねる「置きヒール」で待機させる。
ドォォォォン!!
画面が閃光に包まれるが、俺のパーティーのHPバーは1ミリも減っていない。
(ふん、温いな。攻撃パターンの乱数が単調すぎる)
俺の目は、教室の風景ではなく、ドット単位の当たり判定しか見ていない。
現実で友達がいない?
違うな。俺は選んで孤立しているのだ。
三次元の友情ごっこにかけるコストがあるなら、ログインボーナスとラノベの新刊チェックに回したい。
俺はこの5インチの画面の中でなら、最強ギルドを率いる「伝説の軍師」として君臨できているのだから――。
ドダダダダダダダダッ!!!
突然、ノイズキャンセリングの壁を突き破り、地鳴りのような足音が聞こえてきた。
(……なんだ?)
操作の手を止めずに、眉をひそめる。
教室の外、廊下の向こうから何かが猛スピードで接近してくる。
まるで暴走したダンプカーか、群れをなして走るバッファローのような――。
「いっけえええええええッ!! 遅刻ギリギリセーーーフッ!!」
バーーンッ!!
教室の前方の扉が、爆発したかのような勢いで開け放たれた。
飛び込んできたのは、一人の女子生徒――いや、もはや砲弾だった。
「わ、わわっ!? ブレーキ、ブレーキぃぃぃッ!」
キュキュッ! ズザザザザーーーッ!
その進行方向の先には――俺の机があった。
「――は?」
俺が顔を上げた瞬間、視界いっぱいに「黒いポニーテール」と「慌てふためく美少女の顔」が迫っていた。
「どいてどいてぇぇぇぇッ!!」
ドゴォォォォッ!!
「ぶべっ!?」
回避不能。
俺の身体は前のめりに吹き飛び、机ごと窓際の壁に叩きつけられた。
舞い散るプリント、倒れる椅子、そしてクラスメイトの悲鳴。
「ああっ、スマホ!」
衝撃で手からすっぽ抜けた俺の命が、美しい放物線を描いて宙を舞ったのだ。
向かう先は――春風を取り込むために全開にされた、三階の窓の外。
あそこから落ちれば、コンクリートの地面まで約10メートル。
――間違いなく全損だ。
バックアップコードの発行はまだだ! 限定キャラのデータが、費やした膨大な時間が、電子の海に消える……!
「あーっ! ごめんごめん! まかせて!」
俺が絶望に顔を青ざめた瞬間。
俺に激突した張本人が、バネのように跳ね起きた。
タタンッ!
彼女は俺の机を足場にして跳躍し、窓枠に足をかけると、躊躇なく身を乗り出した。
揺れる、艶やかな黒髪のポニーテール。
翻るスカート。
彼女は重力を無視したような体幹バランスで、窓の外へ落ちていく俺のスマホへと手を伸ばす。
パシッ。
ギリギリのところでスマホをキャッチすると、彼女は窓枠を鉄棒のように掴んでクルリと回転し、教室の内側へと着地した。
スタッ。
「セーーーフ! いやー、危ない危ない! 私がいなかったら大惨事だったね!」
ニカッと白い歯を見せて笑うその少女。
少し短めのスカートから伸びる健康的な足には、生傷と絆創膏。
息を切らせ、額には汗が光っている。
クラスの中心人物にして、台風の目。
俺がこの世で最も苦手とする、「話が通じないタイプの陽キャ」。
天道陽奈だった。
「……あの、天道さん?」
「ん? なに?」
「君が突っ込んでこなければ、そもそもスマホは飛んでいかなかったんだが? あと、廊下は走るなと小学校で習わなかったか?」
「細かいことはいいの! ほら、無事だったよ!」
陽奈は悪びれる様子ゼロで、俺のスマホを突き出してきた。
俺はひったくるようにそれを受け取り、画面を確認する。
ヒビ割れなし。動作確認OK。
そして画面には――。
『クエストクリア! 評価:SSS(神業)』
『獲得称号:伝説の軍師』
奇跡的に、宙を舞っている間に俺が入力していた最後のコマンドが判定され、オートスキルでクリアしていたらしい。
俺は深い安堵の息を吐く。心臓に悪すぎる。
「へえ~、君ってゲームやるんだ!」
陽奈が興味津々といった様子で、至近距離から顔を覗き込んできた。
近い。
全力疾走直後の熱気と、甘いシャンプーの香りが混ざった匂いが鼻孔をくすぐる。
やめろ、俺の対人結界を土足で踏み荒らすな。
「……まあ、嗜む程度には」
「でもさっきの指の動き、すごかったよ! シュバババッて! なんかプロっぽかった! ピアノ弾いてるみたいだった!」
「ただの暇つぶしだ。……それより、何の用? 俺、これからイベント周回で忙しいんだけど」
早く立ち去ってほしい一心で塩対応をする俺。
だが、陽奈はなぜか目をキラキラさせ、俺のスマホ画面の『伝説の軍師』という文字と、俺の死んだ魚のような目を交互に見比べた。
「ねえ、その『軍師』ってやつ、すごいの?」
「は? まあ、このゲーム内では、戦況を分析して指揮官みたいな役割をするポジだけど」
「指揮官……つまり、みんなに指示を出して、勝利に導く人?」
「……定義上は、そうなるな」
その瞬間。
陽奈がバシッ! と俺の両手を握りしめた。
熱い。物理的に体温が高い。そして握力が強すぎて痛い。
「見つけた……!」
「は?」
「探してたのよ、軍師! ササキくん、君に決めた!」
「え、何? モンスターゲット的なノリ? 俺にボールぶつける気?」
陽奈は太陽よりも眩しい、しかしどこか狂気を孕んだ満面の笑みで言い放った。
「ササキくん! 今日から私の『軍師』になってよ! 私、この学校の英雄になりたいの!」
「…………はい?」
教室中の視線が俺たちに集中する。
「うわ、天道が朝から暴れてるぞ」 「またかよ」 「今度は笹木に絡んでる……不憫すぎる」
ヒソヒソという声が聞こえる中、俺の脳内には無情なシステムログが流れた。
――俺の平穏な高校生活がログアウトしました。
どうやら俺は、このクソゲーにおいて、とんでもないレイドボスにエンカウントしてしまったらしい。




