雨と愛の悲劇
ポタッ、ポタッ。一滴、二滴、赤い液体が地面に落ちたその瞬間、後を追いかけるように冷たい水滴が肩を濡らした。ドカッドカッと爆発音のような雨が、瞬く間に地面を打ちつける。何百、何千という雨粒が、まるで天が怒りを叩きつけるように水溜まりを広げていく。数分前までカラカラに乾いていた地面は、まるで初めからそこが川であったかのように濁流を生み出していた。
俺は立ち尽くしていた。群衆が慌てて走り出し、傘やカバンを頭に掲げて逃げ惑う流れに逆らうように、ただそこに立っていた。雨は容赦なく俺の身体を叩き、服を重くした。彼女の血が、俺の手から、腕から、滴り落ち、濁流に吸い込まれていく。赤黒い液体は、まるで彼女の命そのものがこの無情な雨に溶けていくかのようだった。
「愛してるから、こうするしかなかったんだ」
俺は呟いた。誰に言うでもなく、ただ自分に言い聞かせるように。目の前の濁流を見つめながら、彼女の最後の眼差しが脳裏に焼き付いていた。あの瞳は、驚きと、裏切りと、そしてどこか諦めのような色を帯びていた。彼女は叫ばなかった。抵抗もしなかった。ただ、俺を見つめていた。その視線が、今も俺の胸を締め付ける。
彼女を初めて見たのは、こんな雨の日だった。あの時も、俺は立ち尽くしていた。駅前の雑踏で、傘を持たずにずぶ濡れになりながら、彼女は笑っていた。透明な笑顔だった。まるで雨なんて気にならない、と言わんばかりに。俺はその笑顔に捕らわれた。彼女の声、彼女の仕草、彼女の全てが俺の心を奪った。彼女は俺のものだった。いや、そう信じていた。
だが、彼女は変わった。いや、変わったのは俺の方かもしれない。彼女の笑顔が他の誰かに向けられるたび、俺の胸は焼けるように熱くなった。彼女が誰かと話すたび、俺の心はざわめいた。彼女は俺のものなのに。俺だけのものなのに。愛しているから、彼女を誰とも共有したくなかった。
ポタッ、ポタッ。雨が俺の頬を滑り落ちる。いや、それは涙かもしれない。彼女の血が混じった濁流が、俺の足元を流れていく。彼女はもういない。俺の手で、彼女をこの世界から消してしまった。愛していたから。愛していたから、彼女を自由にさせたくなかった。彼女が他の誰かのものになるくらいなら、俺の手で終わらせたかった。
「愛してるよ」と、俺はもう一度呟いた。濁流に呑まれた彼女の血に、俺の声は届かない。雨はますます激しくなり、俺の身体を、俺の罪を、洗い流そうとするかのようだった。でも、どれだけ雨が降っても、彼女の瞳は消えない。あの最後の、静かな瞳。彼女は何を思っていたのだろう。俺を許したのだろうか。それとも、俺を呪ったのだろうか。
群衆の喧騒は遠ざかり、雨音だけが俺を包む。俺はまだ立ち尽くしている。動けない。この濁流が俺をどこかへ連れ去ってくれるなら、どんなに楽だろう。だが、俺は知っている。この雨が止んでも、俺の罪は消えない。彼女の血は、俺の心に永遠に染みついている。
ポタッ、ポタッ。雨が落ちる。俺の涙が落ちる。そして、彼女のいない世界が、ただ静かに広がっていく。




