【掌編】都市伝説『赤マント』
「赤いマントはいらんかい?」
昔の軍人の格好をした男は、カーキ色の軍帽の下の鋭い双眸を少女に向けて繰り返した。
人気の無い公園は、枯葉で埋まった地面に夕陽を落とし、闇色の影はその濃度を濃くしていた。
「赤いマントはいらんかい?」
長身の男が纏ったマントは、頭上と同じ鮮やかな赤色に染まっていた。動脈血に浸したようなそれに、向かい合う少女はしばしの間、目を、心を、奪われた。少女の大きな虹彩がキラキラと光ったことに、男は気付かなかった。
彼は言葉を繰り返した。色の無い唇が動くと、少女は男のほつれたコートの裾から視線を移し、彼の顔を凝視した。
「赤いマントは――――……」
「いる」
今度は男が少女を見つめる番だった。
怪訝そうに、少女の澄んだ瞳が瞬くのを見ていた。彼女の血色のいい小さな唇が、罪人に許しを与えるように優しく微笑んだ。少女は男の反応など気にする素振りも無く、ただ確固たる意思を持って、彼のほうに両手を伸ばしていた。
「ちょうだい。それ」
幼さの残る短い指と薄い手のひらが、男の真っ赤なマントを掴もうと伸びた。男は咄嗟に身を引いた。息を呑んで少女の動きに注意を払う姿は、怯えているようにも見えた。
少女は首を傾げながら、そんな様子など気にもかけずに一歩踏み出した。二人の間は子どもの足で二歩ほどしか離れていない。少女は「ちょうだい」と男に上目を向ける。
「噂を知らないのか」
男は動揺を軍帽の下に隠すようにして尋ねた。
「この問いに『いる』と答えると、俺に背中を切られるんだぞ」
男は己のマントの胸元を掴み、少女を威嚇するように睨んだ。しかし少女は何もかもを見越したような柔らかい表情で頷いた。
「知ってる。だからちょうだいって言ってるんだよ」
戸惑った男が巡らせた視線の先に、ブランコを囲む鉄の柵に寄り掛かったランドセルが映った。あちこちに罵倒の書かれた傷がつき、せんべいのように潰れたそれには、少女の悲傷と苦悩が宿っていた。
男は腰に刺していた軍刀を抜いた。鋭利な刃だけが、男を置いてけぼりにして、喜ぶようにぬらりと笑った。
切っ先を少女に向けると、彼女は軽い足取りでまた一歩進んだ。
そして、ワレモノを扱うように軍刀の刃先を摘まむと、それをそっと己の首筋に沿わせた。男の肩がびくりと跳ねる。少女はそれにも関心を向けずに、愛おしそうに刀身を撫で、しかし、はっとして男に顔を向けた。
「あ、噂だと背中を切られるんだっけ。首じゃダメなの?」
少女が首を傾けると、刃先が薄い皮膚に食い込む。
細く伝い落ちた血液が、グレーのパーカーの襟元に染み込んだ。その光景を見た男が軍刀を引っ込めようとすると、少女は両手で刃を包んで抵抗した。
「赤マントさん、優しいんだね」
「お前、狂ってるぞ」
「狂ってないよ。ちゃんとした過程があっての結果だもん。これは正しい結果なんだよ」
「死んでもいいのか」
「いいの、これが正解なの」
赤マントの男は苦虫を噛み潰したような顔をして、刃先に手のひらを当てた。そのままぐいと力を込めて、少女の首を傷つけていた軍刀を外側に押し返す。逃がすように鞘へ収めると、男は軍服の胸ポケットから取り出したハンカチを、少女の首に押しあてた。
少女はされるがままになっていた。
しかし暗い目をして、恨みがましく男をねめつけていた。
男は鼻で大きく息を吐いて「何故」と呟いた。
「子どものくせに、鬱々としている」
血はなかなか止まらなかった。白い清潔そうなハンカチが、男のマントの色に滲んでいく。対して男の手に傷は無い。そういう存在だと思い知らされる。
少女は言葉を詰まらせた。
どうして『子どものくせに、鬱々として』いるのだろう――、その不合理な理由を、こちらが訊きたかった。
男は水面に小石を投げたような、静かな声で呟いた。
「痛いだろう」
少女は首を横に振った。
「痛いはずだ」
男は膝を折り、少女の顔を覗き込む。
「傷つけられたら、誰だって痛い」
その瞬間――――、少女はわっと泣き出した。両手で顔を覆い、くしゃくしゃになった顔を見せないように必死に隠した。男は何も言わずに少女の首にハンカチをあてていた。
ひっきりなしに流れる涙の雫が、血液を吸ったハンカチに染み込んでいく。
空は暗くなっていた。
枯れ木の匂いのする乾いた風が、気味悪く頬を撫でる。
少女の泣き声が止む頃には、暗闇が辺り一面に広がっていた。
男が言う。
「仕返しをしたいなら手伝うぞ」
少女と向かい合う男の真剣な眼差しに射貫かれ、少女は思わず頷きそうになった。しかし拳を握って、苦痛に堪えるように眉根を寄せた。
「いいの。……ちょっとだけ、勇気が出たから」
そうか、と起伏の無い声で男は返した。
「また会える?」
少女に見上げられ、男は顎に手をやり考える素振りをした。彼が逡巡する一寸に、少女は不安に顔を曇らせる。しかし男はすぐに、「ああ」と不敵に笑った。
「次は本当に切るかもしれないがな」
それを聞いた少女が、心から嬉しそうに頷く。
「それでもいいよ」
「そういうことを言っている間は会ってやらない」
「どうして。あなたはそういう噂の人でしょ」
「俺は人を怖がらせるために生まれた伝説だ。身勝手な自傷のために作られたわけじゃない」
男はつまらなそうに腕を組んで、ハアと溜息をついた。
「笑っていろ。腹が立つほど幸せそうに。そうしたらまた怖がらせにきてやる」
少女は目尻から涙の粒を落として笑った。
「絶対だよ。やくそくだよ」
***
男はその赤いマントの外に出した腕を振り、軍刀に纏わりついた血液を地面に払った。シュン、と鋭い音を立てて刀身を鞘の中へしまう。
学生服姿の男女七名が、公園の中央に、山のように折り重なっていた。その周りには咽せ返るような血だまりができている。
額から顎まで一閃され脂肪や筋肉を剥き出しにされた者、両方の目玉を切っ先で刺された挙句抉り取られた者、一突きで背骨と心臓を砕かれ即死した者。
築き上げた惨たらしい死体を眺めて、男は嘲笑を浮かべた。
己の存在意義を取り戻した男はくつくつと笑う。
湿った赤いマントが冷たい風に揺れた。