第32話
『人間を壊すこと。それがお前の役目だ』
『僕の…役目?』
『そのために作った』
目の前には長髪の男。視界に色がなく、白黒でしか判断ができない。どこか見覚えのある男。視界も若干ぼんやりとしていて、顔がはっきりと目に入ってこない。でも、その長髪の男はしっかりとこちらを見ているのだけはわかった。
答えたのは自分自身。その声は子供のように高めの透き通った声。
今、自分が生まれた。そう感じた第一声の言葉。
(俺、ここで何して…?)
違和感を感じる。自分じゃない自分がいるような。かといって、自分が何かがわからない。
視界は下へと移る。長髪の男の足元。さらに視界は自らのほうへと移り、両手を広げてその手のひらをじっくりと見た。指を折って握りしめ、もう一度手を広げる。その手はとても幼い手のひら。
傷一つなく、新品の体を手に入れたような感覚。
呼ばれてもう一度視線を上げる。
長髪の男は、自分の髪の毛を一本抜き、その髪の毛を差し出してくる。
『手首につけろ』
言われるがまま、受け取った髪を左手にまく。しかし、右手だけではうまく縛れずに、何度も何度も失敗してしまう。見かねた長髪の男は、手を伸ばし、ため息一つ吐いて乱暴にその髪を左手首にしっかりと巻きつけた。
喜び、左手を上げて光にかざすように手のひらを広げる。
『お前の力の源となるだろう。燃やすなよ』
『うん。うん!』
子供心に喜んでいるのがわかる。
しかし、視界は急変する。
恐怖に満ちた人間を前に、左手を出しているところだった。相手は逃げ道を失い、ただ目の前にいるものに恐怖を感じ、死を覚悟している様子だった。
『やれ』
視界には入らないが、隣から耳打ちするように声が聞こえた。それと同時に、意味も分からない思考のまま左手から炎が放たれる。
人間の泣き叫ぶ声は、炎にかき消されていく。
苦しむ声。苦しむ表情。すべてが心のどこかにある感情を削り落としている。削り落とさなければならない。
目の前で見知らぬ人間が燃えていく姿。今すぐ視線を外してしまいたくなるような光景。そんな光景に吐き気すらも覚える。しかし、視界を外すことは許されない。その感情を捨てるための訓練。
(何がどうなって)
そんな訓練を受けた覚えはない。なのにこれが訓練だという認識になる。まるで、自分が誰かの体内に入り込んだかのように。
(誰かの体内?)
炎。長髪の男。
(さっきまで何をしていた?)
人間を燃やす前に、髪を手首に巻いた。しかし、それも大分前の事のような気もする。ただの記憶を思い出しただけのような感覚。しかし、今この感覚も、何かを思い出した時の記憶に似ていた。
(炎を使ったのは…これが初めて…? いや…でも)
『あの…』
考え込んでいると、視界が炎から外れ、隣にいた長髪の男に向かって声をかけていた。
気づいた男は、こちらを見下ろし、なんだいと問う。
『シェイル様…。僕はこれからいったい…』
『君には魔王の代わりになってもらわなきゃ困るんだ』
そういってにっこりほほ笑んだ。長髪の男。シェイル。
(シェイル…? 魔王? 代わ…り…)
思いだせなかった現実。それをいきなり引き寄せられるかのように、今までの事が巻き戻しになっていく。
髪を受け取り、左手首に巻いた者。魔王にはそんなものなかったはずだ。ということは、この身体は。
『レリィ。深いことは考えるな』
(レリィ)
身体の持ち主。
レリィ。
その名は、俺の。敵。
目を覚ますかのように、閉じていたつもりもない瞼がパッと開く。
炎以外が白黒に見えた景色から、とても赤るい場所へと戻る。いや、もともとは暗い場所。しかし、レリィの炎がこの場を明るくしていた。そして、その炎に覆われている。
これが現実。見たのは、レリィの記憶。
初めて対面した時、魔王に似ているとは思った。しかし、似ているのではなく、似ているようにシェイルが作ったのだろう。そして炎の力を渡した。現魔王が水の力だから、他の力を渡せば次は失敗しないとでも思ったのだろうか。炎を使うとき、すべて左手だったのも、シェイルの髪がない限り魔法が使えない人形だからだろう。
魔王の後釜のため、消さなければならない感情を先に捨てさせた。魔物ではなく、人間を使って。
(つくづく相手をリベリオにしなくてよかった)
燃やすなよ。
暴走した炎に身体ごと飲まれたレリィ。シェイルからもらった髪を燃やしてしまう以上、このまま放置していれば魔力がなくなり、炎が消えていくだろう。
怒りの感情をコントロールすることができない子供な精神。精神と肉体、能力が成長しないことにより、自爆する。不戦勝ということだ。
いや、勝つことすらできないのかもしれない。
(視界が……)
最初に炎に覆われた時、炎が体に入ったのがわかった。炎自体というよりも、炎の何かが入っていった。身体の内側が焦げた感覚。それから炎による負傷。
今こうして炎に覆われている状況だが、炎に熱を感じない。しかし、自分の体にある魔力を、吸い取られているような疲労感。
(魔王は逃げただろうか)
おそらく援護が入ってこないということは、視界に入る場所から逃げているのだろう。
炎が徐々に自分の体に近づいていることに気が付く。さすがに熱さを感じないからと言って、燃えないとは限らない。
炎というよりも、恐怖が襲ってくるような錯覚を感じる。
今恐怖を覚えるのは危険な行為。なるべくこの場から逃げることだけを感じ、今の感情を捨て去るように周りを見渡す。
リベリオやレリィのように、水や炎になって移動できればどうにかなったのだろう。しかし、その術を知らない。不慣れな魔法を使って身を削るよりも、自分が得意とする魔法をどうにかして知識を絞りだす。
(だめだ)
思い出せることはない。しかし、思いつくことはある。
失敗すれば死か、高いリスクか、成功か。
高いリスクに足を踏み入れたのは先ほど見た。自分があれに似たことになる可能性も、死ぬ可能性もある。成功する可能性は低いだろう。それであれば、リスクを負う覚悟で挑むしかない。
(死を覚悟するのはいつもの事だが…。今回の事は本当、シャレにならないかも)
失敗するも成功するも自分次第。
ソッと目を閉じしゃがみ、地に手をつく。魔力を流し、この炎の外にある瓦礫に埋もれている、木々を探してそれを変化させる。今いる炎へとその変化させた木を突き刺すが、炎により刺さることもなく消えていく。
(やはりむりか)
外側から消し去ることさえできればと思ったが、自分の能力ではそれは無理だということを知る。
徐々に近づいてくる炎はそろそろ限界にたどり着く。
目を開けずに、触れた地に魔力を注ぎ自らの体を埋め込んでいく。
いや、埋め込まれているのではない。自ら土へと変わっていく。
地底の奥へと目指すかのように、溶けるように沈んでゆく。