第24話
◆◇ルーフォン◇◆
現状をすっかり忘れ、ヴィンスの話を聞いていると、金属同士が擦れる甲高い音が鳴り響き、何かが地面にドスンと落ちる音がした。
その場にいた皆が魔王とアマシュリに視線が集中する。
落ちたのは剣。両手が空き、無防備になってしまったのは魔王。
一度アマシュリの手は止まるが、最後を決めるかのように力を込め、至近距離で力と体力負けをした魔王の腹部を狙って剣先を走らせる。
ヴィンスはアマシュリのすぐ傍まで跳び、両手をそれ以上動かないように、自らの両手で拘束するのと、消えたリベリオがアマシュリの真後ろに現れ、首を絞めるように手を当てるのは同時だった。
魔王がこちらに背を向けているせいで、どのような表情をしているのか読み取れない。もう負けたと、諦めたのだろうか。
投げ捨てられた自らの剣を拾い鞘に納め、アマシュリから距離を離すように、魔王の肩に手を触れ数歩後ろに退けさせる。
「無事、だろうな」
チラリと顔をのぞくと、そこには何か清々しそうに微笑む姿があった。その顔にとても見覚えがあった。
いつもわがままを言う勇者としてのシレーナに、親のように文句を言うアマシュリ。言い合いになり、最終的にはアマシュリがほとんど折れてきた。そのアマシュリの姿に、何か嬉しそうに微笑む姿。その時と全く同じ表情だった。
「リベリオ、ヴィンス。離せ」
自分自身ではなく、アマシュリを拘束している二匹に、魔王はそう命令した。すぐには反応しなかったが、ゆっくりとヴィンスの手が離れる姿を見て、リベリオもゆっくりと手を離した。しかし、アマシュリはそこから先に進むことはなかった。
手を伸ばしたのは魔王だった。伸ばした先は、両手で構えたアマシュリの剣。片手で剣に触れただけで、手から離れて落ちていく。その手は小刻みに震えていた。
「アマシュリ」
「ま、おう…」
声をかけると、答えるように震えたいつものアマシュリの声が聞こえてきた。
何度も魔王を呼び続けるその姿を、魔王は微笑んだまま真正面から抱きしめる。その姿に、いつでも止められるよう構えていたリベリオもヴィンスも、ゆっくりと緊張をといた。
「ごめんなさい」
泣き崩れたアマシュリが最後にこぼした言葉。
◆◇◆◇
「アマシュリが徐々に自我を取り戻していたのは気づいていた」
疲れて倒れてしまったアマシュリを、シュンリンとリベリオは奥の部屋へと寝かせに行った。一度魔王の間に戻った魔王がそう言葉を出した。
「いつから気づかれていたのですか」
「ヴィンスが後ろでルーフォンにリベリオの話をしてる時」
聞こえていたのかと、ヴィンスは口を閉ざしてしまう。
あの状況下で、他の音を聞いている余裕があったのだろうか。叱られることなく、魔王は涼しげな表情で、この場にいるすべての者の顔を見ていた。
裏切られたというのに、何か心の靄が消えたようなすっきりとした表情。旅をしている最中、ルーフォンは常に見ていた能天気なシレーナの表情。久々に見たその表情は、どこか安心感を呼ぶ。しかし、今の状況にそぐわない表情。いったい何を考えているのか読み取れない。それ以外にも、不自然な事に気づいていた。
あんなにも魔王を心配し、ベッタリしていたリベリオが、アマシュリのほうへとついて行った。そのことについて、ルーフォンは二種類の可能性を考えていた。
一つはアマシュリが目覚めた時の対処。もう一つは、知らない事情の中の行動なのか。
魔物の事情をいまだに理解できていない部分が多いため、行動すべてに疑問を持ってしまう。
近くにいたヴィンスの服の裾を軽くつかむと、振り向いた首がかしげていた。
「どうしてリベリオは魔王の近くにいない?」
「魔王一筋なのに? と思っているか」
答えたのは、口を開きかけたヴィンスではなく、ルーフォンの小声が聞こえた魔王であるシレーナだった。聞いてはまずかったかと思ったが、シレーナの表情は、何か優しいものを思い出すかのように、嬉しそうなほほえみだった。
「表上は、いつも俺にベッタリだが、それはアマシュリが基本的に城に居座らないからな。まぁ、俺に対して程の態度はとらないけど、アマシュリに対しての感謝も強いから。寧ろ、一番に感謝している相手じゃないか」
「…どういうことだ?」
「探し出したのはアマシュリだったんだ。見つけて報告したのもアマシュリ。俺は好奇心で動いただけ。アマシュリが自主的に見つけなければ、リベリオは今もすべてを閉ざしたままだった」
少し悲しそうだが、とてもうれしそうな表情。
助けたのは魔王。見つけたのはアマシュリ。だからこそ両者とも大事にする。だからアマシュリが操られているとき、魔王の命令に背くことも、瞬時にアマシュリに手をかけることもできなかった。
徐々にわかってくるリベリオの事。ただの能天気な魔物。というわけではないようだ。
「しかし、これからどうするおつもりですか?」
話よりもこの先の事を考えていたヴィンスがそう口にした。すると、視線は一気にヴィンスへと移る。しかし、考え込むような表情を持たないシレーナは、にっこりとほほ笑んで口を開いた。
「休戦」
「…はい?」
何を考えていたかというと、何も考えていないような言葉が出てきて、メッシュまでも驚いてしまっていた。
ただ、ヴィンスだけはいつもの事だと思っているのか、あきれたようにため息をついていた。
「確かにこの先どうすることもできないというのは、正しいかもしれませんが」
「今はアマシュリが目を覚ますのを待つ。すべての情報はアマシュリが持っている。ただ、自分たちが不都合になる情報を、シェイルたちが残しておくかどうかはわからないがな」
「記憶操作をしている可能性も?」
「ないとは言えないだろう」
ヴィンスの質問にも、躊躇うことなくシレーナは答える。しかし、その答えにヴィンスは視線を外して黙りこくってしまう。もともとそんなに口数は多くはない。自ら質問を出すというのも少ない。
うつむき加減で考え込んだヴィンスが、何か思い当たることがあるかのように、恐る恐るもう一度口を開いた。
「魔王様、書物のある部屋に行ってみたいのですがよろしいですか?」
「あぁ。それはかまわないが」
慣れた足取りで書物の場所まで案内すると、何かを探すかのように一通りいくつもの本棚に足を運んだ。各々物珍しい様子で、バラバラに散る。
壁に万遍なく並ばれた本棚と、中心部に等間隔を保っておかれる本棚。すべての本棚にぎっしりと本が詰め込まれている。
過去に二度来ている魔王は、特に考えることなく本棚に目を通す。目についた気になる題名のものを、恐る恐る開いているのはメッシュ。手に取ることはないにしても、一つ一つの題名にしっかりと目で追っているルーフォン。ここに来る意味を持って探しているのはヴィンス。不意にその目が留まった。
一つの本に手を伸ばす姿を見た魔王は、楽しげに近寄り顔をのぞかせる。そこは、以前シュンリンに渡した研究者の日記が置かれていた場所だった。読み終えていたのか、日記はすべて元に戻っていた。
ヴィンスが手にしたものは、研究資料とわかりやすい題名が記載されている冊子だった。
開いているページを見る限り、そこは書物というよりも、殴り書きでメモを取っているような、乱雑した文字だった。
文字自体苦手な魔王は、すでに読めないことを理解していた。しかし、何か思い当たる部分があるのか、ヴィンスは一部一部を指で追いながら、何か納得している様子も見せていた。
「気になるようであれば、無理にここで読まないで何冊でも持って行っていいんだぞ」
気にしている様子のヴィンスに、魔王が優しく声をかけると、文字を追っていた指が止まった。
お言葉に甘えてというかのように、わかりましたと一言告げると、その付近にあった冊子を追加で二冊手にしていた。
誰もが適当に歩き回っていると、扉を開く音がする。みんなの視線がそこに集まった時現れたのは、リベリオだった。アマシュリの目が覚めたのだろうか。魔王は視線をリベリオに向けたまま駆け寄っていく。
「アマシュリは?」
「まだ目は覚めてませんが、呼吸は落ち着いているようで。シュンリンに邪魔だと追い出されました」
その言葉に、そうかと一言魔王は答えた。
少し落ち込んでいるリベリオに近づいたのは、ヴィンスだった。
「連れて行ってほしいところがある」
ヴィンスがリベリオに何か頼みごとをするのは珍しいことだった。すぐ近くにいた魔王は、一目で一緒について行きたい様子がわかるような、楽しげな表情をしていた。
苦笑したヴィンスが、丁寧についてくることを断り、魔王をルーフォンに託してリベリオとともにこの場を離れた。
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案内してもらったのは、研究に使用したと思われる一室だった。
話だけには聞いていたが、その部屋にあるものは、とても今の人間や魔物が作ったような器具だとは思えなかった。そこでリベリオが口を開いた。
「不思議だったんだ」
「え?」
「この建物に初めて入った時、料理器具がきれいに揃ってた。てっきり、もともと管理していた者が揃えたかと思ったが、シュンリンが言うには、片づけが終わったばかり。というのと、入った時から道具があった。その中にも、使ったことがないようなものばかりだったんだ」
「便利か?」
「とても」
もともと、お互い個別で会話をする相手ではないからなのか、とても空気がどんよりとしている気がする。
蝋燭に火を灯しても、あまり一面を明るくしてくれる様子はなかった。それも、背丈の高い器具ばかりが置かれているせいで、いろんなところに影ができてしまう。
物を踏まず動かさないよう、足元と頭部に細心の注意を払って、ヴィンスは奥の方へと進んでいく。中心部ではなく、収納されている棚が多い壁を伝って奥へと進んでいく。ところどころで先ほどもってきた書物を開き、何度も何かを確認する。
ある場所へたどり着くと、リベリオが一室を明るくするよういたるところに蝋燭を置いていて、先ほどよりも明るいことにようやく気付いた。
壁に備え付けられている棚には、たくさんの物が詰められている。段ボールに入っている物もいくつか
あるが、側面には何が入っているのかすぐにわかるようになっていた。
探しているものを見つけ、棚から段ボールを慎重におろし、中身を確認する。
確認しやすいよう、リベリオが静かに蝋燭を持って近づいてきた。
中には、手のひらサイズの小さなビンが、いくつも積み重なっていた。
「これを探していたのか?」
「あぁ。まだ必要なものがあるが、とりあえず先にこれを運んでしまいたい。アマシュリの様子も見に行きたいし、一度広間のほうに戻る」
「部屋にしまった方がいいだろう。魔王様が興味を持ってしまう」
「そうだな」
リベリオの言うとおり、与えられていた、寝ることにしか使っていないヴィンスの自室へと運び、数冊持ってきた中の一冊だけを持って、アマシュリのもとへと様態を見に行く。シュンリンとリベリオには、先に戻っているように伝え、先ほどまでシュンリンが座っていた、ベッドの隣に置いてある椅子へと腰かけた。
背もたれのない椅子。壁に寄りかかり、目だけでアマシュリを見る。疲れ切って気を失っているだけ。もとよりないに等しい魔力を盛大に使い、身体が追い付いていない。最悪魔王のように魔爆にかかっていたとしても、アマシュリの場合大した問題ではない。
手にしてきた本を開く。その中には、論文や物語が記されているものではない。メモのように乱雑に書き記した実験ノートだった。魔物を作ったといわれている研究者たちが残してきたものだ。
得た情報の中で一つだけ、仮設すら立てることのできない謎のものがある。
「ヴィンス」
静まり返った一室に、か弱い声が響いた。本を閉じ、アマシュリのほうへと目が行く。
うっすらと開いた瞼は、どこを見ることなく、ただ天井を見上げたまま視線が合うことはない。
「やはり、目が覚めていたのか」
入ってきたときからヴィンスには気づいていた。おそらくシュンリンも気づいていたのだろう。それでも気づいていないフリをしていた。
生きていようが死んでいようが、シュンリンにはどうでもいいことだからだ。そういう女だということをヴィンスは知っている。
「頼みがある」
「なんだ」
細い声で、アマシュリはヴィンスに願いを伝える。しかし、その言葉を聞いた瞬間、持っていた本をどこかへ投げ捨て、身を乗り出して相手の胸ぐらをつかみあげていた。