第23話
「なぜ貴女に命令されなければならないのかはわからないが、わかりました。行きましょう」
二人はそう言って重そうに腰を上げた。
はじめて魔王の城に来たとき、一度遊んで差し上げた。その時の面倒くさそうな表情は、なかなか見ていて飽きないもの。
(ただ、嘘はついておりません。他人なのに変わりはないんですから)
思い出して、ついたった一人のこの場所で、クスリと微笑んでしまった。
「かなり長い年月一緒の城に居りましたが、命令されたのは初めてですね」
嬉しそうに渡された書物を、リルとイリスという客人がいた客間のテーブルに置いた。
日付が古いほうから。
あまり魔物は日付の習慣がない。実際に今日の日付を理解している魔物はほぼいないに等しい。年齢を数えるのは、日付ではなくその時の季節。その季節によって、一年を終わらせる。日付を重視して生きているのは、人間の土地で住む魔物と人間くらいだ。
研究室のような不思議な空間で、魔王とリベリオに渡された書物。お出かけをしている間に、目を通してしまったほうが良さそう。しかし、一番初めの日付の内容は、研究室に初めて配属になった日が始まりとなっている。
「これは、時間がかかりそうですね」
一緒にいる時に軽く読んだ限り、他の研究の話も少し入っていた。つまり、最初から見ると、きりがないということだ。
簡単にぱらぱらページをめくると、ところどころ不定期にページの角が折れているページがあった。
片づけている際に折れてしまったのかと思っていたが、どうやら中身を読んでみると、何かの記念の日に当てはまるようだ。それはとても、喜ばしい内容ばかりが折れている。
初めの研究の結果。成功に終わったらしい。自分の誕生日に周りが盛大にお祝いしてくれたこと。彼女ができたこと。研究成果で、“政府”と呼ばれる者からの協力が入ったこと。彼女の誕生日、親友の誕生日、プロポーズした日、親に認めてもらった日。彼女の両親にあいさつに行った日。結婚式、友人の結婚式。そして、子供が生まれた日。そこで手が止まる。
どのような子供が生まれたのか。どのような家族を手にしたのか。飛ばすことなく、一日一日を丁寧に読んでいく。子供の特徴までもが書いてあった。
金髪に青い瞳。とても整った顔立ちをしているとのこと。
「金髪で青い瞳…」
読み進めていくと、その子の名前も記載されていた。急いで次の情報がないかを、少し早めのペースで読み進めていく。しかし、もう少し決め手となる有力な情報はない。ただ、わかるのは、残酷にも同じ種族同士で争いが起きていたということだけ。
「果たして、“政府”とは何者なのでしょう」
もしこの日記が本当なのであれば、魔物は“政府”という人間により命令され、研究者の手によって作られし武器。それを今人間は、憎み殺そうとしている。
読み進めると、魔王がいる時に読んだページになり、最終的にはこの作者がどうなったのかまでわからない。ただ、この時に魔物は一匹だけ。
「ここまで魔物が増えたのはどうして…?」
いろいろな疑問が出てきたとき、外が騒がしくなってきた。
何事かとヴィンスに問うと、直接動いてくれるとのことで、一度書籍を自室に持ち帰り、魔王の間で魔王の帰りを待つことにした。どのようにしてこのことを伝えるべきなのか。それを考えながら。
まさかしばらく時間が立ち戻ってきた魔王には、到底お伝えできる状況ではなくなるとは、思ってもいなかった。
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沈黙を破ったのは、正門だった。
正確には、正門から現れた者だった。
城にいる魔物全体に、シェイルを警戒するようにと、ヴィンスのほうから連絡が回っている。
すぐ近くに来ているということだ。ついに、顔合わせをすることになるのだろうか。しゃがんでいた者もその場に立ち上がり、扉のほうを見つめる。
床に横たわってしばらく落ち着いていたアマシュリが、再度いきなり暴れだす。油断していたヴィンスは押しのけられ、振り切られる。魔王のもとに行くわけでもなく、その騒がしい扉の向こう側に走っていく。捕まえようと思えばすぐに捕まえることはできたが、あえて泳がし、その後ろを追っていく。
捕まえようとする気がないのに気付いたのか、通路に出ると少しスピードを落として走るアマシュリ。いったい何者が現れているのか。誰もが薄々感づいている。
魔法が使えるころの魔王であればよかったのだが、まったく治る様子もない。魔術で対抗できる相手でもない。歩いていたヴィンスとリベリオの視線が合う。お互いに覚悟を決めたのか、首を縦に振り、お互いの意思を確認した。
走るスピードが上がったと思えば、辿り着いた場所には、やはり見たくない元仲間の姿があった。その隣には、アマシュリ。
(卑怯だ)
ただそう思うしかできなかった。
非力だと知っている者を操り、動向をうかがう。本気で手を出せないのを知って、こちらに手を出してくる。相手の弱みに付け込んだ。
アマシュリが操られていることを知ったとき、誰もがシェイルも操られていたらと考えた。しかし、どちらにしても最悪。
操られていたら余計に厄介な相手だったのかもしれない。
魔力も高く、戦闘に長けている。そんな相手が操られているとなると、どう手を出すこともできない。ただ、正気では向かうというのであれば、本気で守るべきものを守るだけ。
城にいるほかの魔物を、なるべく遠くに裏から逃げるよう、ヴィンスから命じた。
争いになるかどうかはわからないが、なるべく被害を食らうのは最小限でと考えていた。出来ることなら、魔王もどこか遠くに逃げていてほしいというのがヴィンスとリベリオの願いだった。
ヴィンスとリベリオを先頭に、シュンリンとルーフォン、魔王とメッシュが現れたシェイルの前に立つ。
今まで魔王の隣にいた存在。
見慣れた金髪と、冷たく輝かせる青い瞳。見ているだけで恐れがこみ上げてくる、感情の読み取れない表情。微笑むこともにらむこともない。ただ、見下しているかのような。
「シェイル…どうして」
「どうして? それは魔王、貴方が言ったじゃないですか」
「え?」
二度目のショックに魔王が問うと、その答えにシェイルが当たり前のような口ぶりで言った。その言葉に、首を傾げてしまう。
敵に回ることや、誰かを操ることなんか、今まで一度も命令もお願いもしたことがない。
斜め前にいたシュンリンが、なるべくシェイルとの距離をあけるよう、前に出ようとした魔王の身体を後ろ手で押す。
「みんなが魔法が使えなければいいのに…と」
「あ…」
魔爆にかかった際に、皆もなればいいと。そうすれば、憎しみから争いなんて起きることはなかったはずだと、魔王は思い言った。力がなければ、実力行使なんて行わないはずだと、感じていた。
「ご存知ですよね? 俺が魔物の最初で最後の成功体だって。まさか、そんな書籍が残っているなんて思ってもいませんでしたが」
アマシュリを介して事情を聴きとっていたことを、ヴィンスは確信した。どうして殺されずに帰り、操られていたのかが疑問を感じていた。しかし、本来そんなことをする必要までもないだろうとも、感じる。
おそらくアマシュリを操ったのは、自分たちが危ない状態にあるというのを、気づかせるための挑発手段。その行為自体が、ヴィンスにとっては許し難い行為だ。
「はじめて魔王とお会いしたときは、何歳とお伝えすればいいのか、とても迷いました」
この状況を楽しむよう、わざと微笑むような表情でそう伝えてくる。
千年と少し。魔王との出会いはそう知らされているが、本来成功体なのであればもっと長く生きているはずだ。だからこそ、不信の無いような妥当な年数の情報を与えられていた。
「人間から魔物という、“人間の兵器”として扱われ。見分けのつかない敵味方をやれと言われ。自分は強い。そう自覚したときは気持ちが良かったです。同じ気持ちを味わってほしく、姿かたちがまともな失敗作と恋に落ちたふりをし、繁殖させた。そしてその子供とも。強いものを増やしたというのに、その中でも腕に手ごたえのある者を選んで魔王にしたというのに、その力を見失ってしまった。そしたらまさか、皆そうなってほしいだなんて。きっと、どこかで変な遺伝子が混ざってしまったんだろう。と、考えていたら純粋な魔物じゃないと知った。そういうのを、半魔っていうんだったかな? 失敗作の魔王?」
薄らと笑い、バカにするかのような口調でシェイルは魔王を見る。
こんなシェイルはここにいるだれもが見たことがない。いつも魔王のことを気にして、危ないことはするなと。一人で行動は避けてほしいと、護衛をつけようとしたり、目的地付近にいる魔物に連絡をして、危うい状況を作らないように、細心の注意を払っていた者。
ここまで増えた魔物のことも、自らの口で謎を解決してくれた。
その時点ですでに純粋な魔物ではない。失敗作である人魚から生まれし魔物が、また繁殖を繰り返し、生まれてきた魔物たち。魔物の血が濃く受け継ぐものと、混ざって受け継ぐもの。人魚の血を濃く受け継ぐ者の、三種類が生まれてくる。
魔物の血が濃い者。つまり、シェイルの血が濃い者のほうが、強い魔物となってくるのだろう。
「団体は? 何故存在している」
「ヴィンス。よく考えてもみろ。魔王が人間の土地を侵略しない。無意味な争いはしたくない。じゃあ、いつになったら人間の土地を奪うことができる? それでも、襲われたら争いが起きる。それでいいかと思ってた。でもどうだ? その反逆者が少なくなれば、魔王は何もしなくなる。挙句の果てには、勇者になるとか言って人間の土地へと向かった。刺激がなさすぎる」
「刺激…?。そんなもののために」
手に力がこもったのはリベリオだった。うつむき加減になり、何かを我慢しているかのように。
一歩前に出て、人魚の土地のことをシェイルに聞く。
「なんであそこを荒らした」
「削げるものは削いでおくべき。いざとなった時の戦力や知恵、戦闘意欲。貴方はお優し過ぎた。いや、お優しい“人”になってしまったというべきか。生や死などに執着を持っていなかった貴方が、急に変わられてしまった。キーツにしても何にしても。殺すな生かせと。あんなにも残酷に魔物を殺していた貴方が」
あの土地を知らなければ、人魚やドラゴンが傷つくことなんかなかった。シェイルさえ連れて行かなければ、被害は少なかったはず。
勇者という存在を知らなければ、おそらく何も変わることなく、いつもの日常を過ごせていた。人魚もドラゴンも、ルーフォンもメッシュも、ヴィンスもリベリオも。アマシュリだって、こんなことに利用されなかったはずだ。
(あの時、シェイルを連れて行かなければまだ、少しは)
すべての行動に後悔が襲ってくる。
何も変わったことさえしなければ、シェイルも変わることはなかった。しかし、それでは何の解決にもなっていない。もちろん悪い方向に進んでいるのだから、苦しさは拭えない。でも、どうしても魔王は自分がしてきたことが悪いことだとは思えなかった。
「手駒は用意しておきました。魔王、貴方が人間の土地でお遊びをされている間、時間はたくさんいただきました。最後に遊ばれましょう」
今回のことを、すべてお遊びだというシェイル。にっこり微笑み、一度お辞儀をする。顔を上げて、一本自分の髪を抜き取る。魔力を注いで短剣を作り、隣にいるアマシュリに手渡した。
役目を認識しているのか、アマシュリは抵抗なくそれを受け取り、ヴィンスやリベリオの前に無言で構える。見届けたシェイルは、一歩下がり翼をだして空高く飛んでいく。
「待て!」
「待ってますよ。向こうでね」
微笑んで風に飛ばされるかのように、素早く飛んでいく。追うようにリベリオも水で翼を作り、地を蹴り飛んでいく。しかし、スピードが上がった瞬間、正面からいくつもの針のようなものが飛んでくる。
迎え撃つように、目の前に大きな水の球を作り、針を水の中へと食い止める。しかし、玉から外れた針が、リベリオの翼に数か所刺さり、原型を崩し空から降りてくる。それを受け止めるよう、シュンリンが真下に行き、落ちてきたリベリオを掴み、再度飛び立とうとする動きをも制止する。
「離せっ!」
「ダメです。落ち着きなさい!」
今一番落ち着きを保っているのはシュンリン。もともと他人と接することがないからこそ、シェイルの裏切りが心に響かない。だからこそ、落ち着きを失っているリベリオが対抗しようとも、シェイルには敵わない現実を見ている。
シェイルの力量は、城にいた者であれば誰もが理解している。到底単独では敵わない相手。魔力を持つ魔王がいない今、無謀だということを理解している。
そして今、一番に片づけなければならない問題。シュンリンは振り返り、アマシュリのほうを見つめる。
渡された剣を離すことはなく、ただどこか一点を見つめながら無表情で構えている。
最初に動いたのは魔王。ルーフォンの剣を握り、奪い取る。
「おい」
「こ、こんな重い剣振り回してたのか」
止めようと声をかけるルーフォンだが、その魔王の苦笑した言葉に、言葉が詰まる。
一瞬剣先が地に着く。重いと感じているのはどうやら嘘ではないようだが、今まで見てきていた魔王の腕力などを見ていると、その程度どうってことない重さだ。普通の人間が持っても、どちらかと言えば軽い剣を今回は持ってきている。
持ったままヴィンスの前に出、アマシュリと対峙する。
「魔王危険です!」
リベリオがシュンリンの制止を振り切り、魔王の近くに駆け寄ろうとしたとき、魔王は片手を向け、待てと命ずる。
「前に、魔法にかかったのを、アマシュリが引きずり出した。今回は、俺がやる番だ。それに今は魔法が使えない。だから、これくらいのことしかできそうもないんだ」
アマシュリを見つめたまま、躊躇うことなく薄らと微笑む。その姿に、リベリオはそれ以上寄ることができない。リベリオの意思は、魔王と出会ったとき、すでに捧げている。その方が願ったことはなるべく実行したいと、長いこと誓い続けてきた。
歯を食い占め俯く。
これで危険が魔王に及ぶのであれば、願いを叶えることはできない。だからと言って、アマシュリを失いたくはない。その矛盾がリベリオを苦しめる。
「では、本当に危険だと思った時は、我らがアマシュリに手を下させていただきます。そう思わせないよう、どうか、助けてやってください」
口を開けなくなったリベリオの代わりに、ヴィンスがそう言い、後ろにいたメッシュとルーフォンの肩を軽く叩き、一緒に下がるよう示した。
下がったルーフォンは、感じていた疑問をヴィンスに問いかける。
「魔物とはいったいなんなんだ」
「人間が作り出した兵器。の子孫だそうだ」
「違う。大元じゃなくて、あいつ、あんなにも力がなかったか」
首を横に振り、魔王を見つめたままそう聞いた。その質問の意味が分からず、ヴィンスは首を傾げルーフォンを見る。
「今は諸事情にて魔力が使えない」
「そっちじゃない。それは察した。腕力のほうだ。もともとの力」
「…そうか。人間にはあまりわからないことかもしれないな」
「どういうことだ?」
ルーフォンから目を離して魔王を見つめ答えるヴィンスに、ようやくルーフォンはヴィンスのほうを見た。視線に気づいて、軽くヴィンスも視線を合わせる。
「魔力がそれなりにある魔物というのは、無意識に魔力を使っている。アマシュリのように、魔力が薄い者以外は特に」
「無意識に?」
「ああ。一緒にいてわかっているとは思うが、アマシュリに極度に重い物を持たせたり、瞬発的なジャンプ力は望めない」
「確かに、足は速いし小回りは効くが、それだけ。だな」
「似たような体格の魔王は、もともと戦闘に長けていて、体術も魔法も使えるわけではない。魔力が強いから戦闘に長けているのだ」
「…。よくわからない」
まったくわからないでもないんだがと付け出しながらも、ルーフォンは首を傾げる。それに苦笑しながら、ヴィンスは優しく答えていく。
「さっき俺とやりあった時、瞬時にルーフォンの前に飛んだ」
「あ、ああ。こっちの土地に来てから、よく目にする」
「そう。通常人間相手にするほどのことでもない。基本的には魔法を使えば勝てるからな。物を持ったりする程度のことであれば、もともとの腕力があれば、別に大したことはない。しかし、魔法でそれをさらに補うことは簡単だ」
「物を持つのに魔法を使うのか」
「魔法というよりも、魔力、だな。イメージだ。物を持つときに使うのは通常腕力。その腕力に魔力を足すと、いとも簡単に持てない物も持てるようになる。ただ、魔力を消費するからそれを考えなければならない。アマシュリは素早さはあるが、それはもともとの肉体的な力で補っている。だからこそ、長くは続かないし、その場から逃げることにしか長けていない。短剣も通常持ち歩いているが、護身用。力任せに来る人間には到底かなわない。そこで魔力を消費するわけにはいかないから」
「なるほど」
アマシュリのことに関しては納得したが、まだ大元のところに疑問が残っているルーフォンに、ヴィンスは首を傾げた。残っていることに疑問だったわけではない。ただ、人間がそこまで魔物のことを知ろうとしていたことが、疑問だった。
憎かった魔物だ。知ったことにより、弱点を突いて来ようとしているのか、それとも純粋に魔王を知ろうとしているのか。ヴィンスには今のルーフォンを読み取れなかった。
「じゃあ、今までの魔王…シレーナのスピードは魔力を使っていた?」
「そういうこと。人間からは脚力だと勘違いされやすいのだが、あの時ルーフォンの目の前に瞬時に飛んだ時も、地に向かって魔力を放出する。その勢いで飛んでいく」
「魔力の消費はどのくらいなんだ?」
「微々たるものだ。人間がその辺まで歩くのと同じくらい」
そういって、ヴィンスは適当に指をさす。そこは、五歩ほど離れた地面。つまり、まったく消費されないということだ。
「疲労がたまっていたりすると、少し歩くのでも大変だろう? 体力があれば、ある程度歩く分には全く支障はない。それと同じだ。だからこそ日頃のちょっとしたことで、無意識に魔力を使う。特に、魔力が強い者は」
「じゃあ、魔力がない今の魔王は、人間と同じ…?」
「そう。特に魔力に過信しているところもあって、大元の筋力自体に自信も信用もない。だから、軽い剣も重く感じる。もしかしたらだが、過信のせいでその辺の人間よりも腕力はないかもしれない」
「だから、アマシュリとやりあうのはリベリオは危険だと認識した?」
「そう。アマシュリは魔力が全くないわけではない。いざというときに、通常使わないでいるだけだ。操られている今、どう使ってくるかはわからない。魔力を使わないにしても、日ごろ魔力なしでそれなりに鍛えられているアマシュリの力に耐えれるかどうかだ」
ようやくすべてを理解したように、すっきりした表情をしていた。
幼いころのルーフォンを知っているからこそ、とても立派になったとヴィンスは微笑ましかった。
薄らと微笑み眺めていると、視線に気づいたルーフォンは、怪訝そうな顔つきで見てきた。
「な、なんだよ」
「いや、立派になったなと」
「…うるさい」
照れた顔つきで視線を外し、そっぽを向くルーフォンに、やはり幼いなと口に出さずにいた。すると、何かを思い出したかのように、もう一度ヴィンスと目が合う。
リベリオのほうを指さし、口を開いた。
「リベリオ、シレーナをかなり崇拝してるようだけど、そういうものなのか?」
いつもニコニコ笑顔を見せているリベリオ。しかし今は、一つのミスも許さないような真剣な瞳で、アマシュリと魔王の動きを見ている。その手には強く拳が握られ、必死に何かに耐えている。隣には、ただ黙っていつもの表情で魔王を見つめるシュンリン。二匹の魔物に、雰囲気の違いが明らか。
「リベリオの戦いは見たことがあるな?」
以前、メッシュの村が襲われた時、救援に来たリベリオがキーツが殺した。その時の変わり様をしっかりとルーフォンは見ていた。
縦に首を振ると、ヴィンスが言葉を続ける。
「魔王に出会うまでのリベリオがそれだ」
「…え?」
「といっても、その時の姿は一度しか見たことがないが。姿を見るだけで、近寄ることすら許されないような殺気で、気がやられる」
「最初に姿を見た時のニコニコ笑顔のリベリオしか見てなかったら、想像つかなかっただろうな」
「ああ。俺は、二回目にあったときはそのニコニコ笑顔だったからな」
呆れたように苦笑する。
「え?」
「城にはリベリオが先にいたんだ。さすがに驚いて魔王とアマシュリからの話を聴いた」
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昔、一部の地域に不安定な天候が続いた時期があった。数日間大雨が続き、止んでも厚い雲に覆われたまま、いつ降り出してもおかしくはないくらい、昼か夜かもわからないくらいに暗い。しかし、風が吹くことはない。長い日数日光を浴びないことにより精神が狂い、奇行に走る魔物も続出した。
異様な状況に気づいたアマシュリは、ただの天候の所為ではないと、各地を走り回って情報を集めた。最初は何も情報がつかめず、天候の所為だと思い込む魔物が多い状況で、不意に思い当たる節を持つ者に遭遇した。そこから得た情報で移動を進めると、徐々に微かな情報を持つ魔物が増え、さらに情報を得ると、原因を遠目で見つけることに成功した。
原因の周りには、雨の中、干からびているいくつもの魔物の遺体が散らばっていた。近寄るのを恐れられ、とても孤独に見えたが、座ったまま俯き泣いているようにも見えた。しかし、雨という暗闇の中、白い髪が不思議なほどに目立っていた。
雨を起こしている姿を見ているわけでもないのに、アマシュリは確信した。
報告を受けた魔王は、いつもの好奇心でアマシュリと、護衛としてシュンリンを連れ、その場所へ向かった。
あれから動いていないかの様に、まったく同じ体勢。しかし、アマシュリには遺体が増えているような気がして恐怖が勝り、それ以上先へ足は進められなかった。その姿を見たシュンリンは、気にもかけずに進む魔王を置いて、アマシュリの数歩先で足を止めた。
怖れなど知らないかのように進む魔王。近づくにつれて、徐々に寒気が増していることに気づいたのは、シュンリンとアマシュリ。座り込んだままの魔物は、近づく者に気づいているはずなのに、全く動く様子は見られない。変わっているのは、その周り。近づくにつれ、視界は何か靄のようなものに囲まれ、視界は悪くなる。雨の中の靄という異常な現象に、危機感は増す。
テレパシーで魔王に近寄らないようにと伝えても、聞いていないのか聞こえていないのか、止まる様子も振り返る様子もない。
すぐ近くまで辿り着いたとき、座り込んでいる魔物に触れようと、躊躇いなく手を伸ばす。しかし、触れる瞬間、破裂したかのようにその魔物は水しぶきを飛ばして消えた。
アマシュリとシュンリンには気づいていた。消えた瞬間、魔王の真後ろに微かな影があることを。その存在をテレパシーですぐに伝えると、やはりもともとテレパシーには気づいていたのか、すぐに振り返る。しかし、反応はすでに遅かった。
水しぶきが集まって水の塊が出来る。座り込んでいた魔物の形になり、振り向いた瞬間、その手は魔王の首をとらえていた。水の塊に魔物本人が入ったかのように、一瞬で色姿が変わっていく。
最初は抵抗する程度に暴れる魔王だったが、何かに気づいたのか、バタついていた足を思いっきり振り、一発魔物に蹴りを食らわせるが、水しぶきとなり姿を崩し、すぐに集まって再度水の塊になり、その攻撃は何の効力もないものとなった。しかし、絞められていた首は離れ、自由になった体は水の塊から離れる。
塊は白い髪の人型に変わる。身長はおよそシェイルほど。すらりとした指先に、細身の体系。冷静に見上げる魔王の姿を、遠目にシュンリンとアマシュリは見守る。
しばらく両者動くことはなかったが、遠目で魔王が先に口を開いたのはわかった。しかし、その言葉は雨音にかき消され、聞き取ることはない。たまに少しだけ苦笑しながらも、なんだか楽しそうに一方的にだが話しかけている。白い魔物は、その言葉に何かを答えることなく、ただだんまりを保ったまま。
一度魔王の口は止まったが、再度苦笑したように微笑む。無防備にも、両手を上にあげ、頭の後ろに手を組んでその手の平に頭を乗せ、リラックスをして見せているように見える。さらに何か話しかけ、組んでいた手を下ろして、右手を差し出した。そこでようやく魔物は動いた。俯いていた頭が、軽く上がり、差し出された手をじっと見つめ、ゆっくりと魔王を視界に入れる。
真剣な瞳で見つめているシュンリンは、アマシュリを置いてでもいざとなれば魔王を助けに飛び出す覚悟をしていた。ダラリと降ろされていた手が、ゆっくりと差し出された手に伸びる。その瞬間、止みそうもなかった雨がピタリと止んだ。
触れ合った時、魔王が何か嬉しそうに微笑んで言った。雨が止んだおかげでその声は響き渡る。
「来いよ」
その言葉と共に、雨雲は空から消えていく。久々に見た日光に、つい目をとられてしまう。
掴んだ手はソッと離れ、魔力を使い続けたその男は、その場に倒れこむように膝が地面に落ち、再度座り込んでしまった。しかしそれは、先ほどとは違う。どんよりとした空気ではなく、すっきりと晴れた空気だった。
心配そうに見ていたシュンリンとアマシュリのほうにようやく目を向けた魔王は、楽しそうに両手を振っては、シュンリンに来るように叫んだ。アマシュリを置いて魔王のもとに向かうと、座り込んだその魔物に肩を貸し、ゆっくりと立ち上がらせた。
魔力を使いすぎと、今まで張りつめていた集中の糸が切れ、疲れ切ってしまっているとのことだった。今後、城に一緒に住むことになるとも。
魔王には、初めに見た座り込んだ姿が、とても昔の自分に似ていた。とも口をこぼしていた。それを言ってしまうと、アマシュリは何も反対することはできなかった。しかし、それ以上のことを魔王は何も言わなかった。だからこそ、ヴィンスにはその時に話した詳しい内容まで、知ることはできなかった。しかし、それがあったから今のリベリオがいる。それ以上の謎は、今はまだ明かされることはない。
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