第22話
無事帰還したアマシュリと荒れたリベリオを回収し、再度魔王の間に集まる。
集合することを見越していたシュンリンが、人数分の椅子を用意してくれていた。輪を作る様に並べ、魔王であるシレーナを中心に、隣にリベリオ、ヴィンス、シュンリン、アマシュリ、メッシュ、ルーフォンという順で座った。
いつもはニコニコ笑顔を保っているリベリオが、今回は一番空気を重くしている。同じショックを同じように受けている魔王は、いつもよりは重いくらいで、ルーフォンの言葉により、正気を取り戻しつつある。ヴィンスはいつも通り、何に執着をすることなく、冷静に話が始まるのを待っている。今回の話に携わっていなかったシュンリンは、魔王の体調と、今後の自分の行動についての命令を待つ。帰還したばかりのアマシュリは、何を考えているのかわからない瞳で、ただ魔王を見つめているだけ。その隣にいるメッシュは、今の状況と先ほどまでの疲労で、少し不安そうな瞳をルーフォンやアマシュリ、魔王のほうへチラチラ落ち着きなく向けている。そのメッシュを落ち着かせようと、らしくない優しい手つきでメッシュの頭をルーフォンは撫でていた。
考えがまとまったとき、魔王はようやく口を開いた。
「まず、報告。俺は、先ほどリベリオと一緒に、今後のヒントを求めてある場所に行ってきた。そこは俺にとってとても大事な場所だった。以前にもシェイルと行った場所だ。ただ、そこは荒らされていた。シェイルの手によって」
「……」
その言葉に、リベリオは魔王とは別の方向に視線を落とした。シュンリンはというと、何も言うことなく、ただ魔王を見つめる。シュンリンにとってもシェイルにとっても、お互いは干渉せず過ごしてきていた。魔王がいない限り、会話が行われないくらいに、仲が良くも悪くもない。つまり、仲間とも敵とも認識していないくらい、シュンリンは魔王と掃除以外。下手したら、魔王は掃除以下の扱いだ。ましてや、それ以外の他人であるシェイルが誰を裏切ろうと、自分に害がなければ興味すらないからだ。
流れはわからないにしても、リベリオの話を聞く以上、シェイルが裏切ったことだけは認識していたヴィンスも、特別驚く様子はなかった。ただ、気にしていたのが、「ある場所」の部分だ。
隣にいたルーフォンも、正直シェイルと関わりはない上に、先ほどの話の流れを聞いた以上、「裏切り」自体は想像はついた。しかし、その経緯がわからない。認識は、シェイルは魔王を守る第一関門。魔王も、シェイルに城を任せるくらいに慕っていた。そこまでの魔物が魔王を裏切る経緯が気になっている。
驚いてもおかしくない者であるアマシュリは、ただ真剣な瞳でただ魔王を見つめていた。その様子を視界の端で見たルーフォンは、眉間にしわを寄せる。さらにその様子を見たヴィンスは、ただ優しい瞳でルーフォンを見つめ続ける。この違和感に気づくべきだというかのように。
「そこでアマシュリ」
「はい」
「得た情報を教えてほしい。はぐれた理由も」
魔王の中では、アマシュリがシェイルと無暗にはぐれるはずがないと踏んでいた。はぐれる時、その時は何か深い理由があるはずと。実際にシェイルは裏切った。理由はわからないにしても、あの場所を荒らすという行為と、リベリオを回収し、ここまでたどり着くまでに聞いた、団体の「シェイル様」。ここにいるだれもが知っているシェイルと「シェイル様」は聞いた限りでは同一人物。裏切りは確定している。
確定しているというのに、アマシュリは無事に生還してきた。アマシュリとはぐれた後に裏切ったのか、アマシュリが何かを知っていて隠しているのか。
そう。魔王は、その二択しか思いつくことがなかった。そのくらい、アマシュリを信頼している。しかし、アマシュリとシェイルの信頼は同じ。そのシェイルが裏切った。そのショックが強すぎ、どこをどこまで疑うべきなのか。信頼を信じ続けるべきなのか。その感覚が、今の魔王は麻痺している。
「シェイルの裏切りは、わかりません。おそらく、荒らされたのははぐれた後。はぐれた場所は、団体が集まっている廃墟の中で。後ろにいたはずのシェイルを見失いました。裏切るはずがないと信じ、背を任せ情報収集に集中した」
言い終わると、申し訳なさそうに視線を落とした。その姿に、こういう時は自分から口を開かにヴィンスが質問をする。
「はぐれて、それからは?」
「敵に、見つかって逃げてる時に。シェイルなら自分でどうにかできると思っていたから」
その答えに、ヴィンスとルーフォンが不思議そうな顔をする。他にも聞きたさそうに一瞬口を開いたが、その口を閉じて元の体勢に戻った。そこでアマシュリが言葉をつづけた。
「敵は、魔王が魔法を使えないことを知ってました。シェイルが裏切っていたのであれば、そこから情報が漏れていたということですか」
魔法が使えないこと自体を初めて知ったルーフォンとメッシュは、魔王のほうを見る。視線に気づいた魔王は、薄らと苦笑を浮かべて縦に首を振る。
実際、ルーフォンは魔王であるシレーナの力があれば、どうにかなると想定していたが、ここに来て魔法が使えないとなると、話が変わってくる。体術と言っても、スピードがあるというだけで、正直なところ数を当てなければダメージとしては足りない。魔術も、魔法をごまかし使っていたということもあり、周りからしたら頼りない状態となってしまっている。それは、魔王自身も自覚していること。
「どうして今さらになって敵に回ったのでしょうね」
「魔物だけの、団体だけの世界を作るためが、団体の目的」
団体の元々の目的を知らないシュンリンの質問に、アマシュリが以前ルーフォンに説明したことをもう一度伝える。しかし、シュンリンは納得しないかのように、首を横に傾げた。
何か引っかかることがあるのかと、ルーフォンはシュンリンに聞くと、首を傾げながら答える。
「団体だけということは、魔物だけということですよね? それなら、人間の土地に行く前に、魔王にそういう世界にするように持っていくことなんか、シェイルには簡単じゃないですか?」
「それは、俺が領地を奪うなと言ったから」
「ではその時に降りればよかったのですよ。それなのにどうしてずっと仕え続けたのでしょう? 魔王は特別誰かを雇うことはない。誰かを雇うとしたらシェイルの仕事。シェイルは自分の意思でそこにいたのですよね?」
とても単純な質問をぶつける。
もともと、シュンリンもシェイルも雇っているというわけではない。人間とは少し違う所がそこに当たる。魔物はお金をどこからか徴収しているわけではない。物々交換で成立している。
魔王の城にいる魔物は、食事と寝床と地位。あとは、反逆者が来たら暴れられるという、ストレスのはけ口がある。もちろん、いろんなところに警備でつかせている者には、宝石物などを与え、近くの町で交換できるようになっている。
魔王という座をつかせたのはシェイル。そのことを知っているのは、アマシュリと魔王とシェイル、どうして自分が魔王になったのかは、特に疑問にならないということで、今まで魔王はシェイルに聞いたことがない。
「わからない」
考えがまとまらず、言葉に詰まった魔王がそう目を伏せた。その姿を見て、薄らと微笑み、シュンリンは立ち上がった。
「では直接本人に聞いてみましょう」
魔王にとって、まだ心の準備ができていないところ。
それが一番早いことなのはわかってはいるが、信頼していた者に、直接心を打ち砕かれることを恐れている。しかし、そのことを一番恐れているのは、ヴィンスやリベリオだった。裏切られた後の、ふさがれた魔王の心を思うと、あまりその方法をとりたくはないと願っていた。
「でも、どうして悪いのかがわからない」
口を開いたのは、アマシュリだった。その表情は、誰も視界に入っていないかのような、冷酷な瞳。どこを見ているのか、この場にいるだれもがわかっていない。表情も暗く、薄らと微笑むこともない、完璧なる無表情。
ヴィンスとルーフォンは、多少前屈みになり、何かを身構えた。
「魔物だけの世界にするって、何が悪いんでしょう?」
争いを好まないアマシュリがいう言葉に、今まで違和感を感じていたヴィンスとルーフォンがついに立ち上がった。ルーフォンは一歩前に。ヴィンスはリベリオの前を通り、魔王に背を向け斜め前に立ち、二人で壁を作る。
次の言葉を待つように見つめると、アマシュリは口元を薄らと上げ、顎を引き、にらみあげるように二人を見つめる。
様子がうかがえないと、魔王はルーフォンに触れようとしたとき、その手を邪魔をするなというかのように振り払われる。
先に動いたのは、ヴィンスだった。ゆっくりと前に進み、アマシュリの目の前に立つ。睨み付けてくるその瞳の少し上。額に手を伸ばそうとすると、相手を乱暴に扱わないはずのアマシュリが、その手を振り払った。ヴィンスにとって、それが十分の合図だった。
振り払ってきた手をつかみ、無理やり立たせて座っていた椅子を奥に蹴り飛ばす。引っ張り上げたアマシュリの背を地面に放り投げるよう叩きつけた。
「ヴィンス!」
後ろで魔王が止めようと立ち上がったが、それ以上のことをルーフォンが掴みとめた。
肩に手を置かれ、上から重圧をかけるように押さえつけられているアマシュリは、必死にもがいてその場から逃げようと暴れる。しかし、子供が暴れている程度、ヴィンスには簡単に抑え込むことができる。右手でアマシュリを抑え、左手を額に乗せる。アマシュリに何が起きているのかを確認しようと魔力を使った瞬間、力強い電流が左手から腕、肩に走り、全身に流れ込む。
反射的に左手は離れ、上体も後ろにのけぞってしまい、右手を床について体を支える。
ヴィンスの拘束から逃れたアマシュリは、すぐに立ち上がり、奥のほうへと逃げる。しかし、ヴィンスは追うことはしなかった。アマシュリも、距離をとる程度でこの場から逃げ去ることはなかった。
「今のは」
どういうことなのかと、リベリオは立ち上がり、ヴィンスが立っていたルーフォンの隣に立つ。
異常なのはこの場にいる誰もが理解した。メッシュも、前まで懐いていたアマシュリから離れ、ルーフォンの隣に逃げるかのように寄り添う。ヴィンスの近くにいたシュンリンも、何が起きたのかとヴィンスに寄り、触れた左手を見た。
先に口を開いたのは、ルーフォンだった。そのあとにヴィンスが続けていう。
「おかしいとは思っていたんだ。裏切ったということを知る前に、はぐれたからと言って、合流することなく帰還してきたことが」
「ああ。それに、アマシュリの両手首に何かで拘束されていたかのような痣がある。そのくせ、誰かに追われている様子もなかった。何事もなく帰ってきたわけではないだろうと」
長い間旅を一緒にしてきたルーフォンから見たアマシュリ。そのアマシュリと、今のアマシュリには似ても似つかない。それを感じ取っていた。
俯いたまま頬を上げ、ただその言葉を黙って聞いているアマシュリ。その姿が、メッシュには不気味な姿に写る。いままでよくしてくれていたアマシュリの姿を思い描き、ギュッと拳を作って、ルーフォンの元から離れる。
ヴィンスの元へと行くのかと思えば、その隣を通り、アマシュリのほうへと一直線に迷いなく歩いていく。
「待て、今のアマシュリは…」
ヴィンスは触れた瞬間にわかっていた。
何者かに操られ、解除されないよう、治癒の魔法に対抗する魔法をかけられていることを。ただ、操っているだけでは、もともと攻撃的な魔力がないアマシュリを、強くすることまではできない。だからと言って、安全というわけではない。
無力と決めつけているヴィンスは、止めようと手を伸ばすが、手に触れる前にメッシュは掴まれないように手を自らのほうへと引く。
寄ってくるメッシュに、アマシュリは逃げることなく、不気味な微笑みを見せたままになる。徐々に近づく姿に、ルーフォンは身構える。後ろから立ち上がる音が聞こえたが、それは隣にいたリベリオが制止する。
「離せっ。行くなメッシュ!」
その魔王の言葉に、メッシュは立ち止まり、ゆっくりと振り向いて、優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。きっと、だけど」
アマシュリのほうへ向きなおり、降ろされていた手をソッと掴む。その瞬間、周りに緊張が走る。
操ってしまえば、魔力は増やせないにしても、体術で攻撃することは、当の本人のスキルなしに行える。
触れたその手には、ヴィンスが感じた電流のようなものは流れない。それを確認して、両手でアマシュリの手を包み込む。何かを願うように、その手を自らの額に当て、優しく目をつむった。
どのくらいの時間が経っただろうか。
メッシュがアマシュリの手を包み込み、額に当ててから、そんなに時間の経過はしていない。しかし、誰もが固まり、相手がどう出るのかを見ている時間は、とても長く感じた。
時間を終わらせたのは、メッシュからだった。
顔を上げ、アマシュリの手をゆっくりと降ろして離す。
「わかったよ」
それだけ言って、背を向けルーフォンの元へと戻ろうとしたとき、ヴィンスが動いた。違和感を感じ、メッシュは振り向いた時には遅く、後ろから伸びてきた手は、確実にメッシュの首をとらえた。そのまま、ヴィンスにやられた逆を行うかのように、地面にたたきつけ、馬乗りになりアマシュリの力だとは思えない力で首を絞めつける。
しかし、それも長くは続かない。片足で床を蹴り、低い体勢から突進したのはヴィンスだった。
メッシュは乱暴に解放され、苦しそうに首に手を当て、地面に横になる。駆け寄ったシュンリンとルーフォンは、そっと背中をさする。
突進されたアマシュリは痛みに叫び、地面に倒れこむ。その上にヴィンスが改めて乗って押さえつける。
奥で魔王がメッシュの名を何度も叫ぶ。しかし、駆け寄ることはリベリオの手により制止がかかったままだった。
「アマシュリが…」
苦しみながらも、徐々に息を整えながらメッシュが言う。
ゆっくりでいいと、優しくルーフォンは背中をさする。
「敵はすぐ近くまで来てるって」
「自我が、残っているのか」
ルーフォンの問いに、首を縦に振った。
半魔であるメッシュ。本来は発揮できていないだけであり、魔力をまったく持っていないとは言い切れない。メッシュ自身も、気づいていないだけで、自分自身ができることを、ルーフォンとともに歩いている中、気づき始めていた。
優しく頭を撫でるルーフォンの手。乱暴に撫でられることもあるが、そこにはとても優しく暖かいものを感じていた。魔王やアマシュリとの会話を聞いていても、表面から見て優しい人と感じさせない雰囲気を持つルーフォンが、子供のわがままでついていくことを許してくれ、気遣って頭を撫でてくれたり。根っこは優しいことを、メッシュは知っていた。そこから知った、自分の力。
「心がわかるわけではないんだ。ただ、訴えたいことが聞こえてくる。とても、アマシュリは苦しんでた」
痛い思いをしたというのに、メッシュのアマシュリを見る瞳は、とても優しいものだった。その姿に、シュンリンがそっと近寄ってくる。
気づいたメッシュは、その方向へ見ると、ただ手のひらを差し出していた。
手のひらを一度見つめ、視線を上げてシュンリンの瞳を見る。その瞳は、ジッとメッシュのほうを見つめている。もう一度手のひらを見て、優しく手の平を両手で包み込む。目を閉じて額に当てると、メッシュの表情が歪み、いきなり目が覚めたかのようにパッと目を見開いた。
額から手を離し、目を見開いたままシュンリンの顔を見るよう見上げ、首を横に傾げると、シュンリンも真似をするように首を傾げた。首を戻し、ゆっくりと後ろを向き、魔王のほうを見る。
「え……? どういう、こと?」
そういいながら、もう一度シュンリンのほうを向く。
リベリオが何かを思い出したかのように、ゆっくりと魔王を気にしながらも前へ出た。後ろにいた魔王も、ゆっくりとついていくように、メッシュの元へと歩き出す。
メッシュが読み取ったものは、とても短い言葉だが、世界を知らないメッシュからすると、とても大きなことだった。しかしそれを言うとき、シュンリン以外の者が、固まった。