第21話
この悪天候に、魔物たちが再度やってくるとは考えにくかった。この天候が誰の仕業かなんてわかっている。別に責めるつもりはないが、褒めるつもりもない。ただ、あそこにルーフォンがいる限り、手を出すことはできなかった。タイミングはばっちり。しかし、ここまで来た魔物たちが、この悪天候だからと帰るとも考えにくかった。
微かにだが、リベリオが城内へ入ってきたのは感じ取れた。そのタイミングで城内へ戻ってきたわけだが、奥のほうから怒りの足踏みが聞こえる。その音は、外へ向かう方向へと進んでいる。音のほうへと向かうと、入ってきた経路が丸わかりの、水浸しの跡が残っている。さらに奥のほうから、跡を辿って戻って来たかのように足音が聞こえる。
この足音は確実に気配を隠すつもりも何もない。怒りの音だ。
音の持ち主のほうへと向かうと、怒りの形相。この表情をこの間も見たような気がする。いつもニコニコバカみたいに微笑んでいるからこそ、変化が恐ろしかった。
「魔物は」
「放置してきた」
「始末」
腕を伸ばし、動きを止めようとしたが、触れる瞬間水蒸気となって姿を消した。不穏な言葉だけを残して。
始末の先を考えたくはなかった。始末するために、この天候にしたのだろうから、それを利用するのは作った本人リベリオの仕事だ。無暗にあの場にいたら、こちらが殺されてもおかしくはない。
「はぁ…」
小さくため息をついて、再度外のほうへと向かう。
始末をするのはよいが、ルーフォンとその近くにいた子供だけでも、回収しておかなければいけない。ほかにも人間がいたが、腰を抜かしていた。少なくとも、戦闘に混じろうとはあの状況では思わないだろう。
自分もいいだけ濡れたから着替えたかったが、また濡れるならと濡れた頭をかきながら、外へと向かう。
正気がほぼ失っているリベリオから、救わなければならない人数は、二人。リベリオが戦うには好都合となっている状況下で、どのように保護するべきか。団体のもとにたどり着いた時に、その地にしっかりと足がついているのは、怒り狂ったリベリオと、数匹の魔物。そして、ルーフォンと子供だった。
リベリオを掴み損なってから、そんなに時間は経過していないというのに、ほとんどの魔物が戦闘不能。息絶えている者もいた。一緒にいた謎の人間二人の姿は見えなかった。ルーフォンと子供も、様子を見るだけのように、かなり距離を離れていたからか、リベリオのお怒りに触れている様子はない。
逃げるだけの時間はあったはず。逃げるよりも距離が城に近づいているということは、一度退くという選択肢はこの魔物たちには、なかったということだ。
「わかってんだよ」
無言を保っていたリベリオが、下を向きながらそう口を開いた。
いったい何があったのか。そもそも、一緒に連れていた魔王はどうしたのだろうか。手放してここに来なければならない理由があるということは、最悪な情報が入ったということか。それがこの団体に何か関係しているのだろうか。
この団体は、魔王を狙う団体。ということは聞いてはいるが、他の情報が手に入ったのなら、先に伝えてほしい。その情報によっては、リベリオの怒りを認め、ルーフォンと子供を安全な場所へ誘導したいと思っている。
「許せねぇんだよ」
そう叫ぶと、地を蹴り、構えていた魔物の額をつかみ、そのまま森の奥へと放り投げる。
普段のリベリオの戦い方ではない。かといって、誰かに操られているという様子でもない。ただ、ただ自分の怒りに任せて行動している、珍しい行動だった。いや、怒りに任せる姿は以前にも見ているが、その時よりも冷静さが欠けている。
じっくりとゆっくりと沸々と。内側から怒りを顕わにして、じんわりと敵を苦しめる戦い方をするはず。怒らない限り、戦闘に走らないというのも、リベリオの特徴でもあった。
今は、敵を苦しめるというよりも、捌け口を失った苛立ちを、そのまま行動に移しているだけの、強力だが無防備状態となっている。
「裏切りやがって」
言葉一つ一つに、魔物が犠牲になっていく。
裏切り。
その言葉に体が反応した。
リベリオに関わる者。いや、リベリオの怒りに触れるものは、大体魔王が関わっている。つまり、何者かが魔王を裏切ったということか。しかもこの団体に関わりがある、何者か。しかし、団体に味方はいないはず。いや、味方だと思っていた者が、団体の仲間だった。と解釈してよいのだろうか。だからこその、裏切り。
「も、モストビ! どうするつもりだ!」
団体の魔物一人がそう叫んだ。
その言葉に反応したのは、今はすでに唯一立てている魔物だった。周りの団体は、もうすでに戦闘意欲は消失。モストビと呼ばれた男だけが、リベリオをただただ見つめていた。
「もう、気づかれてしまわれましたか、シェイル様」
モストビがそう頬を上げ、何やら嬉しそうにそう言い放った。
崇拝しているかのような呼び方。シェイル様。その呼び方に、つい目を見開いてしまう。
「もしかして、裏切りって…」
リベリオが知った事実。裏切りとは、シェイルのことなのだろうか。しかし、シェイルはあんなにも魔王のことばかりを毎日心配するように気にしていた。あれはずっと演技だったというのだろうか。リベリオはいったい何を見たのだろうか。
(魔王も、もしかしてそのことを…いや、それより)
もっと重大なことに気づいてしまった。
もし、本当にシェイルが裏切ったというのであれば、今アマシュリはどうしているのだろうか。どこにいるのかもわからないアマシュリとシェイルに、テレパシーを送る。しかし、一向に何かが返ってくる様子もなければ、受け取った様子も感じられない。
意図的に遮断しているのか、遮断されているのか。
兎にも角にも、今この状況を先に終わらせ、リベリオに事情を聴かなければならない。どうにかして、ルーフォンと子供を安全な城の中へと入れてしまいたい。おそらく、一番先にリベリオが襲わなかったということは、裏切りにルーフォンは関わっていない。しかし、どう誘導するべきか。
その場にしゃがみこみ、湿った地面に手を付ける。滑る土は、うまく自分の魔力が通らない。地面の奥深くへと魔力を通らせるため、指を立て、ゆっくりと地面に差し込んでいく。
本来、リベリオとの自分の戦闘は、自分にとって相性が最悪だ。水分をすべてリベリオにとられるため、得意とする植物には何も効かない。植物の水分をすべて取られるもしくは、水分を必要以上に加わることにより、撓ってしまい武器として使えず、水分がとられることにより、それはもろく砕け散る。
水分がたまるが分散される地面であれば、奥底にある根っこが利用できるはず。手先に集中し、自分の魔力に反応する物を探す。ようやく何かをつかみ、ゆっくりと微調整して操作する。目指すはルーフォンの足元。
地面が安定しないせいで、うまい事ルーフォンをつかむことはできないが、ようやく地面に張っていたどこかの木の根っこが、ルーフォンの足首をつかむ。気付いたルーフォンが、バランスを崩してしゃがむ。動きに気づいた子供が、足首に原因である根っこを見つけ、必死に引きはがそうとするが、意外と冷静だったルーフォンは、その大元に気づいてくれたようで、目線があう。
指だけで城のほうを指し、さっさと城の中へ正面から入る様に促す。
外れた足首の根っこを放置し、モストビに気づかれないよう、木々に隠れながら城のほうへとルーフォンたちは向かった。それを視界の端にとらえ、この場をリベリオに任せる。
二人を追うように、正門から入っていくと、仲間の魔物たちが入り口でタオルを持って待っていた。少し先でルーフォンたちも、魔物に代わりの服を差し出され、頭などを乱暴に拭かれていた。さらに、リベリオが侵入してきて水浸しだった通路は、他の魔物たちが必死に拭き掃除をしている。今外に出ることが危険なことを判断した城内の魔物たちは、今できることだけを行っている。
服を脱ぎ、仲間に渡された着替え用の服を着る。城の入り口で全裸になったが、特に気にはしない。しかし、この状況に不慣れなルーフォンと子供は、楽しそうに暴れ、脱がされてはさっさと差し出された服を着ようとして、魔物に止められ、体全体を全裸のまま拭かれ、水気を取ってようやく下着を渡される。その時にはもう、顔を真っ赤にしていた。
土仕事をしている以上、外から中へ入るときは、割と汚れを取らなければならないが、ふき取れないときはこうして入り口ですべてを脱ぎ捨てる習慣があったが、そのような習慣がない者にとっては恥ずかしい限りなのだろう。
「何をやっているんだ」
「ヴィンス! 見ないでくれ。まさかこんな入り口で全裸にされるなんてって、もうそこはいいだろう服を着させてくれ」
割と冷静に物事を進めていたルーフォンが、ここまで冷静さを失うなんて、面白くて見ごたえがある。
実際はこんなにも和んでいる場合ではないのだが。
正直、魔王に裏切られない限り、誰に裏切られてもあまり動揺しない自信はあった。実際に、本当にシェイルが裏切っていたとしても、おそらく、魔物だしと諦めがついてしまう。しかし、魔王だったらどうだ。味方にほとんどを託してしまう性格。あの明るい無邪気な魔王が厚い信頼を置いていたシェイルに裏切られたとき。いや、シェイルだけじゃなく、リベリオだろうと、このルーフォンだろうと。裏切られた時の反動は、かなり大きいものになるだろう。
ようやく魔物に遊ばれ終わったルーフォンと子供を呼び、魔王がいるだろう奥の間へと進んでいく。
おそらくリベリオのことだ。あんなにも荒れていたということは、今一人にしていることはない。シュンリンが傍にいるだろう。こんなにも通路が汚れても、他の魔物に掃除をさせるということは、自分がその場に行けない事情があるから。
いつもの重い扉を開けると、いつも魔王が座る椅子に座り、肘置きに顔を伏せている、だらしない魔王。その傍にしゃがむシュンリン。何かを必死に話しかけているが、まったく反応する様子は見せていない。
「失礼します魔王」
「ヴィンス…」
そう言った気がする。実際に声が聞こえたわけではない。ただ、生きているかどうかわからないような瞳。微かに開いている唇が、そう動いた気がする。もしかしたら、全く違うことをか細い声で言っているのかもしれない。
目の前にしゃがみ、視線を無理やり合わせる。その状態で少し待つと、ゆっくりとだがこちらを認識した。
「行かなきゃ」
「魔王…?」
「アマシュリを、助けなきゃ…」
「シレーナ」
ボソボソと口を開いていた魔王に、後ろからついてきたルーフォンが近づいて、懐かしい名前を呼んだ。その言葉にはきちんと反応し、顔を上げた。
「行かなきゃ行けないなら何故そんなのんきに座っている」
「……」
「今までなら、何も考えずに行動に移していただろう。何を迷っている? いまさら」
「だって…。今の俺には何も…ない」
弱気になっている姿に、何の遠慮もなくルーフォンは淡々と言葉を放つ。その言葉に、見上げていた魔王の視線は、ゆっくりと落ち、床のほうへと降りていく。しかしその視線にイラつきを覚えたのか、ルーフォンはすぐ目の前まで足を進め、勢いよく魔王の胸ぐらをつかみあげた。
さすがの行動に、シュンリンが止めに入ろうとしたが、そこから暴力をふるう様子はなく、体を止めていた。
ようやく視線が上がり、驚いた様に目を見開いて、ルーフォンを見た。しかしその瞳には何かが物足りない。
「何もない? もともとお前には何もなかっただろうが。いまさら失ったような口を開くな。いままでにあったのは、アマシュリとかの手助けだろう。力はあっただろうが、ただそれだけ。力があってもそれを補助するアマシュリがいないだろう」
「何を…」
「俺は剣の自信はあった。でもそんなもん魔物の地に来たら、なんにも役には立たなかった。今までどうにかできたのは、お前やアマシュリのカバーがあったからだ。到底ただの人間が魔物に切りかかったって勝てるわけがなかったんだ。過信してた。お前らがいなくなってようやく気付いた。何も持ってない」
「よく、わからない」
「だから一人じゃ戦えないんだ。今までそんな言葉を聞いてこなかったのか? 俺はようやくわかった。わかっていたつもりでいただけだったって。今のお前はそういう状態だ。一人でどうにかしなくちゃいけないって思ってんだろう。どうしてそんなにしょげてんのかは知らない。仲間が言ってた裏切りがどういうもんかは知らない。でも、アマシュリを助けに行かなきゃいけないんだったら、なんでそんなのんきに悲しさに浸ってるんだ」
「助けに行きたくったって、俺にはもう、その力がねぇんだよ!」
「そっちに力がなくったって、仲間があんだろ。俺だって、力差はありすぎるけど、多少の手助けしたくて中に入って来たんだよ。あの魔物が、あんなに取り乱すイメージがない、大事があったんだろう」
徐々にだが、物足りなかった魔王の瞳に、何かが戻ってきている気がした。そこで、ルーフォンの隣にいた子供が口を開く。
「えっと、勇者様、なんだよね? あの勇者様が、魔王だったってことに驚いてる。でも、ずっとそうだったらいいなって思ってた。ただの願望だけだったけど、本当にそうなんだって知った今、できるだけ力になりたいって思ったんだ。だって、前に勇者様に勇気をもらったから。村も守ってくれた。あの時何もできなかったのに、助けに来てくれた。だから次は、手助けする番。力になりたい。そう思ったの! だから、もう一度教えてほしい。僕にできること。できそうなこと。あのオオカミを呼び出したときみたいに」
思い出せなかったその子供。あの村にいた半魔の子供だ。その子供の言葉にも魔王の瞳が反応し、徐々に戻りつつある。それはここ数日悩んでいた魔力ではない。もっと、大元の何かが戻り始めている気がする。しっかりと、いまは瞳の中にルーフォンと子供が写っている。
誰かを叱るなんて性格を持っていないと思っていたルーフォンが、こんなにも言いたいことを迷いなくぶつける。今までそんな相手が魔王にはいなかった。
アマシュリも言うほうではあるが、結局押しに負けてしまうところがあったし、それでいいかとあきらめるアマシュリがいた。しかし、ルーフォンは違う。魔王の言葉にはっきりと反論する。
人間の土地へ行ってからの魔王は変わってしまった。それは、ルーフォンやその場の状況がそうしたのだろう。行かなければ魔力を見失うことはなかったはず。それでも、治したいと前向きだった。直面はしていないが、以前にもかなりネガティブ思考になったようだ。その時は、アマシュリが引きずり戻したと聞いた。次にその役目を担ったのが、ルーフォン。つまり、アマシュリと同じくらいの立ち位置を獲得したということなのだろうか。
いきなりあらわれて説教するルーフォンの言葉に、生気が戻り始めている。
(なんだろうかこの暖かい感情は。子供が成長した喜び…のような親心?)
今まで感じたことがない感情に、少しだけ驚かされる。
今まで魔王に対して子ども扱いをしたことが全くない、と言ったら嘘にはなるが、魔力があり、戦闘能力が高い。そして、仲間と認識した魔物に対する当たりもいい。魔王と周りから言われ続けていた、「魔王」とされている不安定な魔物のときとは違う。もっと、自分の意思で一匹の魔物になっているような気がする。
「今まで散々助けられてきたんだ。次はこっちが手助けする番だ」
ルーフォンは力強くそういった。すると、ゆっくりとだが、魔王の口端が上がるのが見える。
「ルーのくせに生意気言いやがって」
「ふん。俺は今まで言いたいことは言ってきた」
「俺だってやりたいことはやってきたもんね」
「今はやってないじゃないか」
「う、うるさいな。いくぞ!」
「は? どこに」
いつもの魔王だ。
きっと、この城の魔物には、先ほどの魔王を今までの魔王のように、引き戻すことはできなかっただろう。おそらく、ルーフォンだから。人間の土地で人間としての魔王と一緒に回ってきたルーフォンだから、いとも簡単に引き戻すことができたのだろう。何も深い事情を知らないから。しかし、今の俺も深い事情が読み取れていない。
立ち上がる魔王についていくよう、一歩後ろをシュンリンと共についていく。
魔王の隣にはルーフォン。逆側には、子供。
「とりあえず、リベリオを回収しに」
「そうだな」
そうして、重い扉を開けて正門のほうへ向かう。
「あとは、アマシュリも助けに…」
「僕がどうかしたの?」
正門の入り口。雨の中をもう一度出ようとしたとき、聞きなれた声がそこにあった。
誰かを待っていたかのように、腕を組んで扉に寄り掛かり、薄らと微笑んでいる。
「アマシュリ…無事、だったのか」
「無事ですよ? シェイルとははぐれてしまいましたが」
「そ、そうか」
その場にいるだれもが目を見開いて止まった。
今危険な目に合っていると勝手に仮定していた相手が、平然とその場に立っていたのだ。寧ろ、我に戻る魔王を待っていたかのように。
しかし、魔王やルーフォン達は気づいていないよう、素直に生還に喜んでいるが、今まで無茶をして帰ってくる魔王を見ていないわけでもないし、いくつもの怪我の治癒をしてきた俺からすると、違和感を感じる。