第10話
辿り着いた場所は、木々に囲まれた山頂だった。
そこについて口を開くことができなかった。できたことといえば、ドラゴンから降り、何とか立つ事だけ。魔物に対する呪縛などがあるわけではない。ただ、見てはいけない神聖なものを見てしまっている気がしている。
着いた木々に囲まれているその一部の地面が、大きく掘られたようにへこんでおり、そこにはきれいな水がためられていた。それだけではない。その中には10匹くらいの…。
「人…魚?」
「これが…」
俺の隣に、シェイルが着陸する。そして、同じく呆然としてしまう。
ドラゴンに囲まれ、掘られた泉のように溜められた、水の中には上半身を水面から出している、人魚が10数匹。
見ることなんて、一生ないと思っていたのに、まさか不意に辿り着いた土地で見ることができるだなんて。あまりにも急なことに、どう反応していいのかわからなくなる。
どこかでこのような形をした女体を見たことがある。思い出せそうで思い出せない。どこか、夢のような場所だった気がする。
「あなた…。シレーナの息子ね?」
「…え?」
一番近くにいた人魚が、嬉しそうにそう俺に言った。
シレーナ。
それは勇者としての俺が使用していた名前だ。どこかで聞き覚えがあったから使っていたが、その理由があるみたいだ。息子。ということは、シレーナという名の者が俺の、親。
「シレーナを知らないのも無理ないわ。あの子は禁断の行為をしてしまったの。でも、それに対して私たちは咎めてはいない」
「きん…だん? …え?」
「もしかして、何も父親から聞いていないのかしら?」
「…なんのこと!?」
人魚という珍しい種族に会えた。ということよりも、自分が知らない自分のことが知れる、何かのチャンスとしか思えれなかった。
自分が知らない自分のこと。多すぎる自覚があったからだ。
だって俺は…。父は知っていても、母親という存在を知らないからだ。
誰だったとかよりも、どうして俺の記憶上に存在していないのか。父から何かを言われたわけでもない。だからこそ、自分の育ちが謎のままだった。実際、母親が誰かなんて気にしている状況下でもなかったからかもしれないし、すでに親を亡くしている子供だって、たくさんいる世界だ。そういうものだと思い込んでいた。
「あなたはシレーナという、人魚の中でも美しいと言われていた人魚を母に持つ子よ」
「…え?」
「つまり、魔物と人魚の血を受け継いでるということか?」
シェイルもようやく納得できたのか、そう口を開いた。
すると、その人魚がそっと微笑む。
「えぇそうよ。まさか、魔王になるとは思わなかったけれど」
「…人魚…半分? 人魚…にん…」
どこか見覚えのある体。必死に記憶をさかのぼり、どこで見たのかを思い出した瞬間、体が固まった。
首にかけていたネックレスに手を伸ばし、ゆっくりと人魚の涙に触れる。荒れ地となった夢を見た時。あの時、このネックレスに現れたあの女性。最初は不思議な体だなと思った程度だったが、納得した。あれも人魚。そして、あの人魚もシレーナと感じた。あれが…。母なのだろうか。
(あーもー頭が追い付かないよ)
考えるのが不得意だというのに、いろいろと詰め込んだせいで、頭痛がしてくる。
「人魚と魔物の間の子って…どんなの?」
「まぁ、現にあなたがいるのだから、あなたがそうでしょ?」
「俺が…じゃあ、魔物だと思っていた俺って…」
「人魚も魔物と同じようなものよ。魔力はあるし。こうやって…」
そういうと、泉の中から腕を出し、端まで動いてきては地面に手を乗せ、ぐいっと腕力で身を上げる。腰を地面に乗せると、腰から下が一つにつながっている人魚の姿がきれいに日光と反射する。そっとそこに触れると、一瞬魔力で光り、二つに分けたかのように、人間の足と変わらない姿になった。
腰には、人魚時の足の色である水色の布が巻いてある。あまり人間と違いがない。
「こうやって人の姿になってしまえば、人間の町にだって、魔物の里へだって下りることができる」
「つまり、もしかしたらその辺にいる可能性があるのか?」
「まぁ、少ないが。その代り危険が伴うから、させないようにはしている」
「そう。じゃあそこで父さんと出会ったんだね」
「そうなる。人間や魔物と交わるだなんてよくないこと。でも、あの方々は愛し合っていた。だから、止めなかったのよ…。止められなかったの。愛し合った間の子だもの。一度でいいから会ってみたかったわ。その願いが叶ってよかったわ」
「だからすんなりここに入れさせたのか」
おとなしく聞いていたシェイルが、ゆっくりと足を近づかせる。
手を出すつもりはないだろうが、一瞬人魚達が警戒したのがわかる。もともとほかの魔物や人間を、入れようとしているようには見えない。
「そうよ。せっかく向こうから近づいてきているというのに、結界で弾かれるわけにはいかないですし」
「ふーん」
「その人魚が…俺の母…ってことか?」
「えぇ。そうよ」
「どうして…いなくなってしまった?」
「…禁断の行為だからよ。他の種族と交われば、自らの身体がどうなるかなんて、未知」
「結果、身を滅ぼした?」
「そういうことよ。とても残念だわ。それを知った、人間の地にいる人魚たちの大半は、身の危険を察したのか、こちらに戻ってきたわ。そしてこれが」
そう言葉を止め、俺の胸元へ手を伸ばした。そっとその指が触れたものは、人魚の涙といわれる宝石。
「シレーナ。貴方の母が最後に流したと言われる涙よ」
「…母の」
「あの方の形見よ。大事にしてあげて」
「…うん」