第4話
冷えてきていた体が、いきなり温かいものに包まれた。
フワフワしていて、柔らかくて、すごく気持ちがよかった。
なんだか懐かしくて、もっと、ずっとこの中にいたくなるような気持ちのよさ。
しかし目の前は真っ暗で、もう目覚めることができないと、宣告されているかのように瞼は重く、開けられなくて。
遠くの方から聞き覚えのある声が微かに耳には入っているけれど、何と言っているのか、誰の声なのかがはっきりしていなくて。
でも、どうしてだろうか。
なぜか、目を覚まさなければならない気がする。
しなくったって、べつにかまいやしないはずなのに。
誰も、困りはしないはずなのに。
遠くから聞こえてきていた声は、徐々にだが、しっかりとこちらに向かって走ってきているように、近付いてきていた。そして、耳にではなく、直接脳味噌に怒鳴りつけるように声が聞こえてきた。
目を覚ませと。
いまそこから消えてしまう必要はないと。そう、言い聞かせるように。
乗っていた何かが消えたかのように、重かった瞼が軽くなった。
痛く、辛かった身体も、徐々にだが癒されていた。
ゆっくりと瞼を開けたら、不安そうなメッシュの顔と、真剣な瞳のヴィンス。子供のヴィンスの姿があった。どうしてそんな顔をしているのかが、理解ができなかった。
どうして自分が今、横になっているのかも、全然思い出せやしなかった。なぜ、悲しむ必要があるのだろうかと、疑問にしか感じられなかった。必要性のないこの身を。
重い上体を、腕で支えながらゆっくりと起こすと、遠くの方からは戦っている重い音が聞こえてくる。そこでようやく、どうして横になっていたのかも、どうしてヴィンスとメッシュが目の前にいるのかも、納得ができた。ヴィンスはきっと、コピーが消えたことに反応したのだろう。
周りを見回すと、まだ争いは続いていた。
「よかった…よかった…」
泣きそうな声で、俺に飛びついてきたのはメッシュだった。それを見守る様に、ホッと息を吐き、微笑むヴィンスの幼い姿。
「間にあってよかったです」
「来てくれていたのか…」
「はい」
やはりコピーが消えたのだろう。それを見て焦ったシェイルが、早急にヴィンスを走らせたのだろう。周りを見回すと、俺を護るようにルーフォンが立っていて、それを見守る様にユンヒュが立っていた。
身体の周りを魔力が覆っている様子があった。良く見ると、ヴィンスが俺に人間の姿の変化をかけさせているようだ。その上から、治癒の魔法が掛かっているのが分かる。今の状況を把握するため、キーツのほうへと身を向けると、白い靄が見える。
「リベリオも来ているのか…」
白い靄を身にまとっているのは、リベリオだ。キーツに向かって走って行っている。
なぜか、いつもの料理中に来ている服装ではなく、普段ヴィンスが来ているような服を着ていた。良く考えてみたら、リベリオがシェフコート以外を着ているところは、見たことがなかった。さすがに戦場にまであのような服装で来るつもりはなかったのだろう。
その白い靄のリベリオに、キーツは当たり前のように魔法弾を撃ち込む。しかし、そのリベリオは固まっていた水蒸気の靄が破裂するように、すっと消えてしまう。
リベリオの特徴だ。
空気中の水分を利用し、自らの分身を作り上げることや、身を水分と化し、遠くの位置の水分を利用し自分を作り上げる移動方法ができる。つまり、瞬間移動のようなものだ。ただし、それにはいろいろと欠点があるため、緊急事態の時にしか発揮しない。
その分身に気を取られたキーツは、破裂した本体を探す為、周りをいそいそと見回すが、その時点では時すでに遅し。後ろに構えていたリベリオの分身がキーツの首をつかみ、そのまま前へと押しつけ倒す。
首に手を食い込むように、キーツの水分を自分の分身へと送りこむ。
身の水分をすべて吸収し、干からびさせ、殺すつもりだろう。行われた側は、抵抗する以外対処する方法はそう簡単に思い当たらないだろう。だから、戦闘時のリベリオには触れてはならない。
「リベリオ! 殺すな!」
キーツの首をとらえたリベリオの分身の顔は暗く、怒りに満ちている様子だった。だからこそ、止めたかった。しかし、ちらりとこちらを見たリベリオの目は、普段の明るい表情からは想像ができないほど、恐ろしく、それ以上何もいわせないような威圧感を覚える。
怯んではいけない。それはわかっているけれど、身体はそれ以上前には進まなかった。
もう一度リベリオの名を叫びたかったが、不意にリベリオがハッと、我に返ったように目を優しく見開いた。しかし、それはほんの一瞬。もう一度キーツへ向きなおり、さらに力を入れている。
干からびていくキーツ。すでに、意識はないように見えた。
ギュッと目を閉じ、その現実から逃げるように顔をそむけた。その瞬間、不意に目の前から暖かい何かが俺を包むように上から抱きしめてきた。
誰かに気づくのが遅れたが、ソッとその者に触れてわかった。
リベリオ本体だ。
包んでいる腕は、小刻みにだが、震えているようにも感じられた。
その腕を優しくなでてやると、ようやく口を開いた。
「どうして…どうしてそのような顔をなさるのですか…?」
「え…?」
「あなたには…笑っていてほしいのです。汚れ役は、私たちが行いますから…」
「…リベリオ?」
急に何を言い出すのかと思えば、少しだけさびしくなるようなセリフだった。
別に汚れてほしいわけじゃないし、そうやって守られていたいわけではない。みんなと一緒に、城を。この世を護っていきたいだけだったのに。
ギュッと抱きしめる腕に力を入れると、身体がきしむように痛む。反動で、身体すべての力が失ってしまい、その場に崩れてしまうのをリベリオが抱きしめたまま食い止めた。
「し…シレーナ様!?」
「ご…めっ…力が…」
口を開くのもままならない。
だんだん、瞼も眠いときのように重くなって、閉じてしまいそうになる。
「ヴィンス!」
「急に動くからです」
冷静にヴィンスはそう告げ、俺の体をゆっくりとリベリオから離し、そのまま上着やらで柔らかくされていた地面へと仰向けになる。また、心配そうなメッシュの顔が見えてしまった。
もう、うっすらとほほ笑むことすらできない。
「力の使いすぎです」
「魔力が切れているから筋肉も動かないんだろう」
ヴィンスの言葉を補足するかのように、リベリオの後ろの方から声が聞こえてきた。足音も、徐々にこちらへと向かってきていた。
リベリオが振り向いたころには、すでに真後ろにリオが立っていた。不思議そうな表情で。
「ヴィンス!」
「暫く眠っていれば、じきに動けるようになるでしょう」
リベリオの催促に、ヴィンスは大人しく答えを出す。
ソッと瞼に手を載せられ、眠ってくださいと優しいヴィンスの声が聞こえた。