第3話
いやいや言っていても、進んでいる限り目的地には着いてしまう。
イリスが言っていた、師匠がいる街だ。確かに会って、きちんと話をしたい気はするが、それだけだ。魔物としてとか、魔王としてではなく、勇者としての会話のみで終わらせたい。
街中ですれ違う人の中には、魔物の気配もあった。しかも、その気配を消すこともなく、堂々と自分は魔物ですと言うのを晒し出すようだった。しかし、それを周りは一切気にしている様子はなかった。気にしたとしても、ちらりとそちらを見て、『あぁ、魔物なんだ』という認識のみして視線を戻す。その程度だった。だからこそ、アマシュリは安心して気配を消そうとする意志はなかった。
「こっちだよ」
先に師匠にあわせてくれるみたいで、何を迷うことなくイリスは人の流れから、少しだけ逆らうように、足を進めていった。
ついていくと、歩く人は、元気に走り回る子供や、竹刀のようなものを持っている男の子。木刀を持っている人間などが、ウロチョロしている通りに入っていた。
「もうすぐで道場が近付いてきてるんだ。もうすぐだよ」
足を進めていくと、確かに広く敷地を利用した建物が一軒建っていた。
道場といえば、襖や瓦を想像していたが、どちらかといえば、体育館という感じを思い描かれた。
正面扉を開け、中へと入っていくと、元気な子供の声だったり、何かを指導する大人たちの声が聞こえた。大きな扉にさしかかったが、その扉は気にすることなく素通りした。その奥へとつながる通路を歩いて行くと、一つの扉があった。その扉を数度ノックした後、イリスはゆっくりと扉を開けた。
「しーしょっ! 勇者たち連れてきたよ」
楽しそうにそう声を上げた。
先ほどまでいいだけ言っていた師匠の後ろ姿が見える。イリスの声に気づき、ゆっくりとその師匠はこちらへ振り向いた。
その隣へとイリスは立つ。中へとゆっくり入っていくアマシュリやルーフォン、ユンヒュだったが、俺は扉のところで立ちつくすことしかできなかった。
この姿を知っている。ずっと昔に会っていたことがある。すごく強くて、格好良くて尊敬できた、血は微かにしかつながっていないが、お兄ちゃんと呼んで喜んでいた。
何度挑んでも、どんなに頑張ろうとそのお兄ちゃんを倒すことなんかできやしなかった。よくそれで落ち込んでは、父に励まされていた気がする。そして、気付けば会う回数も少なくなり、とんと会わなくなってしまい、行方も分からなかった。そのころの俺は、テレパシーという技術なんて持っていなかったし、繋げておくと言う頭なんて持っていなかった。ただ、一緒にいられればいいと思っていたから。会えなくなる時が来るなんて、一切考えてもいなかったから。
「シレーナ…? どうしたのですか?」
アマシュリが不思議そうにそう問いかけると、その師匠はクスリとほほ笑んだ。
「具合でも?」
「あ、いや大丈夫です」
師匠と呼ばれていた男は、リルだった。
リルとは、父の従弟の息子だ。遠いが、血はつながっていた。確かに、リルであれば昔を知っているし、魔王の話をしていてもおかしくはない。
生きていたんだ。それだけでうれしかった。それでまた、会えるんだとわかった瞬間、より嬉しさが湧いて出てきた。
しかし、リルは気付いていないのだろうか。いや、リルほどの魔物がアマシュリや俺が魔物だと言うことに、気付かないわけがない。いや、一応俺は魔物の気配は隠しているが、そのことに違和感を感じるはずなのだが。
そうかと、うっすらほほ笑んで、視線がそれた。
気付かれなくったって良い。生きているという現実が見れただけで十分だった。
「で? 勇者様は…」
リルが、ちらりとルーフォンのほうを見る。しかし、何も口を開かずルーフォンは首を横に振って、違うと主張する。そのあと、ユンヒュの方も見たが、ユンヒュも無言で首を振る。
怪訝な表情をしたリルは、ゆっくりとアマシュリと俺のほうを見てきた。
気付いている。俺たちが魔物だということを。しかし、上級魔物であるリルがここに滞在しているのだ。文句は言わせない。が、もしかしたら、情報が回ってアマシュリの存在を知っているとか? さすがに、魔王とつながっているだなんて、よろしくないのだろうか。
リルの冷たい視線に恐怖してしまったのか、暫く耐えていたアマシュリが、身を小さくして俺の後ろへと隠れてしまった。
「すまないが、あまりこいつを怖がらせないでくれないか?」
「それは失礼。つまり、君が勇者?」
視線は外れ、うっすらとほほ笑まれる。
その顔は、普段微笑んでいた顔とは違う。作られた笑顔だった。にっこりと両頬を上げ、少しだけ首をかしげて、ちょっとだけ眉間にしわを作りながらも、目を細められる。
微笑んでいるように見えるのだが、どこか心を見透かそうとするその瞳に、ゾワッと鳥肌が立った。
勝てない。
きっと今、このリルに勝負を挑んだとしても、勝てる気がしなかった。
お返しと言わんばかりに作り笑顔を出し、ゆっくりと首を縦に振って勇者という事実を肯定させる。
「そうですか。今回はどのような御用件で?」
「…魔王の情報がほしい」
「何のために」
「殺すため」
「なっ!」
師匠といわれるリルの質問に、先ほどイリスに言ってはいけないと忠告を受けた言葉で返した。すると、イリスが身を乗り出し、声を出して驚いた。ルーフォンも、まさかそんなことを言うとは思わなく、少し驚いている表情をしている。
もちろん、殺すつもりなんかない。ただ、そう答えたときに、微笑んでいた口元がピクリと動いたのがわかった。つまり、イリスの言う通り、魔王に害させることを嫌がるようだ。
「ほぉ。魔王への反逆ということですか」
「…反逆?」
冷たく解釈したリル兄の言葉に、イリスが驚いた心を落ち着かせながらも、首をかしげて繰り返した。
反逆。イリスは俺が魔物だということには気づいていない。だからこそ、“反逆”の意味がわかっていないようだった。
なぜケンカを売るんだと言わんばかりに、後ろからアマシュリが視線で訴えてくる。
「反逆? まさか。俺は勇者です。反逆の意味がわかりません。王のため、民のため。魔王の討伐が必要だと教え込まれた故に」
「それはとんだ間違いだな」
「それはあなたが魔物だからでしょうか?」
「まさか。必要だと教え込まれたとかではないだろう? ただ、魔王の座がほしいか、それほどの名声がほしいか。どちらかだろう」
「名声は認めましょう。あって損するものではございません。しかし、魔王の座は残念ながら必要ございません。そんなもの、必要ない」
「では問うが、その間魔王の座はどうなると思う」
「失わせますよ。すべて」
「ま…まてよ! 話を俺にも加えてくれよ!」
「なんだ? イリス」
じっと黙っていられなかったのだろう。
リルと話していると、イリスが大きな声を出して話を止めた。
どちらに話があるのかとみてみると、睨みつけてきたのはもちろん俺のほうだ。いろいろ怒られるだろう部分がある発言をした自覚はあるからこそ、イリスの言葉が楽しみだった。
「シレーナは、魔物の共存が目的だったんじゃないのか!? 今の話を聞いていると、真逆のことを言っている!」
「それは話に聞いたってだけだろう? 別にそのことに対して肯定を俺はしていない。どこかで噂を盛られたのだろう」
「…うそだろ…」
聞いていた話と違うことを知ったその嘘に、イリスは力なくしてゆっくりと膝を床につけ、座り込んだ。
その姿を見たアマシュリが、後ろから俺の袖を軽く引っ張ってくる。振り向くと、かわいそうな瞳でイリスを観ながらテレパシーが入った。
(何をお考えなのですか。かわいそうで仕方がないのですが…)
(まぁ、ね。なんか、気づけば口がベラベラしゃべっちゃったよ。っていうか、リルが気づいてくれないからさ。ちょっと拗ねた)
(どういうご関係なのですか?)
(…遠い従兄…?)
(…はい?)
(父さんの従弟の息子だよ。言っておくけど、相当強いからね)
(…じゃあ…じゃあなぜ敵意むき出ししてるんですか! 勘弁してくださいよ…)
深くため息をつきながら、アマシュリはゆっくりとルーフォンの隣へと足を進め、後ろへと隠れてしまった。
少なくとも、俺の後ろが危険だと感じてしまったのだろう。喧嘩をするなら、リル兄と俺だからだろうか。
「許さない…」
「あ?」
ショックを覚えていただろうイリスが、ゆっくりと立ち上がり、俺のほうをキッと睨みつけ、武器を片手に持ち出した。
リルも、武器を取り出すとまでは思っていなかったのか、少しだけ驚いている様子が見られた。声をかけてはいたが、イリスは聞こうとはせず、戦闘態勢に入ったまま、ゆっくりと俺に近づいてくる。戦意があることに気付いたアマシュリは、ルーフォンの前に出、その武器とイリス自体の動きを拘束魔法にて喰いとめた。
身体自体がうまく動けないイリスは、ゆっくりと瞳だけでアマシュリを見た。その瞳が、既に殺すことしか頭にない魔物のような瞳だった。その瞳にアマシュリはびくつき、身体を固めてしまう。その反動で、拘束魔法が少し弱まった。
「ユンヒュ魔術を…っ」
ユンヒュに魔術で拘束してもらおうと思ったが、先にリルの手により、サイレント魔法をかけられ、術をかけることがうまくできなかった。しかし、アマシュリの後ろにいるルーフォンは別だった。
得意というわけでもない拘束魔術を、イリスではなく補助をしていたリルに向かって引っ掛ける。逆上させた俺にイリスをどうにかさせろと言いたいのだろう。
自由になったイリスは、目を向けたアマシュリではなく、一直線に俺へ向かって走り出した。しかし、俺とアマシュリは、イリスやリルではなく、別のものに気を取られることになった。
(魔王様。アマシュリ。ご報告です)
(シェイルか…どうした)
シェイルから入ったテレパシーに、投げられた鎌の鎖をつかみ、イリスと鎌の引っ張り合いを行いながらも、返事を送った。
(申し訳ございません。檻に閉じ込めていたキーツが、警備を数匹殺して逃げました。ヴィンスとともに追っておりますが…)
(あの馬鹿魔物が…。で?)
(方角が、この間魔王様がおっしゃっていた半魔の子がいる村のほうへ…)
(なんだとっ…メッシュか)
報告に一番反応したのは、アマシュリだった。
睨みつけられた恐ろしさは消えたのか、再度イリスに向けて拘束魔法を使用し、口を開いた。
「シレーナ。今は…」
「わかってる。こんなことにしてる暇じゃねぇって言いたいんだろう!?」
「なにがあった」
あせった様子を見せた俺とアマシュリに、ルーフォンが冷静に口を開いた。
「とりあえずここを出る。ある村へ向かうぞ。その間に話す」
引っ張り合っていた鎌を、戻す様にイリスのほうへ放り投げて戦闘放棄し、背を向け外へと足を進める。それに、アマシュリもルーフォン、ユンヒュが追うように走りだした。
逃げ出す俺らにリルは、廊下へと足を進めた俺の両足を一瞬拘束させ、転ばさせる。
気付いたルーフォンは、リルへ攻撃を開始することなく、俺を担ぎあげ、外へと向かって走り出した。
ここで反撃を行ったところで、何が変わるわけでもないからこそ、その行動は正しかったのかもしれない。しかし、リルもイリスも、様子が変わった俺らを軽々と逃がす気はなさそうだった。
外へ出た瞬間、広く暴れられる場所を狙っていたかのように、俺ら全員を拘束した。その反動で、担ぎあげていたルーフォンの腕から、俺は地面へと転げ落ちる。
「逃がすか。話を聞かせてもらおう。どこへ行く気だ?」
「…」
言ったところで、逃げる口実だと思われても仕方がないし、本当に助けにいくつもりなのかを疑われそうだった。
ルーフォンの腕から落ちた俺は、ちょうど地面に手をつけていた。
拘束されるからと言って、魔法が使えないわけではない。にやりと頬を上げると、それにアマシュリが気づき、テレパシーでストップをかけるが、その言葉は抵抗があるのか少し弱めだった。
(だめですシレーナ。それは…さすがに)
(世の体裁と、村の安全どちらが大事かは、アマシュリが一番わかるだろう? 今は急ぎだ。いちいちあいつらを説得なんかしたくない)
(…)
ゆっくりとあの時の感覚を思い出す様に、地面に魔力を込める。
その姿に、ルーフォンも気づいたのか、少しだけ残念そうな眼をした気がする。
魔法が発動され、地面へ腕が喰い込む。あまり大きく動けない手の中に、探していたものをつかむ。拘束魔法のせいで、あまりうまく発動はできないものの、4体を運ぶには、こいつを召喚する必要があった。
つかんだのは、鋭い角のようなもの。しっかりと握り、徐々に地面へ這い出ようとする動きを手伝う。
拘束魔法に抵抗し、力を振り絞って叫ぶ。
「みんなうまくつかめよ!」
引き出されたその召喚獣が、地面から飛び出し、天へと向かって突き出てきた。
うまくユンヒュもアマシュリもルーフォンも背に乗る。
「なっ…なんだこれは…」
「り…龍…?」
地面から足を離し、既に高い位置に出たその召喚獣を見ながら、リルとイリスは絶句していた。
召喚させたのは、2本の角を持ち、大きな口。細い眼に、硬く蒼い鱗。体長100メートル以上ある、龍の召喚獣だった。
リルの気がそれたおかげで魔法は弱まり、そのすきに拘束魔法を無理やり引き剝がすが、いろいろとみてきているリルは、すぐにイリスに何かを命令した。その瞬間、いきなり召喚獣が大きく叫び出す。何かと尾のほうを見ると、イリスの鎖がしっかりと絡まられ、それを頼りにイリスが這い上がってきていた。リルはというと、自分の背に魔物独特の翼を生やせ、イリスを庇うように後ろからついてきていた。
いちいち対応している暇などない。一刻も早くメッシュの村へと向かわなければならない。
「何があった」
ルーフォンが、俺の近くまで恐る恐る這ってきては、ぼそりとそう聞いた。
シェイルからのテレパシーの詳細を軽く話すと、驚きながらも、ユンヒュに伝えるためにゆっくりとユンヒュのもとへと進んでいた。
地上の人間に見られるわけには行かず、少々高度を上げ、できるだけ雲に隠れるように進んだ。
ようやく這い上がってきたイリスは、落ちないように気を付けながらも、こちらの方へと向かってきていた。先にリルが俺の近くへと向かってくる。
「どこへ向かう気だ!」
「…うるさいな」
最初は別に魔王だと、気づかれなくったっていいと思っていた。でも、徐々に話すにつれて、シレーナという魔物を警戒する様子が見えてきていた。だからこそ、自分が魔王だと気づいてほしくなってきたし、リルだったら気づいてくれるとどこかで信じていた。
突き刺さる風が痛い。高度が高い所為で酸素がうまく吸いきれなく、だんだん召喚獣につかんでいるのが疲れてくる。魔物の俺でこれだ。人間であるルーフォンやユンヒュは、もっとつらいだろう。
以前出した狼のように、地上を走るわけではない。それ以上にスピードが速く、すぐに着くとは思っていたが、疲れてくると、だんだんと時間が長く感じてくる。
しかし、今俺が倒れるわけにはいかない。後ろを振り向くと、つらそうにしがみついているアマシュリや、普段の表情ではあるものの、疲れが少々見えるルーフォン。もともとつらそうなユンヒュの姿が目に入る。勝手な行動のせいで、仲間を苦しめている。申し訳ないとは思う。だからこそ、一刻も早く村へと付かなければならない。
スピードが出ているおかげで、地上を歩いていた時の暑さがないのだけはありがたいが、逆に寒すぎるくらいだ。
「シレーナ。そこだ」
ルーフォンが指をさす方に、少しだけ高度を下げ、村の人たちに見えるかどうかというぎりぎりまでおろすと、何の合図もなく召喚獣を元の世界へと帰還させた。
「えっ…ちょっ…」
もちろん、そんなことになるとは思っていなかった一同は、そのまま地面へと落下する。
地上に見えるのは、魔物が魔物と戦っている姿。その奥の方に、楽しそうな表情をしているキーツの姿が見えた。まだ戦いが始まって間もないのだろう。死体が転がっている様子はなかった。
魔物たちがこちらに気づいていないのをいいことに、村の魔物とキーツの魔物の間に壁を作るよう、水の柱をいくつもの数を振り落とし、その柱をつなげて壁にする。その柱を村全体を囲うように落とし、同じようにつなげて村を水の壁で、ドームのようにすべてを囲う。
運よく落下が間に合い、その壁に俺らは腰をおろし、キーツの魔物側へと滑って落ちていく。
村のほうから、ちょうど「勇者様!」と叫ぶメッシュの声が聞こえてきた。その声に村の者が気づき、大きな声援がこちらへと飛び交ってきた。
「どうするのかと思いましたよ…」
隣でため息をつきながらアマシュリがそうつぶやいた。
「もちろん、俺も考えてなかったよ」
そう笑いながら答えると、相変わらずと言わんばかりにもう一度ため息をつかれた。
アマシュリの方に手を触れ、村の内側へと追いやる。
「シレーナ?」
「お前は中で待機。よろしく」
「…ご無事で…」
「任せろ」
中に入って行ったアマシュリのもとに、メッシュが走って寄ってきているのがわかる。
感動の再会。を今行っている暇はないのだろう。一度抱擁を交わすと、再度こちらへと顔を向け、声をかけてきた。
「来てくれるって…信じてました」
「…ありがとうメッシュ」
うっすらと微笑んでみせると、少し不安そうな顔はしているものの、優しく微笑み、首をかしげて見せるメッシュ。少しだけ成長している姿がわかる。
もう一度キーツたちのほうに向かうと、隣にリルが舞い降りてきた。
「どういうことだ」
「要は、村が魔物に襲われてたから、助けに来たってわけ」
「お前はどっちの味方だ?」
「味方? 俺は悪い方にはつかないよ」
「じゃあ、魔物だろうと正当な方につくということか」
「そういうこと」
「じゃあ、この村の者が悪さをして仕返しで襲われてるとしたら?」
「少なくとも、今の現状は違うのを知っている。敵でね」
リルと早口で会話を終わらせると、再度キーツのほうへと向きなおす。すると、視線が合い、もういいのだという合図と認識したのか、ゆっくりとある程度の距離まで近づいてきた。
「お久しぶりです。勇者様?」
「久しぶりだなキーツ。誰の指図だ」
「指図だなんて。相変わらず口が悪いな。俺はあのお方のために戦わなければならない」
「あのお方…?」
はじめて出てきた第三者に、ルーフォンも反応した。
少なくとも、城で話したときにはそんな話は一切なかった。しかし、もともとその「あるお方」のためにこの男は動いていたのだろうか。それとも、抜けた出した際にその「お方」と会ってしまったのだろうか。
これはもう、考えても分からないこと。久しぶりにアマシュリを動かす必要がある。
水結界の中にいるアマシュリのもとへと向かい、頬を両手で包むように優しく触れ、顔を近づける。熱を計るように、額同士をアマシュリと触れ合わせる。何をする気かとアマシュリは一瞬構えてはいたものの、そっと目をつむった俺に合わせるように、おとなしく眼を伏せた。
持ってきた本に書いてあったことを思い出しながら、ゆっくりと
(いいアマシュリ…今から言うことを行ってほしい…)
(……なっ…)
すべてをテレパシーにてアマシュリに伝えると、わかりましたと一言返事が入り、ゆっくりと村の中へと紛れ込んでいった。きっと、情報を得るまで戻ってくることはないだろう。無事で戻ってくればいいのだが。そう祈りながらも、ゆっくりと口を再度開く。
「どのお方のことを言っているのかは知らないが、人間の村に無意味に手を出すことは許さないぞ」
「ほぉ。奇麗事を。今回は、どういうズルをして勝とうと思ってるんだ?」
「何言ってるんだ? ズルも実力の内だろう?」
その言葉がスタートになったのか、周りの魔物が俺らに向かって、攻撃を仕掛けてくる。その中に戻るように、キーツがゆっくりと後ろへと戻って行ってしまう。
キーツが今生きているのは、俺がとどめを刺さなかったから。もちろん、できれば今回も息の根を止めることはしたくはないが、村を狙ったのは許せない。場合によっては、殺してしまおう。
いつの間にか握っていた拳に気付き、ゆっくりと肩の力を抜き、落ち着いてからキーツのもとへ走って向かう。それを食い止めるように、どこかの魔物からか魔法弾が集中的に向かってきた。しかし、それを珍しく見越していたユンヒュが、俺の周りに魔術で作成されたバリアを張った。
しかし、連続の攻撃に耐え続けられるものではなく、数回食らったのちにそのバリアは崩された。それを再度作り直すほど、ユンヒュ側にも余裕はない。うまくかわしながらも、先へと進む。
後ろの方から、ルーフォンが俺の行動をカバーするように、殺さない程度に魔術を使ったり、剣で魔物の相手をしていた。リルはというと、イリスを担ぎ、攻撃範囲に入らないように遠くの方から観戦していた。
キーツのもとへと着くのはそう時間がかかるものではなかった。
にやりと口元をあげているキーツにいらだちを覚え、こちらから拳で攻撃を仕掛けた。
避けられるのはわかっていた。その腕をつかまれるのも分かっていた。つかまれた腕をつかみ返し、その腕に自分の身を任せるように体重を欠け、地を蹴ってキーツの腹部を狙って、全身の勢いで蹴りを入れる。ふらつきはしたものの、仕掛けた足をつかまれ、勢いよく森のほうへと放り投げられる。
頭を庇いながら木々へと身をぶつけ、勢いをなくす。
「どうした? 弱いな。魔術も使わないのか?」
「は…っ、お前に魔術が利くかよ。様子見だ」
「強がるなよっま…」
笑いながらも、魔王と言おうとする言葉に身体が先に反応した。
地を蹴り、俊足でキーツのもとへと戻ったとともに、右手でキーツの口を握るようにふさぐ。そのスピードについてこれなかったキーツは、されるがままに、ふさがれる。が、足の勢いは思ったよりもストップが利かなかったようで、延長線にあった木に、キーツの背中が勢いよくぶつかり、止まった。
しかし、すっかりその時には忘れていた。
キーツの能力を。
つかみ、口をふさいだのはいいものの、それを見越していたかのように、キーツの手が俺の額へと延びてきて、握りつぶす勢いでつかまれる。
「っ…!」
その腕をつかんでいないほうの手で振り払おうとした瞬間、何かが額に流れ込んできた。
俺は、この感覚を知っている。
以前にも、まったく同じような魔法にかかってしまったことがあった。しかし、あの時はアマシュリがどうにかしてくれたものの、今はもう。
「シレーナ!」
遠くからルーフォンのどなり声が聞こえた。
以前にもあった。この魔法に少し耐性がついたのだろうか。前回のように、負の思考へと陥ることがなかった。いや、少し効果はあるものの、ルーフォンの声によって引き戻されたようだ。
ニヤッと口元を上げ、口ではなく逆の手で首を握り、ふさいでいた手を使って思いっきりキーツの頬を数回殴りつける。
「ばーか。こっちはもう、一回食らって感覚わかってんだよ」
周りからキーツへの加勢のように俺へと、さまざまな魔法弾が向かってきた。それをかわす様に、地を強く蹴り、後ろに避け続け、キーツのそばから少しだけ離れる。
キーツとその付近にしか気が回っていなかった。いきなり村のほうから大きな爆発音が聞こえ、見直すと、水結界は崩壊され、村のほうから火の気が立っていた。その現実に足が止まり、眼を見開いて呆然とその様子を眺めてしまう。
「な…に…?」
「結界とはいえ、数度の強力な攻撃を食らえば、崩壊するのはわかっていただろう?」
馬鹿にするように口元を上げ、腕を組みながらキーツが楽しそうに口を開いた。
だから気をそらすために、進んで俺の相手をしていたということか。
「引っかかったってことかよ…」
キーツのことをどうにかしようと考えすぎていたようだ。
村のほうからは当たり前のように悲鳴が上がる。たくさんの人間の声。罪もない人の声。
心の奥底から何かがこみ上げてきている。どす黒く、どこか懐かしい感覚が。
悲しみ。苦しみ。寂しさ。悔しさ。
どれも当てはまらないこの黒いもの。
殺意。
しかし、今はそれをむき出しにしてはならない。冷静に、できるだけ多くの人間を助けなければならない。
キーツのことを無視し、そのまま村のほうへと走り出し、ルーフォンの後ろへと庇われるように向かう。すっとしゃがみ、地面に手をつけ、今持っているほとんどの魔力をその地へ送り込む。
無防備となり、この体勢で感づいたルーフォンは、こちらを見ていた目をむきなおし、俺を守るように魔物の相手を行う。
魔法で水を作成して村へ投げ込むことは可能だ。
しかし、逃げきれていない人間や魔物が多い中でそれを行うと、大きな被害が待っている可能性が多い。
力強い水により弱り切った建物が倒れてしまう。もしくは、中に逃げきれていない者を傷つけてしまう可能性もある。
微妙な強弱をつけられない自分が腹立たしい。
両手で数本の鎖をつかむと、それを力強く引きずり出す。
その引きずり出された獣に、キーツ側の魔物から聞こえてくる声。初めてみると、やはり驚くものだろう。
両手で出せる限界は、4匹みたいだ。
その4匹を村へと送り込み、人間を運ぶように命令する。人間たちも、黒く恐ろしい姿をした狼に驚きはしたものの、勇者が出した獣だからと、現状を早めに理解してくれたみたいだ。救出しようとする召喚獣に、おとなしく従う。
4匹だけでは足りない。もう一度しゃがみ、同じ作業を数回繰り返した。
しかし、その作業を3度行い、12匹の狼を引き出した瞬間、膝に力が入らず、そのまま地へと膝が落ちてしまう。
「くっ・・・」
思っているよりも魔力が消費されているようだ。
腕で体を支えてはいるものの、ガタガタ震え、弱ってきているのがわかる。しかし、今あきらめるわけにはいかない。ゆっくりと村のほうへと顔を上げると、キーツ側のほうから、追い打ちをかけるかのように、再度大きな炎玉が放り込まれる。
食い止めようと腕を伸ばし、結界を作ろうにも、魔力の溜めに時間がかかる。
舌打ちをした瞬間、その炎は上空で何かとぶつかり、消滅してしまった。
何があったのかと、ゆっくりと出所を探すと、村側の上空にリルが堂々と飛んでいた。リルだ。
風魔法が得意なリルは、その風を利用して炎を打ち消したのだ。
「リル…」
「観戦だけかと思ったから放置してたって言うのに…進んで戦場に入るとはな!」
キーツが楽しそうにそう叫び出した。
馬鹿だなと内心思う。俺に勝てないというのに、リルに勝てるわけがないからだ。リルの力を知らないから言える言葉なのだろう。
ゆっくりとキーツのほうを見ると、リルに気を取られているだろうキーツの後ろにこっそりとイリスが鎌を持って立っていた。ゆっくりと振り回し、力強くキーツに向かってナイフのほうを投げつけた。
キーツの頬すれすれを横切り、キーツの視界へとナイフが入る。外れたかと思ったが、もともと外れるように投げていたみたいだ。伸びるところまで伸びた後、勢いで戻るナイフは、かすかにキーツの前に揺れ、遠心力が働き、その鎖がキーツの首に巻きついた。
避けるのが遅れたキーツは、その鎖に手を伸ばし、必死に引きはがそうとする。が、そう簡単に壊れるような安い鎖ではないみたいだ。
「ちっ…邪魔をするな!」
逆に引っ張らさっていた鎖をつかみ、グイっと引っ張り合う。しかし、こちらからは見えていた。魔法弾がもう片方の手で作られているのが。
見越したリルが、その魔法弾を崩す様に、小さな弾を数弾打ち込む。
消えたことにより、再度舌打ちをするキーツは、リルのほうへと向くが、その瞬間イリスのほうから鎌が飛んでくる。
視界に入っていたのか、しゃがんでぎりぎり避けるものの、体勢を崩したキーツはそのまま転んでしまう。
キーツはイリスとリルに任せ、再度地に手を当てて召喚獣を呼び出す。
16匹目。
指は鎖をつかんだというのに、腕に力が入らず引きずり出すことができない。
その様子を見ていたメッシュが俺のもとへと近づいてきて、同じく地に手をつける。
「勇者様! どうすればいい? どうすれば引き出すの手伝える!?」
「メッシュ…俺の腕を引いてくれないか? 力が全然入らなくて…」
「うん! 任せて!」
真剣な瞳のメッシュは、埋まっている俺の腕をつかみ、グイっと引っ張ってくる。
半分魔物の血が入っているからか、子供では考えられないほどの腕力がある。
手を離してしまわないように、鎖をしっかり握りしめ、メッシュの腕力により土から引っ張り出される。
「う…うわぁ…間近で見るとほんとすごいね…」
待っていましたと言わんばかりに勢いよく飛び出した狼に、引っ張った力の勢いで後ろに座り込んでしまったメッシュは、にっこり微笑み、楽しそうに声を出した。その頬笑みを返す様に、うっすらと口元を緩ませる。
こんな状況を楽しんではいけないはずなのだが、どこか安心してほっとしてしまい、召喚獣という獣が面白いものだと感じる。
「敵に背を向けるとはいい度胸じゃねぇか!」
キーツの叫び声が聞こえ、気を引き締め振り向くと、魔法弾が数弾こちらに向かってくる。
メッシュが。
まだ逃げきれていないメッシュを引き寄せ、自分の腕の中に閉じ込めるように抱きしめ、その魔法弾に背を向ける。
逃げたり対抗したりする体力なんてないし、魔力もほぼ尽きている。後は消耗するだけだ。だったら、この身を呈してでもメッシュを守り通さなければならない。
「勇者様!」
ギュッと目をつむり、衝撃を想像する。その想像なんかよりはるかに強い衝撃が、数弾俺の身体を突き刺してくる。
「…っ」
焼けるような痛みと、動かない身体。
流れる血。
すべてが生温かかった。
「…ゆ、しゃ…さま…」
かすかに聞こえるメッシュの声。
遠くからも、ルーフォンの声。ユンヒュの声。村の人の声。
だんだんと、遠のいていった。
(あ…もう、死んじゃうのかな…?)