第20話
「おい」
「ん?」
「もうそいつ…シレーナは寝たのか?」
「うん」
見張りをしていたルーフォンが、小声で俺に話しかけて来たのは、ユンヒュからルーフォンが交代し暫くしてからだった。
薄ら起きていたのに気づいていたのだろう。シレーナを護るように、ユンヒュやルーフォンのほうに背を向け、しっかりと見つめている中、俺の背中に寄りかかるようにルーフォンが座っている。
何か気になることがあるのだろう。しかも、ずっと考え込んでいたような何かを。
「お前、魔王に仕えているのか」
「……やっぱり聞こえてたよね」
「まぁあんだけ大声を出されれば」
溜息のようなものを吐く。
すっかり忘れていたが、街に着く前に遭遇した魔物が魔王の城に仕える情報魔というのを、しっかりと暴露されてしまっていたのだ。いままでにもいうタイミングがあったというのに、なかなか言ってこないから、忘れてしまったか、よく聞き取れていなかったのだろうと勝手に思い込み、同時に忘れてしまっていた。
魔王に仕える者として、敵意を見せるつもりだろうか。しかし、弱いというのをしっかりと知っているはずだ。別に改めて戦闘態勢に入らせる必要などなかっただろう。
「で? 何が言いたいんだ?」
「勇者のことでも、魔王に告げ口しているのか?」
「最初に言っておくけどシレーナは、魔王に仕える魔物だっていうのは知っているよ。あと、質問の答えだけど、してるよ。そのこともシレーナは知っている」
「知って? 知ってて一緒に居させているのか」
「言ってるだろう。別にシレーナは魔王を潰すことだけが目的じゃない。もちろん、理不尽な理由で魔王を潰すつもりなら、いつだって敵に回るよ」
しかし、シレーナは魔王で、魔王はシレーナだ。刃向かうも何もない。
でも、このまま魔王の元までシレーナが向かわなければならない状況にあった場合、どうするつもりなのだろうか。
きっと、魔王のことだから一切考えていないのだろうが、今後もこんなダラダラ街を歩き続けるわけにはいかない。勇者となったのであれば、人間は魔王に向かってくれるものだと思っているし、そのために各国から税金で勇者の諸経費は賄われている分、避け続けるわけにはいかない。
税金で賄われていること自体知らないだろうが、元々贅沢をする性格じゃないから、特別言ってはいないのだが。
「どういうつもりだ?」
「そのままの意味だよ。敵でもあり、味方でもある」
「本当、性格が変わるよな」
「え?」
「シレーナと俺の前」
「当たり前だろう。シレーナは大切なんだ」
「それは表面上でか?」
ルーフォンの前と魔王の前で違うのは当たり前だ。
魔王だろうがシレーナだろうが、人間が思っているほど魔王は、凶悪な性格をしているわけではないというのに、“魔王”という名前なだけで、勝手に悪者だと思っている。人間は魔王に会おうとはしない。会おうとしていたとしても、敵意むき出しで、話し合うだなんて思考は一切ない。
長い間、魔王の観察を続けた。その所為で入り込んだ感情は、抜けることなんかなかったし、抜くつもりもなかった。
表面上で慕えるものだったら、最初からそうしていたし、もしそうだとしたら、こんなところまで付いてや来なかった。それに、束縛されるのが嫌だと最初に伝えた時点で、あの返事が来ること自体、人間が考えているような“魔王”である限り、ありえないだろう。
「そう思うか? 表面上だけで、ここまで危険承知の旅についてくるとでも?」
「魔王の言うことは絶対じゃないのか」
「そう思い込んでいるのは人間だけ。人間だって、国王の言うことが全てじゃないだろう? それと同じ」
「じゃあ何故そんなにシレーナに執着する? それは魔王への反抗にならないのか」
「反抗? なぜ? 魔王もシレーナに執着しているのを知っている。言っておくけど、魔王は人間が言うような魔物じゃないよ。会ってみたい?」
「…そう簡単に会えるものではないだろう」
「そうだね」
簡単に会えるわけがない。
それにシレーナが一緒だとなると、コピーはそう簡単に動かせるものではないという。そんな状態の魔王に会わせるわけにはいかない。
こんな話をしていると、魔物の土地の森から二匹の魔物の気配がする。しかも、よく知っている気配だ。何故こんなところに。しかも、どうして…。
身を起こし、魔物の土地側にいるルーフォンの前に出て、その気配に集中する。護るためにも、ルーフォンを背にした。
眠い目も、すっかりこの気配で覚めてしまった。
「どうした」
「シッ…」
声を出すルーフォンに、人差し指を自分の唇にあて、黙っておけとジェスチャーで表す。
今の状況が理解できず、とりあえずユンヒュが大人しく寝ていることを祈る。
なんて言ったって、何度もシレーナに向かってテレパシーを送っているというのに、一切返事が来る様子はない。むしろ、気付いているというのに、わざと反応しないかのような感覚だ。
警戒していることに気付いたルーフォンは、姿勢を低くし、寝ているシレーナを護ってくれるみたいだ。しかし、その握っている剣でシレーナを、反射的に殺さなければいいのだが。
じっと待っていると、その気配は迷うことなくこちらに向かってきている。だからこそ余計にわからない。ついには、森のほうから草や枝を踏み、折れる音が二匹分聞こえてくる。向こうも、気配を消すつもりも隠れるつもりも、離れるつもりもないみたいだ。
森の中からゆっくりと見える影。その姿がしっかりと、月の光を浴びた時、ただでさえ反射する金髪の長髪が目立つ。その反面、片方の黒髪は、しっかりと影にはいりこんでいる。
はっきり姿かたちが認識できるくらい目の前まで来ると、時間が止まったかのように動けなかった。しかし、このままの体勢でいるわけにはいかない。
ゆっくりとしゃがみ、闘技場でルーフォンがシレーナに見せたように、左ひざを地面につけ、右ひざを立ててその上に左手を乗せ、頭を下ろす。
「その姿は…」
後ろにいたルーフォンも気づいたのだろう。
堂々とした姿と、金髪で長髪。
ユンヒュから伝えられていた魔王の側近。それに俺の体勢から、目の前にいる子供の姿をした魔物は魔王だと。気付いてしまった。
剣に手を乗せ、いつでも引ける準備をしている。戦闘態勢に入ってしまった。それを横目で確認した後、再度魔王のほうを見る。すると、ため息をついて上着の中に手を突っ込み、何かを取り出してきた。それは、古びた一冊の太い本だった。タイトルはうっすらとしか見えないが、『魔法と魔力』と書かれていた。
城に精神を持っていったのはいいのだが、気になる本を見つけてしまった。しかし、それをずっと城に置いておきたくないか、旅をしている最中にも読みたかったのか、本を直々に持ってきた。ということだろう。
他の者に持っていかせたくなかった。もしくは魔王の姿できちんとルーフォンを見ておきたかったか。どちらかだろう。
(いや、後者だろう)
少しあきれながらも、その本をしっかりと受け取る。すると、ちらりとシレーナの姿を目だけで見ては、もう一度こちらを向く。
「責任もってお渡しさせていただきます」
言うと、うんと縦に首を振ってゆっくりとうなずき、一歩下がっては、こちらに背をむけ森へ向かって歩き出した。
少し間をおいて、冷たい瞳をこちらに向けていたシェイルも、ゆっくりと魔王の後ろをついて行った。やはり口を開かなかったか。今口を開いたら、声質でばれると思ったのだろう。
気配が遠ざかり、気にならなくなるくらいになると、ホッと肩の力が抜け、その場に座り込んでしまう。後ろからルーフォンが近付いてきて、優しく肩に手を乗せてきた。
「今のが…魔王」
「あぁ。なんか、いきなりのことでびっくりしたけど…。本当いきなりなんだもんなぁ。会えてよかったね魔王に」
勇者だと気づかずに魔物の土地で暴れるために、城から出たときだって、名目は俺に会うつもりだったみたいだし、シェイルから連絡が入った時は、驚かせるつもりだったのだろうと思った。
でもどうして今回は一切の連絡をしてこなかったのだろう。いきなりなのはいいけれど、顔を合わせてからでもテレパシーに反応してくれたっていいだろうに。それとも、何かに操られているとか…。
(それはないな。うん。きっと)
あってほしくないという願望の元、ゆっくりと立ち上がり、シレーナの寝袋の中にその本を詰める。
そして、再度ルーフォンの方に振り向くと、ジッと魔王が消えた森のほうへ顔を向けていた。もう一度会いたいのだろうか。それとも、想像していない姿だったのだろうか。
「あれが魔王。想像とは…」
「違うだろう?」
「あぁ。違いすぎる。殺意がもっとあるものだと思ってた…」
「本を渡しに来ただけだもん。無駄な争いを嫌うからね。したとしても、敵味方関係なく、理不尽な方には味方にならない」
「…どっかの誰かに似てるな」
そうため息をついて、ようやく肩の力を抜いていた。
わかったのだろう。
魔王とシレーナが、似ているということに。
「だから魔王はシレーナを敵視しない。敵だと認識してないよ。ほらっシレーナいい加減起きください」
「ん…」
すっかり向こうに入り浸りかけてしまった魔王の本体に触れ、頬を優しく撫でてやる。タイミングが良かったのか、ゆっくりとこちらに意識が戻りかけてきていた。体温もしっかりと戻り、瞼もピクリと反応していた。
先ほどのことをフォローするかのように、ごめんねと可愛くテレパシーを送ってくれるものだから、怒るに怒れなくなってしまった。何度かシレーナの名を呼び、しっかりと目を覚まさせる。
目を擦りながら身体を起こすシレーナは、胸元にあった本に気付き手を伸ばす。
「これ…」
「たった今魔王様がいらしまして、シレーナにそれを」
「あー。来たの…。ん? ルーフォン起きてたのか。じゃあ魔王を見たのか?」
「…あぁ。お前らは知り合いなのか?」
「知り合いというか悪友というか、親友というか」
「は?」