第19話
目を開けると、破壊されかけていた壁はすでに直っており、見慣れている一室だった。
近くには、一匹の感じ慣れた魔物が、壁に寄りかかりながらも目を伏せている気配がした。少し動くと、空気の流れが変わったからか、その魔物は目をぱちっと開き、壁から背を離す。そして、動いたのが俺だとわかり、ホッとしていた。
警戒心だけは怠らない。だからこそ、こうして任していられるのだが、少し動いただけでわかるだなんて思わなかった。暫く寝ていないのだろう。クマができていたり、眠そうな表情をしているわけではないが、今の現状そうとしか思えない。
寝ていたとしても、碌な睡眠ではないのだろう。いつか体を壊してしまわないか、不安になってしまう。
勇者となるため城を出る前からだって、寝室で寝ていても、その扉の前で立ち、不逞な輩が入ってこないかを、警戒していたような気がする。あまり気にせず夢に入ってしまうから、今となっては不憫でならない。
確かにあまり警戒心が強いほうではない俺でも、いざ襲われそうになったら起きる自信はある。それはこの魔物。シェイルにもわかっているはずだろう。
「戻られましたか魔王」
「シェイル。暫く寝ていないんだろう? ちゃんと寝室で寝ろよ」
「いえ。魔王に何かあったら…」
「別にこれコピーだし…。それに、いざ俺の本体が近くにいるときに、倒れられても面倒だろうが。馬鹿者。いいから寝てしまえ」
「しかし、せっかく魔王とお話ができると言うのに」
今までだって、いやというほど話はしてきていただろうに。
ただここ数日。いや、宝石により、苦しんでいた日付を含めると、それなりに日付は経っているものの、城を抜け出しているときも、このくらいの日数を離れていたと思う。
日にちを数えていると、扉に数回ノックが入る。
シェイルが向かい、一匹くらいしか通れない広さに開け、誰が来客かを確認すると、知っている者なのか扉をきちんと開けてやった。するとその奥から、人間の土地で見つけ出したのだろうメイド服に、雑巾が掛けられ、モップの先が入っているバケツを片手に、楽しそうな表情で入ってくる女。
「おっシュンリンじゃないか」
「あら魔王様。お目覚めでしたか」
シュンリン。それは、懐いているこの城の掃除係だった。
リベリオに負けないほど変な女だ。
肩ほどしかないストレートっぽい髪が、毛先のみ内側にはねるようにカールしている。それがセットなのかどうかまでは判明できていない。ちょっときつめに見えるツリ目だが、薄い唇がどうしてか冷たく見えるはずなのに、優しげに見える。細い首筋に、メイド服。そこからちらりと見える胸は、大きすぎず小さすぎず。綺麗な肌。
露出は多くなく少なくなく。ほどほどにある露出具合が、そそられる。
しかし変人。
メイド服を調達しに、人間の土地へ足を踏み入れる。確かにそこは人の好みであり自由なのだが、どうしてわざわざメイド服なのだろうか。普通に動きやすい恰好にすればいいのに、メイド服を心より愛するところが、玉に瑕。そこが変人だと言われる一つの原因だった。
「目覚めた目覚めた。これからどこ掃除行くの? 手伝う手伝う」
「ご機嫌ですね。何かいいことでも御有りですか?」
「ナイナイ。無いから探しに行きがてら、シェイルの休憩。というわけで俺は席を外す。戻ってきたら寝込み襲うから、寝室でぐっすり寝てろよ」
「寝込み襲われるのは勘弁を。しかしどこに向かわれるおつもりですか?」
「それはシュンリン次第! 何かあったらシュンリンに護ってもらうからいいよ。寝てろ」
ほぼ命令するように、シェイルに睡眠時間を提供する。
反対したがる様子のシェイルを放置し、シュンリンとともにその場を離れた。
向かった先は、いったん一室を離れ、調理場のほうへの道へ進んだ後、調理場を抜け、今にでも崩れそうな、滅多に使用しない階段のほうへと足を進めた。滅多に使用しないというのに、シュンリンの手によりきれいにされた手すりや床。壁や天井は、なかなか住みやすい環境が整っていた。
光が通らないところにも行くシュンリンは、電撃魔法が得意で、その電流を手のひらに集めて光代わりに使用する。足元に気を付けながらも階段を下り、奥へと進んでいく。
城から抜け出す際によく使用する通路だが、それ以外に使用しないため、あまり深いところまで知らなかった。しかし、隅から隅へときれいにしたがるシュンリンは、城の中で一番道には詳しい。
この城は、魔王と認識された時に、いい建物があるとシェイルが言い、連れてこられた建物だった。その時は、もう少し古臭くて、今にでも崩れそうなくらいボロだったのを、いろいろな魔物の手により、新築された。
そのため、もともと何に使用されていたのかも、だれが使用していたのかもわからない。だからこそ、あまり使用しないでいる部屋は、本当開くことがなかった。しかし、好奇心の旺盛なシュンリンは、気にすることなく部屋を解放し、掃除し、使えるように美しく仕立てた。実際、リベリオが愛用している調理場だって、シュンリンが初の扉を開き、綺麗に使えるようにしたのだ。
いまだ開かれていない扉はある。今回は、新たに扉を開けるため動いているとのことだった。
しかし、どうしてこんな深夜にやるのか。その理由はわからないものの、城のみんなは開かれる部屋のためにはと、その疑問は、夜行性だから。と思いこもうとしていた。
「へぇ。こんなところに扉なんてあったんだ」
「はい。もうここは開かれております」
「へ? そうなの? じゃあ別の扉に行かないの?」
「そのためにはここを通る必要があるのです」
「へぇっなんでなんで?」
「それは今からわかります」
シュンリンも楽しいのだろう、にっこりとほほ笑みながらも、足元に注意を向けながら、その扉を開き、進んでいく。そこは、暗く、シュンリンの光がない限り一歩も足を踏み入れにくい道だった。
しかも、ほぼ一方通行。
足元にだけ注意を払っていれば問題はない。しかし、いきなりシュンリンの高さに変化が起きる。
「この先下りの階段です。足元お気をつけ願います」
「はぁい」
一段下がった時の変化だったのか。
いきなりシュンリンの身長が、縮んだのかと思ってしまった。
しかし、ここは一階。ということは、この城には地下があったのだ。
日が一切入らないからなのか、どこかに隙間があるからなのか、空気の流れと気温が変わった。少し冷え込む感じだ。
下るにつれて、その冷え込みが少しずつ気になりだし、まだ下がるのだろうかとゆっくりシュンリンについていくと、ようやく平らな所へとたどり着いた。
すると、ホテルの廊下のように、柔らかいじゅうたんが引かれ、二人くらいしか並べない広さの通路。その左右には、交互に扉が付いていた。しかし、そのような扉に触れることなく、シュンリンは先へと足を進めていく。光を失わないように、周りが気にはなるものの、しっかりとついて行った。
廊下の壁には、古そうな絵画なども飾られ、途中には、花を生けてない花瓶が転々としていた。
何故こんなところにこんな空間があるのだろうか。少し歩くと、そのまま前と、右へと分かれ道になる。迷うことなくシュンリンは右に進んでいく。
何処へ向かうのかと、少し歩くと、突き当たりにぶつかる。左右に曲がるところがあるが、そこを迷わず左に向かう。すると、再び階段への扉がある。
再度階段を下り、途中で折り返すように左へ二度曲がり、また階段を下りていく。
また絨毯の上をまっすぐ歩くと、また右かまっすぐか。すると、次はまっすぐ進んでいき、突き当りの扉で足を止めた。
「ここです」
「…と、遠かったね」
「はい」
こんなにも地下が続くとは思わなかった。
しかし、他の扉を開いていないからわからないが、なんだか以前数人の何者かがここを利用していたのだろう。使っていた建物が何かの現象により、埋もれてしまった。そんな光景だ。
お目当ての扉をシュンリンが開く。
今まで見てきた扉とは違う。
魔王の間の扉のように、特殊な飾りがされており、しっかりとした取っ手。重く、力強く引かなければあかない扉。
ゆっくりと開かされながら舞ってくるのは、使ってこなかった証といわんばかりの埃だった。
あまりものひどさに、つい息を止め、数十歩下がってしまう。
扉の足元に何か鉄のようなものを挟み、扉が閉まらないように固定する。すると、ゆっくりと手元の電気を大きくし、その中を出来るだけ奥まで見えるように光らせる。
数度うなずき、こちらに振り向く。
「魔王様。せっかくですし、少しお手伝い願いたいのですが」
「ん? 何すればいい?」
「水魔法が得意でしたよね?」
「うん」
「床一面を濡らす程度に、水を撒いていただけませんか?」
「? うん。いいよ」
手を前に出し、手の平に魔力を溜めて水をイメージする。
一度、喉が渇いてこの水で喉を潤おせないか、実験をしたことがある。が、あれはやるものではない。
まずいとかではない。
味自体は普通の水なのだが、そのあと数分もしないうちにお腹を壊した。
魔力で作った水は、普通の水とは違うらしく、もう少し早めに知りたかったが、実験した方法が方法なだけに、一生魔法で作った水なんか、口にしないと誓った。
溜まった魔水は、手から流れ落ち、ゆっくりと床へ落ちていく。足元は通路と同じ絨毯だと思っていたから撥ねないものだと思ったが、この部屋は違っていたみたいだ。
魔王の間のように、下はフローリング。水はしっかりと撥ね、靴に触れた。ゆっくりと流れを作りながら床一面を薄い水で濡らしていると、シュンリンはバケツの中に入っていたモップの柄を掴んで取り出し、地面にモップをたたきつける。そして、ゆっくりと擦り始めた。
「そういえば、バケツ持ってきたならそれに水汲んでくればよかったんじゃ?」
「いえ。それでは足りません。もちろん、魔王が来ていただけれないのでしたら、そうするつもりでしたが」
「でもこんなに水いる?」
「はい。埃が多いところは、歩くだけで舞うので、水があればそんなに舞いあがらず、それで何より床を磨きやすくなります」
「ふぅん」
良くわからないが、とりあえず水があった方が良いようだ。
少し待つと、俺が入れるためにと、磨いた道を作り出してくれた。
それに、水を床一面に流させたのは、シュンリンの電気を、足元の水に流されるためでもあったみたいだ。一応道を作ってくれるときに、その部分だけは電気を流さないようにしてくれたが、周りの明かりだけで十分足元は照らされていた。
道を作っているときに見つけた椅子も、きちんと磨かれていた。そこに座ってくださいと言わんばかりに、そこに向かわせるような道も出来上がっていた。
この一室は、図書室のようだった。
奥の方までは暗く、どのくらいの広さなのかは認識できていないが、天井まであるんじゃないかと思われる大きな本棚に、ぎっしりと本が詰められている。
壁に並ばれている方の本棚の一か所に目が行く。その中でも、遠目で暗さのこともありあまり良く見えないが、何か惹かれる本があった。
シュンリンを呼び、そこまでの道を作ってもらい、その本を取り出した。
本も本で埃がかぶっており、掴んだ瞬間、埃が舞った。シュンリンが手を出すのでそれを渡すと、持ってきた他の道具により、その本は先ほどよりも綺麗になっていた。
昔は読まれ続けられていたのだろうか。
最初の表紙を開くと、角や側面に値する部分が、少し切れていたり、折れている部分が多々あった。
「魔法と魔力…か」
魔物にとっては初歩的な内容が記載されているのだろうか。
カバー題名から感じ取った言葉はそれだった。しかし目次を開き、読むことなく、最初のページへと開いていく。すると、教科書のように文字だらけというわけではなかった。
字よりも何かの図や、印に見える。その下には、獣のような姿をした何かがあった。
もう一度表紙を見ると、確かに『魔法と魔力』と書かれている。
表紙の次のページを開くと、普通であれば題名が再度書かれている。しかし、そこに書かれている字は、また別のものだった。
「これは…」