刀2(結婚式、苦情、浮気)
ふと気づいたとき、僕は平原にいた。青い空にはちぎれた雲たちが優雅に浮かんでいる。太陽が心地よい。春だろうか。
「ねえ、また会えたね」
ミサキが目の前で笑っていた。
「また会えた。嬉しいよ」
僕はミサキ見て微笑む。
「私と結婚してくれて、ありがとう」
「いや、僕はずっとそうしたかったんだ。君のことをずっと好きでいた」
ミサキは少し恥ずかしそうに頬に手をやる。
「あなたがちゃんと戦えるように応援しているよ」
「ありがとう」
「私はあなたの剣、あなたの盾、そして心を守るもの」
そう言ってミサキは僕に一歩近づく。
僕たちは春の空の下で抱き合った。ずっとこのままでいたい。もうミサキと二度と離れたくない。
そう思った瞬間、僕はまた自分の部屋にいた。
「あれは結婚式だよ」
ヒカリの念話がそう告げていた。どこかで鐘が鳴っているような音が聞こえた気がした。奇妙な幻覚体験だな。
「結婚、おめでとう」
「ありがとう」
「右手に持っているものを見て」
僕の右手には刀が握られていた。長く伸びた刀身は不思議なほど美しくほのかな光を帯びていた。柄には細かな意匠が施されている。
「それは『ミサキの刀』。あなたとミサキの繋がりを表す象徴であり、あなたの霊力と共に変化するもの。そして、光の内側にいるミサキの心を映すもの」
刀にはほとんど重みがなかった。それを握っているとミサキと手を繋いでいるみたいだった。
「なんだか戦えそうな気がするよ。この刀は、前、自分で作り出したものとは全然違う」
僕は刀を一振りする。そういえば、高校時代剣道をやっていたことがあった。一年半ぐらいでやめてしまったけど、長物武器の扱い関しては全くの素人ではない。
そんなことを考えていたら、誰かがドアをノックした。僕は慌てて対応する。
「気をつけて。この気配は……」
ヒカリの声が大きく響いてその後混線し消失した。
僕はそのアドバイス通り、慎重にドアスコープで客人を目視した。若い女性だ。薄い部屋着を着た女性がドアの前に立っていた。
僕は扉を開く。
「どうしました? なにか用ですか?」
「あなた、タバコ吸ってますよね」
「あっ、はい。さっき吸っていました」
「煙がこっちまで流れてきているんです。私、隣の部屋に住んでいるんですけど」
「そうでしたか。申し訳ない。これからは窓を開けないようにします」
僕は軽く頭を下げる。
「お願いするわ」
女性はため息をつく。
「ところで部屋のどこで吸っていたのかしら?」
「煙草を吸っていたのは、窓からは離れた場所でしたね」
「それはどの辺り?」
「どう言ったらいいかな。窓から一メートルぐらい離れたところです」
「ちょっとその場所を見せてもらってもいいかしら?」
僕は少し嫌な予感がした。だけど、苦情を言われている状況を考えて、一応その要求に応えることにした。お隣さんの心象をあまり悪くはしなくないとも思った。
女を部屋の中へ通す。微かな香水の匂いがした。
「ここです。ここに座って煙草を吸っていました。それで、その時は多分、風が吹いてて……」
僕がそう説明を始めると、女は唐突に僕の背後から抱きついてきた。
嫌な予感は的中した。「気をつけて」というヒカリの念話を思い出した。
僕は女を振り払おうとするが、あまり強引にやって怪我をさせても良くないと思う。女はピッタリと僕の背に張り付いている。
「捕まえた」
低くくぐもった女の声が背中から聞こえた。
これは恐らく緊急事態だ。この女の中には影がいるのだろう。
僕は右手にミサキの刀をイメージする。だけど、それは出現しなかった。
「ミサキが怒ってるのかも」
混線した中、ヒカリの声が僕にそう伝えた。
僕は色んな意味で慌てて女の体を今度こそ振り払った。
「ねえ、私、寂しいの。ちょっとでいいから相手してほしいな」
女の顔から生気が消えていた。
僕は今度こそ刀をイメージする。現れたのは、ミサキの刀ではなく、一番最初に影を倒したときのシンプルな光の剣だった。
「仕方ないわね。それで戦うしかないわ」
ヒカリの声が開戦のゴングとなった。