はじまりの その十
女王アリを倒した私は、ダンジョンコアに触れて地上に生還しました。
それでまずびっくりしたのは、草むらにポカンと空いた穴がダンジョンの入り口だったからでは無くて、中から働きアリどころかアイザックさんが飛び出てきたこと。
いつものギルド制服姿では無くて、今や副ギルドマスターのハインリヒさんと冒険者パーティを組んでいた時の冒険者の格好だったのにも、もっともっと驚きです。
緑がかった明るいアッシュブロンドに緑の瞳の彼が、ギルド制服の時よりも冒険者の格好の方が幼く見えたのは不思議です。実はイケでしたねって、わかってもいたけど。
「ヨッコちゃん、大丈夫だった!?って、卵人間!!」
アイザックはのけぞって尻餅をついた。
卵人間って、そうか、私はまだ繭に包まれたままだった。
急いで繭から出なきゃと糸を巻き巻きする。
それでようやく繭から解放されたなと思った瞬間、虫独特のにおいが鼻を突いた。
「う、くさい。今まで爽やかな空気しか感じなかったのはあなたのお陰ね」
私は背負っている赤ちゃんに笑いかけるが、赤ちゃんは返事がわりに私の服の襟首をむっちゃむっちゃと咀嚼している。本当に食べられたら大変。
「アイザックさん。何か食べ物ありますか? 私の赤ちゃんがお腹を空かせているんです」
「そ、そこは、拾った、をちゃんとつけようか。それで、僕は赤ちゃんが食べられそうなものは持っていない。急いでたから、回復薬に水と干し肉ぐらいしか鞄に詰めて来ていない」
「干し肉で大丈夫です」
「君はモンスターについて学ぶ前に人間について学ぼうか」
「私の赤ちゃんは大丈夫なんです。咥えてむっちゃむっちゃするだけなんだから、早く出してください」
「赤ちゃんだぞ。赤ちゃんに刺激物はご法度だ」
アイザックさんは子供好きだけあって、子供について凄く詳しいし子供の幸福について自論を譲れないようです。ですがこのままでは、私の服の襟元が赤ちゃんによってボロボロになってしまいます。なので、アイザックさんの良心に訴える事にしました。
「はあ。アイザックさんは私のお願いを何も聞いてくれないんですね。無事に帰還出来たけど、私は今日、何度も何度も、駄目だと思いました」
「ハハハ、だよねえ。僕も、何度も何度も、もう駄目かなって、明日は朝日を拝めないなって思っちゃったよ」
アイザックの良心では無く、アイザックの恐怖を刺激しちゃったみたい。
引退して封印したはずの冒険者装備で、私を助けにダンジョンに飛んで来たんだものね。
「私の兄、怖いですものね」
アイザックは否定するどころか、ははは、と乾いた笑い声をあげた。
兄はC級冒険者でしかないかもしれないが、兄に喧嘩を売る冒険者はこの町にいない。それは、冒険者登録したばかりの頃、子供は先輩冒険者と組まねばならないというルールにて、兄が組んだ先輩冒険者をボコボコにしたからだ。
登録したばかりの13歳のF級が、C級に近いD級をボコボコにできるわけはないのに、しちゃったのだ。
貧乏農家の三男だった兄は、頑健な肉体だけでなく土属性の魔法も持っていた。
怒ると本当にすごいの。容赦ないし。
先輩冒険者をボコボコにしただけでなく、割った地面の穴の中に落とし、そのまま地面を閉じてしまおうとしたのよ。
そんな事を表情一つ変えずにできる人に、誰が喧嘩を売ろうと思うだろうか。
むっちゃむっちゃむっちゃ。
ぺろん。
「ひゃん」
「どうしたの? ヨッコちゃん」
服の襟を食べてしまった肉食赤ん坊が、私の生首に取り掛かろうとしています。
「干し肉を。干し肉洗いざらい出してください。そしたら不問にします。お兄ちゃんには私がちゃんととりなします」
一瞬で私の目の前に干し肉の束が差し出された。
どんだけ。
アイザックさんはお兄ちゃんより年上だし、引退前の冒険者ランクはA級だったんじゃないんですか?
でもまあ、聞き返すよりも餌付けが先。
私は干し肉の一切れを背中に背負う赤ん坊に手渡す。
赤ん坊の動きとは思えない素早さで干し肉は私の手から消え、けれどそれは左手用としか赤ん坊は認識していないようだ。なぜならば、小さい右手がもっとという風に差し出されている。
私はもう一切れを渡してやる。
ひゅっと干し肉が指先から消える。
むっちゃむっちゃむっちゃ。
「ヨッコちゃん。それは赤ん坊なのか? ……いいか。まずは町に帰ろう」
「ですね。ヒカエリソウ12本、ギルドに納めなきゃ」
「それだけじゃないでしょ。出現したE級ダンジョンの初見踏破も報告しなきゃ。おめでとう。今日からダンジョン攻略者の称号付きだ」
「あの、それなんですけど、ご内密でお願いできますか」
「そんな、どうし――レット君か」
「はい。お兄ちゃんにバレます。称号なんか貰ったら、危ないことしたって喧伝するも同じです」
アイザックさんは数秒だけ考えた風な顔をして、だな、と私に同調した。
それでいいんです。うちのお兄ちゃんはやばいから。
ちと長いと、女王の部屋で宝物の箱を開けるか迷うヨッコちゃんのシーンはカットしました。
以下カットしたところ。
ピープピープピープ。
「クロジクアリの女王がドロップする宝物の中身はランダムだよ
毒の盃
(ギルド販売価格300ゴールド(G)・買取価格150G)
潰えし冒険者が残した籠手
(ギルドは買い取らないが死亡した冒険者の名前を進呈
→未亡人に遺品を持って行ったらステータス全て+1UP)
疲労回復薬(上)6瓶
(1瓶のギルド販売価格50G・買取価格15G)
どれかな? 楽しみだね!!」
私の顔は、今まで以上に適当な落書き顔になっていたと思う。
なにこれ。
こんなぼったくりをお兄ちゃんはギルドから受けながらも頑張っているの?
今日の夕飯にお兄ちゃんの大好きな焼肉サンドを買って帰ろう。