転生先が初日犠牲者なんて冗談じゃない!!
「ねぇ、ジゼル。ここはずいぶん賑やかになったね」
同じ村に住む友人が体調を崩しているからと様子見に来た私へ、友人……シモンはふと、感慨深げに呟いた。
日はとうに森の向こうに消え、あたりはとっぷりと夜闇に覆われている。
人の目ではもう、ランタンのひとつもなければ遠くを見通せないほど暗いのに、ベッドから上体を起こしたシモンは外の様子を窺うように窓の向こうに視線を投げていた。
昼間に畑仕事をしていた時もそうだったけれど、目の下にくっきりとクマが刻まれているし、顔色は相変わらず悪いまま。
青や白を通り越して、いっそ土気色とでも言った方が近いんじゃないかと思うくらいで、本当ならおしゃべりなんてしていないで大人しく休んでいて欲しいところ。
なのにシモンは『大したことはないよ』と言って、少し話をしないか、と渋る私を誘ってきた。
『あくまでも精神的なもので体調面は問題がないから』というシモンの自己申告。
それが真実か否か判断しかねた私は、迷った末に信じることを選んで、気晴らしのためのおしゃべりに付き合うことにした。
これでシモンの気の病が多少なりとも落ち着いてくれるなら良いし……そうじゃないなら、いよいよ山を下り、麓の町にある医者に看てもらわなくちゃいけないから。
(確か明日はデリーが買い出しに向かう予定だったから、一緒に連れて行ってもらうように頼んでみよう)
私が心の中でそんな算段をつけているともつゆ知らず、シモンがかけてきた声が冒頭の一言。
若々しい見た目にそぐわない、なんともジジくさい発言だなぁと思うのだけれど、なにぶん私も似たようなことを最近考えたことがある身。
盛大なブーメランになってしまうので余計なことは言わずに胸へとしまいこんで、そうね、と素直に頷くことにした。
「最初は私たち二人きりだったのに、今や八人だものね。それにもし、ノックスさんもここに住むことになったら、更に一人増えることになるわけだから……本当、にぎやかになったと思うわ」
家族に、あるいは社会に捨てられた私たちが集まってできた、山間の小さな村。
食べ物も道具も暮らす場所も、何もかも自給自足が基本で、どうしても足りないものや私たちの手で作れないものがある時だけは麓の町まで出かけて行って調達する。
だけどそれ以外では、不必要に人の多い場所へ行くこともなければ留まることもせず、ずっと山にこもって信頼できる仲間たちと力を合わせて暮らしている日々。
人によっては、こんな不便な暮らしは耐えられないのかもしれない。
でも、私たちにとっては不便さよりも、人の多さの方がよほど耐えられなかった。
何故なら家族に、あるいは社会に捨てられたことで、ここに住んでいる仲間たちはみな大なり小なり人間不信になっているのだ。
私も、もちろんシモンだってその例外ではなくて、広く浅い関係を求められる町で暮らすのはひどく恐ろしかった。
そんな誰を信じられるかもわからない場所で暮らすくらいなら、いくら不便でも人が少なく、信じられる仲間と寄り添い合って暮らす方がよっぽど安心できる。
私たち含め、この村に集まっているのはそんな子たちばかりだ。
私とシモンの二人から始まったこの暮らしは、少しずつ仲間を増やしていって、今ではなんと九人の大所帯。
あと一人増えたら二桁の大台に乗るなんて、出会った頃には到底考えられなかった。
……そもそも、私とシモン以外にもここに居着く子がいるなんて夢にも思わなかった、というか。
そして、だからこそ私たちはお互いを大切にするし、何があっても守ってみせると誓っている。
自分と同じように傷ついてここへ辿り着いた仲間だから守らなければならない、という心理が働いているのだと思う。
だから、そう、この小さな集落を人間らしく『村』と私たちは呼んでいるけれど、実体としては『群れ』に近いのかもしれない、なんて。そんなことを考えたりする時もあって。
「ジゼルはここが好き?」
「もちろんよ」
答えのわかりきった問いかけに、間髪おかずに私は頷いた。
貴方がいて、みんながいて、穏やかで平穏に暮らすことができる。
(こんなに幸せな暮らしを、私はほかに知らないもの)
そりゃあ、前世よりもうんと前の時代の暮らしをする異世界に生まれ変わって不便を感じることも少なくないし、追いかけていたコンテンツ――とくに漫画や小説といった未完の作品がどうなったかは気になるけれど。
推しは前世の私が死んでしまった時点の情報から更新されることがなく、むしろ時間が経てば経つほど記憶が薄れて色褪せていくのがなんとも切ないし、概ね平和で安全な日本で徒に暮らしていた頃が懐かしくなることもあるけれど。
……でも、戻れない過去への寂しさや悲しさ、悔しさといった感情は、今の私にとっては懐かしさとしてカテゴライズできるくらいには整理がついているものだから。
少なくとも、会社勤めで心を無にして暮らしていた頃より、今の生活の方がもっとずっとうんと満足している。
日々こなす仕事に対する気の持ちようは当然のこと、ささいな日常でさえも胸いっぱいの充足感があって幸せだ、と言い切ることができる。
だから私はこの村が大好きだし――これからも、大きな波風が立つことなく、平穏無事な暮らしを続けていけたらいいと思うのよね。
「……そっか」
「シモン?」
「うん、うん。そうだよね」
「ねぇ、シモン。突然どうしたの?」
ベッド脇の椅子から腰を浮かせてシモンの肩に触れ、一人得心を得ている彼にどうしたのかと問いかける。
けれどもシモンは私の問いに答えることなく、肩に置かれた私の手を取りキュッと握った。
私の手よりも、一回り大きなシモンの手。
農具を使う彼の手は肉刺が潰れては治ることを繰り返し、穏やかで優し気な面立ちからは想像もつかないくらいゴツゴツと固い手のひらをしている。
……恐らくは、体調が悪いせいなんだと思う。
手のひらから伝わってくる熱が普段よりも低いような気がして、『やっぱり薬を煎じて持ってくるべきだったかもしれない』と思った私が口を開いた。
けれども肝心の声を発する前に、夜闇の向こうをじっと観察していたシモンがぱっとこちらに振り向いて、にこりと微笑んで先んじる。
「大丈夫」
「シモン?」
「大丈夫だよ、ジゼル。君が心配するようなことは何もない」
「え」
「ここでの暮らしも、君が大切にしているあの子たちも。きっと俺が守るから」
何を焦っているの、と訊けばよかった。
訊きたかったし、訊かせて欲しかった。
だけどシモンは私に何も言わせまいと、ぐっと手を引いて私を腕の中に閉じ込めた。
捕まえるように、あるいは縋るように強く抱きしめられて、みし、と骨の軋む音が私の身体の内側から響く。
……正直に言えば、少し苦しいくらい。
でも、何故かシモンは『何か』に怯えているみたいに小さく震えているから、私は『離して』と言うことも『力を緩めて欲しい』と言うこともできなくて。
長年の連れ添っている大切な友人のために私ができたことと言えば、せいぜいシモンの背中に腕を回し、彼が落ち着くまで背中をさすってあげることくらいのもの。
昔から、シモンが弱っている時には決まってこうしてあげるのが常だったので、これでちょっとは持ち直してくれたらといいな、と思う。
彼が一体『何』に怯えているのかはわからないけど、私には言いたくないと思っているのは確かなようだし、それを悟ってしまった以上はこちらから無理やり追求することもできない。
(……どうか明日も、明後日も、これからも)
ずっとずっと、シモンたちと一緒に笑って暮らせますように。
そう心の中で私が願ったのは、シモンの様子がおかしかったからなのかもしれないし――あるいはそう、私の頭の中で警鐘を鳴らす不吉な予感が、数時間後の出来事を予見していたからなのかもしれない。
アオォ――――ン……
夜の向こうから、狼の遠吠えが聞こえる。
忍び寄る異変の足音は、もう、すぐそこまで迫っていた。
+ + +
「ジゼル、ジゼル! 起きてくれ、ジゼル!!」
乱暴にドアを叩く音と、私を呼ぶ切羽詰まった声に飛び起きた。
窓の外には依然として夜の帳が落ちており、朝というにはあまりに早すぎる時間だった。
こんな時間に彼が訪ねてくるなんて、きっとよほどのことが起きたのだろう――そう考えた私は手早くランプに明かりをつけ、肩かけを引っ掴んで出迎えに行く。
「どうしたの、ハンス?」
「とにかく来てくれ。早くしないと、シモンが……!」
玄関の扉を開ければ、血相を変えたハンスが私を待ち構えていた。
冷静沈着な彼らしくない動転っぷりに、ただ事ではない『何か』が起きたのだと察せられる。
痛いくらいの力で腕を掴まれ、早く早くと急かされたけれど、今は少しの時間も惜しい。
ハンスに『少し待ってほしい』と頼んで、急ぎ足で自室に置いてある救急箱を取りに戻ったら、今度こそシモンの元へと向かう。
ぐいぐい腕を引っ張られ、向かったのはシモンの家――ではなく。
何故か、村外れにある森の中だった。
(でも、どうしてシモンが森に……?)
シモンは昨日、夕方頃から体調を崩して家で療養していたはずだ。
だから私も彼に夕食を届けがてら、しっかり休むように言い含めたわけだし。
その彼が夜の森にいるだなんて、一体どういう了見だろう?
用心深く、思慮深いシモンが体調不良を押してまで外に出るとは到底思えないのだけど……。
「ねぇ、ハンス。この臭い……」
風を切る勢いで森を駆けながら、夜風に混じる異臭に気付いて声をかけたものの、ハンスがそれに答えてくれる様子はない。
その代わりに、私の手を握るハンスの力がいっそう強くなって、……なんだか嫌な予感がした。
(……まさか、ね?)
昨晩のシモンのぬくもりを、笑顔を思い浮かべ、ぐっと奥歯を噛みしめる。
何も言ってくれないハンスの様子から頭に浮かんだ可能性を振り払い、どうか無事でいて、と切に祈って。
「シモン?」
森の奥まった場所にある幹の太い木に、もたれかかるようにしてシモンは座り込んでいた。
探し人が見つかったことに安堵したのもつかの間、近寄るごとに異臭――もとい、鉄錆のような臭いが明らかに濃くなっていくことに気付く。
ドクドクと脈打つ心臓に急かされるまま、震える声で私はシモンの名前を呼んだけれど、……待ちわびた応えが返ってくることはない。
シモンは固く瞼を閉ざしており、ピクリとも動かなかった。
木々の切れ間から差し込む月の光に照らされた頬は青白く、腹や胸にぽっかりと空いた歪な孔――いくつもの刺し傷からは、ドクドクと今なおとめどなく血が溢れ出ている。
「嘘……、ッシモン!!」
この時になってようやく、ハンスが何故私を呼びに来たのか理解した。
……ううん。薄々、勘づいてはいたのだ。
夜の香りにほんのり血の香が混じったことを尋ねた時、ハンスは何も答えてくれなかったから。
もしかしたら、シモンの身に何かあったんじゃないかって、そう思って。
……だけど私は、自分が感じた嫌な予感を気のせいだと思い込もうとした。
現実的な可能性から目を逸らして、一縷の希望に縋ろうとしたんだ。
あの臭いはシモンが原因ではなく、この辺りに生息する動物が原因なんだと思いたかった。
狩人であるハンスが、見回り中に仕留めた鹿や猪の血が理由だと思いたかった。
だって、仕方ないじゃない。
考えたくなんて、ないじゃない。
親しい間柄の相手が、それも、数時間前に話したばかりの友人が死んでいるかもしれない、なんて……そんな恐ろしいこと、私は想像するだけで目眩がしてしまうくらいなのに。
いざその場面に直面したら、心が現実を受け入れられずに逃避を図ろうとしてしまうのも、仕方のない防衛反応だって思うの。
(――ああ、でも、良かった)
大丈夫、シモンはまだ生きている。
手の震えを必死に抑えて脈を取れば、弱々しいながらも命の拍動が感じられた。
そのことにほっと安堵の息をつきかけて、……途中で私は慌てて我に返り、気を引き締め直した。
安心するにはまだ早い。
なにしろ、シモンの命が風前の灯火だっていう状況には何一つ変わりがないんだもの。
このまま血を流し続けたり、適切な治療を受けられなければ、その灯火はきっとすぐに吹き消されてしまう。
だから私にはぼうっとしている暇なんてないんだと、心の中で未だに取り乱している自分に言い聞かせれば、自然と救急箱を掴む手に力が込もった。
(できれば、傷口を洗いたいところだけれど……)
それすら難しい現状、とにかく何にも優先して止血をしたい。
それから急いで山の麓にある町まで降りて、ちゃんとしたお医者さまに診てもらわなければ。
私たちの村はとても小さくて閉鎖的なので、お医者さまなんてご大層な人はいない。
ちょっとした怪我の治療や風邪くらいなら自分たちでどうにかできるし、日常的にはなんの問題も不自由もなく過ごしているからだ。
だけど流石に、生死の境をさ迷うほど大きな怪我の対処を、突発的に行うことはできないから。
備えができている時ならまだしも、できていない時に今のように火急の用がある時は、私たちは自力で麓の町のお医者さまの元まで向かうしかない。
「ハンス。犯人は?」
「わからない。俺がシモンを見つけた時は、もう……」
――シモンを襲った犯人が近くにいるかもしれない、というのは、私とハンスに共通する危惧だ。
ハンスが見回りをしていてくれたおかげで、シモンが刺されてからそう時間が経たないうちに見つけられたのは運が良かったけれど……それはすなわち、犯人が遠くまで逃げていないことの裏返し、とも言い換えられる。
私たちは視線だけでお互いがやるべきことを示し合わせ、すぐさま取りかかった。
周囲の警戒と手がかり探しをハンスに任せ、私は私で、シモンの命を繋ぎ止めることに尽力する。
なんせ村の中で誰よりこの手の知識があるのは私で、だからこそハンスは私を呼びに来たのだから、至極当然の役割分担というもの。
夜闇で視界が悪いため、救急箱をがらがらとひっくり返して応急処置に必要な薬の瓶を探す。
地面に散らばった薬瓶をランプで照らして目的の物を見つけたら、すぐさまコルクを引っこ抜き、地面に横たえたシモンの傷口へとぶっかける。
大丈夫、大丈夫。絶対助ける。
そう繰り返し呟くのは自分のためか、シモンのためか。
……それすらわからなくなるくらい、ただただ私は必死になっていて。
(――どうしてシモンは外にいたんだろう)
どうしてシモンが、こんな目に遭わなくちゃいけなかったんだろう。
疑問は尽きず、不安もあるけれど、今はそのどちらも横に置いておかなくちゃ。
なにしろ今この瞬間、彼の命は私の手にかかっているのだから。
責任の重さに押し潰されそうなところを、どうにか瀬戸際でこらえて。
シモンを助けたい一心で、呼吸も忘れた私は応急処置に励んだのだった。
処置を済ませたあと、意識を失っているシモンはハンスに運んでもらった。
村に着く頃には空が薄く白んでおり、もうすぐ日の出を迎えることに気付く。
……思ったより長い時間を過ごしていたのか、あるいはあたりが暗かっただけで、元々夜明けが近かったのか。
緊迫した空気とただならぬ緊張感のあまり、私とハンスの時間感覚は完全に狂ってしまっていて、残念ながら正確なことはまったくわかりそうにない。
村に戻ってからは、私とハンスは二手に分かれた。
私はデリーにシモンを町まで連れていくよう頼み、ハンスは残りのみんなに何が起こったのかを説明するためだ。
本当なら、ひとまずデリーだけに声をかけて、町まで向かってもらうつもりだったのだけど……普段よりもかなり早い時間にもかかわらず、ハンスが私を呼びに来た時の騒ぎで既に全員起きていて、いったい何が起きているのかと不安そうにしていたから。
状況を説明しつつ、デリーにすぐさま町に向かうよう頼むには、こうするのが一番だった。
「デリー。シモンのこと、お願いね」
「うん。任せて」
ぽやぽやと年の割に子どもっぽいところのあるデリーも、今日ばかりは神妙な顔つきだった。
間延びした話し方もせず、表情さえひどく強ばっている。
けれどそれも、当然のことだろう。
何故ならデリーには、これから負傷したシモンを連れて最速で山を下りてもらう……という大役が控えているのだから、緊張や不安、焦りなどを感じてしまうのも仕方のない話なのだから。
「もし治療にお金が足りないようであれば、この薬を売って賄ってちょうだい。焦る気持ちもわかるけれど、シモンのために、安く買い叩かれないように注意して」
「大丈夫だよ、ジゼル。シモンのことは絶対、死なせたりなんてしないからさ〜」
「……くれぐれも気を付けて行ってきてね」
これぐらいあれば治療費は足りるだろう、という分のお金と、万が一足りなかった時のために資金繰りに使える『秘薬の軟膏』を渡す私の手を包み込むように握り、わずかに引きつった笑顔でデリーは言った。
話し方はいつも通りに近くなったけれど、声音は普段の何倍も力強くて……きっと、シモンを必ず助けてみせる、という決意が声に表れているのだと思う。
いびつな笑顔をつくろったのも、たぶん、不安と動揺の渦中から抜け出せずにいる私を安心させようと考えてのことで……。
(まったく、デリーはいつの間にこんなに頼もしくなってしまったのかしら?)
まだまだ甘ったれな皆の弟分だとばかり思っていたのにと、非常時にもかかわらず、デリーの成長を感じて自然とまなじりが下がってしまう。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます。……気を付けてね、ジゼル」
「わかってるわ」
シモンを乗せた荷車を馬に繋ぎ終えたデリーは、そのまますぐに村を発った。
……誰よりも馬の扱いが上手なデリーなら、安全かつ最速に麓の町まで向かえるはず。
(どうか何事もなく二人が町まで辿り着き、シモンが治療を受けられますように)
祈るように手を組んで、荷車が見えなくなるまでじっと二人を見送る。
……もちろん、そんなことをしたって馬車が早くなるわけでも、町までの道のりが短くなるわけでもないことはわかっている。
わかっているけれど、それでも何かせずにはいられないこと・いられない時は誰しもあるわけで――私にとってはそれが今だった、というだけの話。
でも……この世界の、遥か大昔の魔女や魔術師ならきっと、本当にそんな奇跡を起こすことだってできたんでしょうね。
空を飛んだとか、悪魔を呼んだとか、そういう荒唐無稽な伝承もしっかりと残っているから。
せっかく異世界転生をしたのに、私にその手の特殊能力がないことが本当に悔やまれるわ……。
「ジゼル!」
「うわあああん、ジゼルー!!」
デリーたちの見送りを終えて広場に向かうと、大泣きしているクリセルダとアドリアーヌが飛びついてきた。
小さな身体を可哀想なくらい震わせて、グリゼルダはえぐえぐと控えめに、アドリアーヌはわあわあと癇癪を起こすように泣いている。
……正反対な泣き方の双子の涙につられてしまったのか、私も目の奥がじんと熱くなった。
喉の奥がきゅう、と締まった感覚がして、視界がゆらりと涙の膜に滲む。
今更になって、『誰かに悪意を持ってシモンが傷つけられた』ことに対する恐怖が、じわじわと湧き上がってきたからだろう。
黒い泥が足元から這い上がって絡みついてくるかのような感覚に、ギリギリのところで保たれていた心の均衡が崩れるのを感じて、とっさに小さな二人の身体をぎゅっと抱きしめる。
すると双子も、ひしっと私の首に腕をまわしてしがみついてきて……子どもの体躯に似合わない力で、ぎゅうぎゅうと抱きしめ返された。
「ひっぐ、シモンが、シモンがぁ……!」
「うん」
「どうしてシモンが、あ、あんな酷い目に遭わなきゃいけないのよぉ! っ、ううう……!」
「うん、うん。そうだね……」
本当に、どうしてシモンが。
悲しさと、悔しさと、苛立ちと……色々な感情がない混ぜになって、双子を抱きしめる腕に力がこもった。
「悪い、ジゼル。やはり俺ではコイツらを宥めきれなかった」
「ううん、大丈夫よ。辛い説明をさせてしまってごめんなさい。……レナードとバチルダは?」
泣きじゃくる双子を追いかけてきたのだろう、説明を任せていたハンスが駆け足でこちらにやってきた。
いくら同じ村で暮らしていると言えど、どうしたって性差や本人たちの相性というものがあるので、泣き止まない双子に関しては気にしないよう伝える。
それよりも気になったのは、何故か姿が見えないレナードとバチルダのこと。
レナードはシモンを実の兄のように慕っているし、バチルダなんかはこの村に来てから日が浅い。
だからきっと、二人ともこの状況に不安がっているに違いない、と心配したのだけど――
「レナードは比較的落ち着いてる。狼狽えてはいたが、どうにか事実を受け止めようとしていたから。だが、バチルダは……」
渋面で言葉を濁すハンスに、ざわざわと胸騒ぎが大きくなっていく。
(バチルダに何かあったの?)
ぶわり、と心配が一気に膨れ上がり、心の中が焦燥でいっぱいに満たされる。
シモンのことがあった直後、というのもあるのだろう。
『彼女に何かあったのではないか』という心配は、不安とも恐怖とも言い換えられるほどにごちゃごちゃで、曖昧で、不安定で。
一刻も早くバチルダの様子を見に行かなければと、そう思った時。
「ちょっとバチルダ! 駄目だってば!!」
「ジゼルさん!」
引き留めようとするレナードを振り払い、バチルダがこちらに駆けてきた。
表情を険しくしたハンスが立ち塞ごうと動くも、彼女はひらりと身軽に避けて私の元へと辿り着く。
……おっとりふわふわとした普段の彼女とはかけ離れた、鬼気迫る勢いと血走るが如き目。
その異様さに気圧されそうになるが、それではバチルダを落ち着かせることができないからと、怯む心はぐっとこらえる。
それから私は、ガタガタ震えながら――先客の双子を突き飛ばすほどの勢いで――胸元に縋りついてきたバチルダに、努めて優しい声音になるよう心がけながら問いかけた。
「どうしたの、バチルダ?」
「私、見たんです!」
「バチルダ!!」
「バチルダ、やめろ」
レナードだけでなく、ハンスまでもが語気を荒げてバチルダを咎める。
けれど私は、その様子がまったく気にならなかった──否、気に留められなかった。
(だって、今、バチルダは『見た』って)
縋りつくようにぴったりと寄り添うバチルダを見つめ、震える声で問いかける。
「……見たって、まさか」
シモンを襲った犯人を?
震える唇はそこまで言葉にしなかったけれど、バチルダにはきちんと伝わったらしい。
涙で潤んだ真っ赤な紅玉の瞳で私を一心に見つめて、彼女はしっかりと頷く。
「シモンさんを襲ったのは人狼です。間違いありません!」
「──人狼?」
バチルダの言葉に、ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走る。
「人狼だなんて、そんな、まさか」
「本当です! だって、私──」
「黙れ。いい加減にしろ、バチルダ」
なおも言い募ろうとするバチルダをハンスがぴしゃりと一蹴した。
背筋がゾッとするほど厳しく鋭い視線が、バチルダへと一心に注がれる。
およそ仲間に向ける目ではない感情のこもった目に、さしものバチルダもびくっと震え上がった。
怯えたように小さくした身体を私に寄せ、本当なのに、と涙声で呟くのが耳に届く。
「ジゼル?」
「ジゼル、どうしたの?」
――そんなやりとりの傍らで、黙り込んだ私の異変に、真っ先に気付いたのは双子だった。
「ハンス、大変!」
「レナード、ジゼルの顔が真っ青だわ!」
双子からのSOSを受けた二人はすぐに動いた。
ハンスは強引に私からバチルダを引き剥がし、彼女の首根っこを掴むようにして引きずって行く。
当然、バチルダはじたばたと抵抗しながら何かを叫んでいるけれど、ごそりと表情の抜け落ちたハンスがそれを気に留めることはなく。ずるずると引きずられたあとが、轍のように地面に残っていた。
その一方でレナードは私の隣に膝をつき、気遣わしげに顔を覗き込んできた。
青ざめて震える私の背中をさする小さな二つの手は、きっと、アドリアーヌとクリセルダのものだろう。
「ジゼル、大丈夫だよ。シモンが人狼に襲われたなんて、どうせバチルダの見間違いに決まってるよ」
レナードはそう言って、ふにゃっと私に笑いかけた。
人懐っこくて、それでいて愛嬌のある、可愛らしいレナードの笑顔。
……普段であればその癒し効果を存分に受けるところだけど、今はそういうわけにもいかないらしい。
何故ならバチルダが発した『人狼』という言葉がぐるぐると頭の中を堂々巡りして、何か──妙に引っかかりをおぼえるのだ。
(……シモンを襲ったのは、人狼だった?)
人狼が村を襲うなんて、別段珍しい話ではない。
幸運にもこの村が被害をこうむったことはないけれど、麓の町やよその村などでは、年に数回ほど無惨な死体が発見されることもあるという。
だからこそどこの集落にも狩人がいるし、規模が大きな場所では占い師や霊能者がいるわけで。
でも、シモンが人狼に襲われるなんて、そんなことは有り得ないはずで、
――チリ、と何かが、私の思考をかすめた。
「っ、痛……!」
「ジゼル!?」
その時、突然、頭が割れるような激痛を感じた。
痛みは一瞬で大きく広がり、我慢しようのないそれに頭を抱えてうずくまる。
明らかな異常事態に陥った私に、三人は口々に心配の声をかけてきた。
大丈夫かと。どうしたのかと。
……その気遣いがありがたいと思う反面で、頭に響くからやめて欲しいと思う私は薄情だろうか。
脂汗が滲み、次第に呼吸が荒くなる。
息を吸うこともままならず、喘ぐようにしながら空気を肺へと取り込もうとして、──失敗した。
『ジゼル!!』
テレビの電源を落とすように、私の意識はプツリとブラックアウト。
全身の力が抜け、崩れ落ちるようにして地面へ倒れ込んだのだった。
+ + +
実を言うと、乙女ゲームはあまり得意ではない。
正確には食指が動かないと言うべきか……自分自身に恋愛が縁遠かったのもあるし、RPGや農地経営系のゲームの方がわたし好みだったのもある。
細々とした色々な要因が重なった結果として、わたしにはまったくと言っていいほど乙女ゲームの経験がない。
要はそれだけの話であった。
そんなわたしが唯一自分からやってみようと思い立ったのは、『汝は人狼なりや?』というテーブルトークRPGをオマージュした作品だった。
『汝は人狼なりや?』……一々これだと長いので以下『人狼ゲーム』と呼ぶが、わたしはこの『人狼ゲーム』が好きだった。
二つ以上の陣営にわかれて弁論を交わし、推理ないしは相手チームをだまくらかして自陣の勝利を掴み取る。
白熱するあまり友情崩壊ゲーム、なんて呼ばれることもあるくらい殺伐とするのだけど、これがハマると結構中毒性があるゲームなのだ。
インターネット上のサーバーを使って友人たちやSNS上の知り合いとやることもあったけど、彼ら彼女らは私と違って早々に飽きてしまったらしく、実際に私が遊べたのは十回にも満たないくらい。
サーバーには『初心者歓迎!』と謳い文句のある村が多かったので、その気になればいくらでも参加できたんだろうけど、いかんせんコミュ障というか人見知りというか引っ込み思案だったというか、とにかく拗らせていたわたしが参加できた試しはなく……。
代わりに対戦中の村を観戦しながら配役を推理してみたり、過去の名勝負(あるいは迷勝負)の対戦ログを見たり、仮想卓の動画を見たりして、自分なりに良き『人狼ゲーム』ライフを満喫していた。
つまりはまあ、とにかくわたしは『人狼ゲーム』が大好きだったわけである。
(だからこそ、普段やらない乙女ゲームでもやってみようかな? なんて思ったくらいだし……)
ちなみに『人狼ゲーム』が上手いかどうか、強いかどうかと訊かれると、ぶっちゃけ微妙なところ。
前述の通り実際にゲームに興じた回数は少ないし、戦績的にも負けたことの方が多いので、下手の横好き適度だろうと自分では思っている。
個人的に好きな役職は猫又で、似たような動きをする狩人もまあまあ好き。
狂人はこなした数が少ないせいで動き方もイマイチわからず、ぼんやりと苦手意識がある。
閑話休題。
話は戻って、そろそろ『人狼ゲーム』をオマージュした乙女ゲーム──『月影に花は咲く』についてふんわり説明しようと思う。
しっかり、ではなくふんわりなのは、ちゃんと説明しようと思うと話がそりゃあもう複雑怪奇になってしまうから。
なにしろインスピレーションを受けた『人狼ゲーム』自体、ルールをおぼえるのがちょっと難しくて、友人から『ルールをおぼえられないからやらない』と言われることもあった。
だからサクッと、必要最低限、上辺だけ説明しておくくらいで今は丁度いいと思うのだ。
『月影に花は咲く』というゲームは、恐らく乙女ゲームにしてはかなり異色の部類だろう。
九人だけの小さな村を舞台に、死体で見つかった村人を殺した犯人探しを行う──というのが大筋のストーリー。
ルートによっては死体がうずたかく積み上がり、選択肢を間違えば主人公だろうと容赦なく血肉の塊と化す、大変血なまぐさい仕様の乙女ゲームである。
とはいえ、緊迫した空気の中で起きるイベントは殺伐とストーリーに反して糖度が高めだった……と、乙女ゲーム初心者は考えている。
吊り橋効果なのか、発生するイベントでは攻略対象との距離は物理的にも心理的にも超近いし、ここ一番のタイミングで「お前は俺が必ず守る」と言われれば、これはもう落ちるしかないと主張したい。
ダミーヘッドマイクで大好きな声優さんの息遣いを感じながら囁かれてみろ、乙女ゲームどころか恋愛初心者なんて一発K.O.である。
思わずぴぎゃあと妙な鳴き声を出して自室のベッドの上で身悶えてしまったが、まあ、あの痴態は誰も見てなかったのでセーフということで……。
ちなみにこの『月影に花は咲く』というゲーム、ヒロインのデフォルトネームはバチルダ。
物語冒頭で発見される哀れで無惨な初日犠牲者の死体は、名をジゼルという。
(……いやジゼルって私じゃん!!?!?)
至極冷静に回想を終えた思考は衝撃的な事実の発覚、という強烈すぎるビンタに震え上がり、しかして同時に『転生先が初日犠牲者なんて冗談じゃない!!』と脳内で華麗なセルフツッコミをキメた。
……ついでに身体の方はベッドから飛び上がる勢いで跳ね起きたし、跳ね起きた時に木製の古いベッドが悲鳴を上げた。
――という話を5月(あわよくばGW)に投稿するぞ!!と決めてただいま準備中なので、自分を追い込むためにも冒頭をちょっとだけ公開することにしました。
人狼ゲームの設定を借りつつ、物語の展開に差し支えない範囲で落とし込んで書いているお話なので、人狼ゲームそのものを知らなくても読める仕上がりになるはず…。逆に知っている方には「おっ!」と思ってもらえるような小ネタを挟めたらいいな、なんて考えながら書いています。
ちなみにタイトルはいいのが思いつかなかったので、本文から適当に引用しました。
実際に連載する時はもっとちゃんとマトモなタイトルをつけたいし、これからない頭を絞って案を捻り出そうと思います。
せっかく人狼ゲームを参考にしているから、「オオカミ」とか「人狼」といったワードを使えたらいいな…と思っているので、きっとそんな感じのタイトルになるはず…。
拙い作品を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
もしちょっとでも「面白そう!」「連載を待ってやってもいいぜ!」と思っていただけたら、ブクマや評価、いいね等ポチッと押して応援してもらえたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします…!




