ファーストコンタクト
島
僕は何年もこの島に住んでいる。誰かはここを夢幻の島と言った。木が1本と僕が1人いるだけであとは何も無い殺風景。こんな退屈そうな島だけど僕は満足している。
何せここには空腹がない。お腹が空かないからオテントの登ってる時間は空を見上げてぼーっとするだけ。暗くなったらうとうと寝始めて、やがてまた明るくなって、暫くしたら起き上がって空を見上げる。昔いた島で空腹と戦ってのたうっていた頃に比べたら何百倍もマシだ。これからもずっと雲の流れと太陽を眺めて生きるつもりで、それが幸せだ。
そんな日々の中で突如1人の娘が現れた。波際のちょっと内側に立って僕を真っ直ぐに見つめている。気づいたらそこにいたから何処から来たのか分からないし、何も話しかけてこない。奇妙な光景だ。何しろ僕がここに来てかなり長い時間が経過してるはずだけど、人が現れたのは今日が初めてだから。ずっと見つめ合っていても埒が明かないから話しかけてみようか。
「あの……」
『私に着いてきてよ。もっといい所に、連れて行くよ』
僕が声を発した途端、被せるように話し始めた。なんだか嫌な人。第一印象は最悪。
「何処に連れて行ってくれるんだ?」
そう言うと、娘は振り返り海の方を指差した。
『向こうに見える島だよ。君は知らないでしょ?あそこに一緒に行こう』
向こうの島……?そんなのがあったのか。毎日空を見上げるばかりだから気付かなかったな。と、思い思い僕は娘の指差す方向を目を細めて見た。あまりはっきり見えないけど、水平線が少し盛り上がってるように見えるあそこかな?
「すごく遠いところにあるんだね」
娘は頭だけ振り向かせ、返事をする。
『ううん、すごく近いよ。他の島に比べてね』
「それは、そうかもしれないね。あそこに僕を連れていくの?」
『そう。私はその為にここに来たんだよ。一緒に来てくれれば私も嬉しいし、あっちの皆も喜ぶと思うんだ。それに君、ここに1人なんでしょ?あっちにはおんなじ人の仲間もいるよ』
あんまり首肯しかねる話だ。僕はこの島で満足してるし向こうに行きたいとは思わない。寧ろ今この娘を鬱陶しいと思ってるくらいだから、仲間なんていても楽しくないだろうし。…………。
でもあそこがどんな島なのかはちょっとだけ気になる。ここと同じで穏やかな場所なんだろうか。一緒に行こうと言われたけどどんな場所か分からないんじゃあな。
「君はあそこの住人なのかい?」
態勢はそのまま、微笑んで答える。
『うん、そうだよ。生まれてからずっとあそこに住んでるの。人は優しいし、風も暖かくてすっごくいい所なんだよ』
「そうなんだね。……あの島が大好きなのは伝わったけど、僕はここにいたいし、君とは行けないや。ごめんね」
娘は微笑みを崩さない。
『そう、残念』
そう一言呟いて、海の方へと歩き始めた。不思議に思い瞬きをするとその瞬間、娘の姿はなかった。目を疑った。けど、どう来たのかも分からなかったし今のは僕の見た幻影だったのだろうという結論に、その時は落ち着いた。そうに違いない。そうでないとすると、余りに僕がつまらない暮らしをしているから神様が使いを送ったとかだろうか。まあ、そんなこと考えるだけ馬鹿馬鹿しい。と、僕はまた空を見上げた。オテントは真上にあった。
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眠りから覚めると目の前にまた娘がいる。昨日と同じ姿だ。今日は最初から微笑んでいる。
『また来たんだ。説得しに。君、優柔不断なところあるでしょ?押しには弱いかと思って』
なんとも無礼なその娘。出会って2日で相手を不快にさせそうなことをよく言うと思う。
『それに、何か勘違いしてたようだったからその説明もしようと思って。こないだの感じだと、もうこっちには帰って来れないだろうと思って断ったんでしょ?だとしたらその心配はしなくてもいいんだっていう説明だよ。向こうに行ってみて嫌だったらまた帰ってくればいいんだ』
あれ?そうなのか。てっきりあの島に上陸したら最後、仲間ってヤツらに囲まれて永住させられるのかと思っていたけれど、そうじゃないなら行ってみるのも悪くないのかな?
『ハッとした顔してるね。行ってみたくなったかな?』
見透かされたようでむず痒いが、まあいいや。
「すぐ帰って来れるなら……まあ」
『やった!嬉しいなあ。それじゃあ早速行っちゃおう。私の後を着いてきてよ』
この娘は行動に移るのが早い。今の時点で僕の心は着いて来れていない。それでも少し重い体を起こし、1度だけ彼女の言う通りにしてみよう。単純に向こうの島の景色も気になるし、絶対にここにいなきゃいけない訳でもない。たまには刺激のある出来事も悪くないだろう。と考えて僕は立ち上がり、待ってくれていた娘のところへ追いつく。
『迷子にならないでね』
と言って娘は海の中にズブズブと歩いて入っていく。
「ちょ、ちょっと待って!泳いであの島まで行くっていうのか?」
『何を言っているの?勿論だよ。海底を、歩いていくよ』
何を言っているのかさっぱりだった。この娘は頭がおかしいかとも思ったが、その口振りは判然として、狂ってなどはいなかった。
「ぼ、僕は海底を歩けないよ……?」
『そうなの?こんな所にいるんだから歩けるのかと思ってたよ』
こんな所にいるから海底を泳げるって、どういう了見なんだろうか。
『それなら仕方ないね。舟をつくって渡るしかない』
「舟を作るって言ったってこの島には材料がないよ」
『まあ頑張ってよ。そういう事なら私は先に行ってるから。海の上を渡るなら島は見えてるから案内は必要ないよね』
無責任なその娘。そのくらいは協力してくれないかと呼び止める間もなく彼女は海中へと姿を消した。材料がないと言っているのに頑張ってはおかしいだろう。それともこの木1本で作れという事だろうか……?無理だ。第一、切り倒す道具さえないんじゃどうしようもない。やっぱりあいつの考えてる事はよく分からないし、振り回されている感じがしていけ好かない。
もういいや。今日はとりあえず何もしないでいよう。
オテントはまた真上。
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それから娘は来なかった。代わりに毎日空は曇り、島の上を大っきい飛行機が2台も飛び回るようになった。鬱陶しい娘の次は騒音の飛行機だ。それが何日も、何日も続いた。あの娘が来なくなった日からだし、何か関係があるのかな。ああ、違うとしても今はとにかく邪魔な飛行機を視界から取り除きたい。あれから空を見るにも飛行機が目に移り僕は鬱々としてしまう。
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あれから何十年経っただろうか。空の様子に変わりは無い。変わったとすれば薄らとサイレンの音も聞こえるようになったか。いつまでも続く邪悪な空模様に僕の精神は限界だった。体は震えて、自傷の傷が増えていった。やはりこの邪悪の原因はあの娘だろう。直接でないにしろ何かしら起因しているはずだ。あの馬鹿でどうしようもない女に着いていくのが正解だったのか?何が良くて何がダメだったのか分からん。分かるのはこんなことを考えていても状況は改善しないという事。もう平穏だったあの生活は戻らない気がして。オテントは決して顔を出さず、静かな波なんてもう二度と聞けない気がして。たった1つだった幸せが神様に奪われてしまった気がして。
僕は思い詰めて、海に入って自殺した。
今、そのカラダは海底に沈んでいる。