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……ぞくりと、肩が震える。
先程まで優しい瞳を向けていた幸臣さんはもう居ない。彼の声はまるで、とても憎い相手に向けられているようなもので。
分からない。あたしはただ名前を言っただけなのに、どうして……?
「君、九条宵子さん……だったかな?」
冷たい視線をあたしに向けたまま、幸臣さんがこちらに近づいてくる。
あたしはどうしようもなく怖くて、でもどうしたらいいのか分からなくて、ただ震えるしか出来なかった。
「……おい、何してる」
突然、頭を鷲掴みにされるように手を置かれる。
「きゃっ!……常磐先輩……!?」
予測していなかった展開に思わず声が出るが、振り返るとそこに居たのは常磐先輩で。知った顔に出会えたおかげで、思わず涙が滲んだ。
あたしが泣き出したせいか先輩は一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐにいつもの顰め面になり、幸臣さんの方を睨みつける。
「昼間から堂々と援助交際するのが上級階層に生きる父親の嗜みとはめまいがするほどいい趣味だな。……あぁ、それとも奥方にでも愛想でもつかれたのか?ご愁傷さま」
言いながら彼はあたしを下がらせ、自分が前に立った。……守ってくれてるんだ。思わず背中にぎゅっとしがみつく。
「援助交際……?まさかそんな。私は妻一筋だからね」
「ふうん。近頃は "多忙" でなかなか帰宅出来ないそうだが、何をしているのやら」
「……とにかく。彼女には何もしていないさ。ただ息子の見合い相手にどうだろうと思っただけでね」
「はっ。生憎だがコイツは俺の恋人だ」
「おや、それは残念だ。なら馬に蹴られる前に退散するとしようか。……また会おう、九条宵子さん」
幸臣さんはまた優しい笑みを浮かべると一礼する。先輩はまだ不快に思っているのかわざと聞こえるように舌打ちをした。
……でも、どうして先輩はここまで怒ってくれるんだろう。あたしの為……だけじゃない気がする。そもそもあたし達は本当の恋人同士って訳じゃない。
それよりも個人的に幸臣さんに対して恨みがあるような感じに見えた。だけど先輩と幸臣さんって結構歳が離れているように見える。何処でどう関わりがあるんだろう……。
あんまり、詮索しない方が良いのかもしれないけれど。
「……あっ、そうだ。常磐鎌実くん」
その場から去ろうとし、何かを思い出したかのように幸臣さんは振り返る。
先輩の名前、知ってるんだ。やっぱり知り合い……?
「君は息子の我儘と我々の温情で生かしてやっているくらい、軽い命だということを今一度把握しておくように。……ではね」
「……!!な、何言って……」
また、冷たい空気が走った。怖くて、きつく先輩にしがみつく。
「いちいち怯えるな。今何かする程馬鹿な奴じゃない……」
先輩は相変わらず眉間に皺を寄せて険しい表情のままだったが、流石にもう一度舌打ちをして煽るような真似は出来なくて。
……そんなあたし達を見て満足したのか、今度こそ幸臣さんは立ち去っていった。




