現世 46
「いやああー、武流さん!」
天正真美の叫び声が響いた。
武流が、黄泉平坂鍾乳洞の調査に向かった日の翌日、彼に食事を届けに島に向かった出雲衆から、武流が見当たらない、と報告が上がる。照姫の命令で、出雲衆は周囲の海域を捜査したが、その日の午後、捜索隊は、接近する台風の為、御影武流の捜索を諦めて帰港した。生存は絶望的であるとの結論がもたらされ、彼の無事を祈っていた恋人の天正真美が泣き崩れる。
「お嬢!」「お嬢様!」
二人の側近が慌てて彼女に駆け寄った。
それを帳の後ろから照姫は鏡越しに覚めた目で見ていた。
ざわざわと困惑した囁き声が、満ちている。
『なんとまあ、涙まで流しておるわ。』
照姫は呆れた。
彼女のもつ八咫鏡の半身は、この世のあらゆる事を映す神器だ。よくもその前で見え透いた嘘がつけるものだ。
照姫は、昨日、あの船の上で武流に起こった事を全て見ていた。
自分の与えた危害を加えない、と言う約束が、一日と立たずに破られた瞬間を。
その時に浮かんだ勝ち誇った笑いと、偽装工作を実に楽し気にくつくつと笑いながらやっていた男の姿を。
どう落とし前をつけてやろうか、と考えている。気持ちを落ち着かせようと侍女の白装束が淹れたお茶を一口飲む。ほんのりと甘い最上級の烏龍茶だ。
「妾は、愚弄されておるのじゃろうかのう、貴志?
其方、娘を甘やかしすぎておるのではないかぇ?
それとも、其方たちも、妾には、何もわからない、と思っておるのかのう?」
帳の奥から漏れ出る巫力に、涙まで流して見せた天正真美がひっと短い悲鳴を上げた。
当代の出雲衆の祭神・照姫は、天正貴志の祖母の姉に当たる。
しかし、十二単に包まれた体は、まだ幼い子供の体で、鏡に映るのは、絶世の美女の顔だ。
常に人々には背を向け、鏡越しに話をする。
今、その幼子の背中は怒りの炎に震え、鏡の中の美女は氷の眼差しで、己の民を睨みつけている。
「な、な、な、何をおっしゃいます。私共は、皆、忠実なる照姫様の僕、決してそのような事は、」
「左様か?では、もし、その様な不心得者がおったらどうするのじゃ?」
「う、それは・・・・。」
その答えを聞いて、照姫は、やはり父親もグルだと確信した。
「はぁ、では、その者を追放する、と言うのはどうじゃ?二度と出雲衆を名乗ることは許さぬ。」
「それは、あまりにも、」
「あまりにも?妾を蔑ろにしたにも拘わらず、命が取られぬ事を喜ばぬのかえ?」
鏡越しの視線が天正真美を刺すように見ている。
「恐れながら申し上げます。照姫様は何にお怒りなのでしょうか?私たちには、何の事やら、見当が付きません。」
天正真美を庇って、す、と進み出て頭を下げたのは、寺山。武流を殴って海に突き落とした当人だ。
「ふむ、分からぬ、と言うのなら、話してやろう。御影武流は、妾が認め、鏡の欠片探しを託した者。その者を害すると言うのは、妾を否定する、と同じではないかえ?」
「それが誠であれば、正しくおっしゃる通り、死すらやむを得ないでしょう。ですが、あの男は調査の途中で事故に合ったのです。私達のあずかり知らぬ所で、死んだ男の責任を何故、私達が負う必要があるのでしょう?」
いっそ、寺山は堂々と言い切った。本当に、自分に責任は無いと思っているようだ。




