現世 42
「どうして、って、それこそどういう意味?」
「海の底に遺跡があった。そこに橘花が居た。」
「!?」
飛行艇のキャビン。簡易ベッドに横たわる武流と、その横に座っている大和、ギュンター王子の三名の間に、気まずい空気が漂った。
おかしなことを言っていると思っているのだろう。しかし、事実だ。武流はその時の事を説明する。
「少し変わった服を着ていた。以前よりちょっと瘦せていて。石造りの教会のような建物が後ろに建っていた。白い服の騎士の恰好をした男と青いマントを羽織った男がその入り口近くに立っていた。左からピーターパンみたいな服装の少年が物凄いスピードでこっちに向かって走ってきた。
波の音がしていた。夜中だった。鋭くとがった三日月が二つ、空の上にあった。いくつか焚かれた篝火と鎧の兵士たち。皆、緊張していた。
会いたかった、と言っていた。ずっと、会いたかった、と。」
武流の絶対記憶は、その泣き笑いの顔も腕に抱いた温もりも覚えている。
「あれは、橘花だ。本物の、僕の橘花だ。」
「武流兄。」
「あ、ああ、どうした?大和。」
「大丈夫?」
「大丈夫に決まっている。」
「そうは見えないよ。」
いつも冷静で、あらゆる可能性を考えて、目的達成の為に、最適解を導き出し、実行する。その為に、自分の感情に蓋をし、命令を遂行するだけの機械の様に動く事すら厭わない。
そんな暗部モードの武流が淡々と橘花に会った時の光景を紡いでいく。
怖かった。
感情が見えない。
武流が橘花を語る時、ただ名前を呼ぶ時ですら、溢れていた愛しさが、今は感じられない。
『どうしてここにいる?』
意識を取り戻した武流はそう言った。
それは、何故、連れ戻したのか?と訳せないか?武流は死んでも良いから海底遺跡の橘花の傍にいたかった?
これまでの武流からは考えられない後ろ向きの考えだ。
「どうしちゃったのさ、武流兄。
なんで、そんなに冷静なの?橘花に会ったんだよね。嬉しくないの?」
「嬉しい?そんな言葉では言い表せない。だから、僕を早く解放してくれないか。」
「解放?解放って何から?」
「もういいんだ、大和。僕を生かす為に巫術を使っているのだろう?人間が海の中で生きて行く事は出来ない。だから、僕は死にかけている筈だ。君は助けてくれるつもりなのだろうが、もう十分だ。この夢から解放してくれ。」
ゆっくりと目を閉じた武流を大和は信じられない思いで見つめた。
いつも冷静で、あらゆる事に目を向け、素早く最適解を導き出す、頼れる年上の又従兄。
本当に?
伊勢一族の影・御影。
一族の巫女を護る者。
そんな時代錯誤の役割を押し付けられ、知らないだけで本当は、武流の心は疲弊していた?
愛する橘花が護るべき巫女・春日の親友であったから、これまで仕事と恋愛は両立したのかも知れない。あの二人は大体いつも一緒だから。武流は橘花に恋したことで、影の任務の負担が軽くなっていたのではないか?。
武流には絶対記憶がある。その忘れられない記憶の中で、橘花はその頃のままで生きている。
今日、海底遺跡で橘花に会った。それは、武流が自分の記憶からいつでも好きな時に会いたい橘花を再構築することが出来る、と言う事では無いのか?
それに、今日、気が付いてしまったのだ。
今日、思い出の中の橘花が、武流に会いたい、と泣いていた事で、武流の中で、限界が来たんじゃないのか?
でも、そんなのおかしいだろ。




