異世界 43
「キッカ?」
思わず剣を構える腕から力が抜けそうになり、しかし、流石に、状況の異様さに、クラウスは改めて剣を構えなおした。
ゆらゆらと漂うように歩くキッカは、クラウスもヨハンもその目に映していない。まっすぐ、ヨハンの座っている執務机に向かっていく。キッカの後ろから、油断なくレイバンが入ってきて、しっと唇に指を当てた。
ヨハンは目を細め、キッカの邪魔にならないように静かに立ち上がり、その場を離れた。
キッカは迷うことなく、執務机の引き出しを開ける。その中から、布にくるまれた細長い箱を取り出した。そうして、部屋にいる男たちには目もくれず、また、ゆらゆらと歩き出すと、部屋を出ていった。
音もなくレイバンが続く。
「キ、」
声を上げようとしたクラウスをヨハン王子が引き留める。
「彼女は操られています。今、声をかけて、目を覚ましてしまうのは悪手です。」
そのまま、二人はキッカとレイバンの後を追った。
砦に詰めている兵士たちは、何故かキッカには気が付いていない。レイバン、クラウス、そして、ヨハン王子が、殺気を抑えた臨戦態勢で歩いているのを見て、何事かと寄ってこようとするのを、王子がハンドサインで持ち場を守る様に指示を出す。
予想通り、キッカはカーバンクルの檻に向かっていた。
「どういう状況かわかりますか、レイバン・プラハ=ハウゼン?」
「神子様は、ちゃんと部屋にいるっす。護衛も三名付いてるっす。辺境伯閣下も一緒っす。」
敬語を使おうとして変な話し方になるレイバンに、ヨハンは構わないので、普通に話すように言い、状況を確認する。
「ちょっと前に、キッカが部屋からふらふら出てきて、様子がおかしかったから、声をかけずに様子を見ていたんす。そうしたら、あの魔物の前で、独り言をつぶやいた後、また、砦に戻って、まっすぐ、王子の部屋に。
その間、護衛にキッカが止められることは全く無かった。あいつらは俺の事には気付いたから、神子様と辺境伯閣下のとこに行かせた、っす。」
「何を言っていたかはわかりますか?」
「いやー、あれは、キッカの国の言葉っすね。俺にはさっぱり。」
そんな会話をしつつ後をつける。
そうこうしているうちに、キッカはカーバンクルの檻の前にたどり着く。何事か語りかけ、持っていた箱を開くと中から細長い筒が現れた。更に筒の蓋を外して、取り出したそれは、30cm程の捻じれた乳白色のカーバンクルの角であった。
〈「そうだ、それだ。それをよこせ!」〉
檻の中で魔物が狂喜に跳ねた。
角から溢れだした魔力は、魔力耐性の低い普通の人間なら、近くにいるだけで、気分が悪くなるレベルだ。当然、異世界人のキッカに耐えられるレベルでは無い。にも拘わらず、彼女は、カーバンクルの角を震える手で握りしめると、檻を囲む結界に近づいた。魔物を阻む結界は、橘花には影響を与えず、その体は桜舞う美しいレース模様を通り過ぎ、カーバンクルの囚われている檻に触れる。しかし、橘花の顔からは血の気が引き、唇まで真っ白になっている。カーバンクルの角の魔力の影響か、結界の影響か。
そうっとレイバンが後ずさり闇に消えた。
「〈さあ、娘、その手を放せ。我に角を返せ!〉」《君は何を願うの?》
橘花には、羽を毟られ傷ついた兎が横たわって見えている。約束を守って角を返してくれる橘花に、兎は願いを尋ねた。
〈武流さんに会いたい。〉
春日の目覚めではなく、自分の幸せを選んでしまう事に、罪悪感を抱きつつ、橘花は迷うことなくそう答えた。
「〈いいだろう。〉」《合わせてあげる。》
彼女の手から角は離れ、それは、カランと音を立てて、檻の中へ落ちた。




