現世 33
天正真美に連れられて御影 武流は、豪華クルーザーばかりが泊まっている港に来ていた。出雲衆の本拠地に向かう為だ。
嬉しそうに腕を絡ませてくる女の左手首に、自分とお揃いの腕時計。
それを渡した時のはしゃぎようは、思い出してもドン引きする。
確かに、初めてのプレゼントがペア時計と言うのは、やりすぎな気がしないわけでもないが、物が物だけに受け取ってもらう必要がある。表面上、照れたように差し出す演技をしながら、心の底から自分に吐き気がした。その甲斐あってか、女は何の疑いも持たず、着けているのだから、目的は果たしたと満足すべきか。
武流は右の耳朶に触れる。そこには、本当の最愛とお揃いのオニキスのピアスがはまっている。五弁の星形をした橘の花。不老不死の花言葉を持つ吉祥花。思い人の名前。それを今は、この女に知られないようにロングタイプのイアーカフの下に隠している。
「武流さん?どうかされまして?」
「いえ、立派なクルーザーに驚いて声が出ないんですよ。」
下手な観光遊覧船より巨大なクルーザーは、デッキにジャグジー付きのプールまで付いており、船内に入ると、シアターやビリヤードルーム、音楽ホールまであり、当然、ネット環境も万全だ。
「うふふ。ゆったりと船旅を楽しみましょう。」
出雲衆の本拠地は秘匿されている。今回、武流を連れて行く事もかなりの反対意見が上がった、と聞かされた。公共交通機関を使う事は無いと思ってはいたが、それでもリムジンがプライベートジェットだろうと予想していた武流にとって、船、クルーザーと言うのは、選択肢に無かった。飛行機なら飛行時間と到着時刻で、ある程度の場所の特定は可能だ。しかし、船となると何日もかけての移動になる。夜間の内に進行方向を変えられてしまえば、何もない海の上、一体自分はどこにいるか、想像すら出来ない。絶対記憶を持つ武流なら、後日、星の位置と角度で正確な場所は割り出せるが、普通の一般人には無理だろう。そう言った意味で、この移動手段の選択は、流石に抜け目がない、と感嘆する。
何日もこの女と朝から晩まで一緒かと思うと、かなりのストレスだが、これも伊勢一族の影の役割と割り切れば、女の望む”御影武流”を演じる事に抵抗は無い。私情を挟むと歪みそうになる顔を甘い笑顔で隠すなら、橘花の事は切り離すべきだ。
全てが上手くいったとして、橘花との未来が、あの思いを通じ合った桜の木の下と同じはずは無いのだから。
唯一と思い定めた女性を裏切る行為を、淡々とこなす。橘花がいなければ、世界はこんなにもつまらない。




