現世 3
召喚魔法陣作成の監督を大和に任せ、武流は一旦、茶室の外に出た。
することは山のようにある。スマホを取り出すと、画面に橘花の笑顔が広がった。
『くっ』
「駄目だ、全然、冷静になれない。」
今頃、橘花を異世界送りにして、ご満悦な女の顔が目に浮かんだ。腸が煮えくり返る。にも拘わらず、そんな女にこれから連絡を取らねばならない。きっと、メールだけでは済まない。会って話がしたいと言われるに決まっていた。あの女はそう言う機会を決して逃さない。
自分に手を伸ばした橘花の驚愕に見開かれた瞳が、甦る。
武流が橘花に初めて出会ったのは、武流が12歳、橘花が7歳の時だった。
偶々、足を運んだ百貨店で、迷子になった上に、怪しげな男に連れ去られそうになっていた彼女を助けたのだ。そうは言っても、出会いとしては最悪だったと言わざるを得ない。何故なら、その時、武流は橘花に平手で頬をぶたれたのだから。
思い出すと身もだえするほどの黒歴史だ。
だが、そのおかげで、彼女の記憶に残ることが出来たのだ。
『橘花を取り戻すために。』
その為になら、何でも出来る。例え、橘花に軽蔑されるとしても。
何度もしつこく送り付けられていたアドレスは全て削除していた。怒りで震える指で、大学の研究室のHPを選ぶ。特殊コードでログインすると、名簿からあの女のアドレスを探す。ここに来る途中で購入した安いスマホから、一行だけ送った。
”神隠し”と。
直ぐにスマホが鳴った。
「・・・はい。」
「武流さん?真美です。」
お前に名前呼びなんて許していない、その叫びを飲み込んで、武流は大きく息を吸い込んだ。
「ああ、連絡が取れて良かった。助けてください、天正さん。神隠しです。春日が神隠しに会いました。橘花も一緒に消えてしまって。」
さあ、お前の大好きなシチュエーションを作ってやろう。好きな女を失って打ちひしがれる男を励ます優しいヒロイン。いつしか、男は昔の女を忘れ、自分を慰めてくれたヒロインに心奪われる、と言う三流ドラマの舞台を夢見ていたんだろう?
「手掛かりは雷紋なんです。あなたの出雲衆は鬼道に詳しいと聞いています。力を貸して下さい。勿論、無料でとは言いません。僕に出来る事なら何でもします。だから、」
「何でも?」
ねっとりと絡みつくような声だった。
「わたくし、ちょうど今、貴国ホテルにおりますの。そちらでゆっくりお話をお伺いしたいわ。」
「直ぐ、伺います!」
「やったわ!寺岡、佐藤。遂に、武流さんがわたくしをお認めになったわ。」
「おめでとうございます、お姫様。」「おめでとうございます。」
スマホを切った天正真美は満面の笑みで後ろを振り返った。彼女に幼い頃から付き従う二人の男性、寺岡と佐藤が慇懃に頭を下げた。
「ああ、ようやく。ようやく、わたくしの価値を知って頂けた。これで、あの小娘にたぶらかされていたあの方の目も醒めるというもの。それでは、早速、愛しの我が君をお迎えする準備をしなければ!」
いそいそと頬を染めバスルームに向かう令嬢の身支度を手伝う為に、男たちもバスルームへ消えた。
一時間後、武流と天正真美の姿は貴国ホテルのラウンジで目撃され、二時間後、武流は一人でホテルを後にした。
茶室の屋根に巫女を呼び戻すためのの鏡召喚陣が完成したのは、その日の夕方だった。