異世界 33
橘花達の事は、樹海近くの伯爵領での説明をそのまま伝えていた。途中、どんな邪魔が入るか知れなかった事に加え、余計な前情報なく、神子の力を評価してもらいたかったからだ。
なので、ヨハン王子は居住まいを正し、辺境伯と母に尋ねた。
「この馬車の中をどう思いますか?」
その唐突な質問に辺境伯は首を傾げた。しかし、母は何か思うことがあるのか、考え込むように軽く目を閉じ深呼吸をした。
「とても清浄だ。溢れ出た瘴気の影響は領都にも及んでいると言うのに、ここは新緑の森の中と勘違いしそうだな。」
「ふむ、そうかね?確かにここ何日か感じた事のない安らかな心持になるが、それは、殿下にお会いした、と言う事だけのせいではない、と?勿論、貴女にお会いできるという望外な奇跡にも感謝していますよ、ミランダ夫人。」
そう言うと、伯は軽く紅茶のカップを持ち上げ、ミランダにウインクを送った。
「ええ、恐らく、これが、浄化です。わたしも初めての経験ですので、断言は出来ないのですが。」
そう言って、席を立ち、ヨハン王子は橘花と春日を振り向いた。
「召喚された神子様とご一緒に来られたご友人のキッカ様です。」
突然自分の名前を呼ばれ、びくっとする少女を安心させるように、傍に控えていたミランダは微笑んで、その肩に触れた。
「こちらの方が、キッカ様です。キッカ、ヨハンさまのおかあさまとおじいさまです。」
ミランダは理解できる言葉のまだ少ない橘花にもわかるよう、ゆっくり一語一語話し、人名では、その人を指し示してくれた。
「キッカ、です。」
異世界式の挨拶はまだわからない為、橘花は斜めに崩していた足をそろえ、正座をすると、きちんと指先をそろえ、二人に向かって60度ほど頭を下げた。茶道で言う所の”行”の礼である。
「これは、これは。」
ミランダが用意した歴代の神子の衣装と相まって、その姿は美しく、正しく、神子、に相応しいと思われた。
「彼女が神子様では無いのですか?」
「実は、」
そう言って、ヨハンは神子召喚とそれに伴う王城の混乱を説明する。
先代の神子との約定を破り、魔物の脅威も無いのに神子召喚を独断で行ったギュンター第二王子。その結果、結界に綻びが生じ、魔物が溢れだし始めている。それでもまだ、神子様が無事なら良かったのだが、言う事を聞かせるために魔具で縛り、ギュンター王子の命令にしか従わないようにされてしまっている。その上、当の本人は行方不明。これではただ、平和な世に魔物を放っただけ。
「何と愚かな。」
辺境伯はあきれ果て、不敬にもそう呟いた。
「これが民に知れたら、王家の権威は地に落ちるどころの騒ぎではありませんな。ましてや、他国に知れたら、このジュラ王国の存亡にかかわる。」
「その通りです。ギュンター王子の行方は探させていますが、まだ、見つかったという報告はありません。神子様を縛る魔具の解除方法も、探索中です。
ただ、これはギュンター王子の勇み足と言うには、話が出来すぎです。あの子は確かに物事を表面的に見過ぎで、他人のうわべを信じやすい。おそらく、今回の件の主導権を握っていたのは、神官長でしょう。」
どこまで話すべきか、そう頭の中で物事を整理しながら、ヨハン王子は紅茶の最後の一口を飲み干した。遠征に持参したお気に入りの紅茶がいつも以上に苦く感じられた。
「神殿は全ての責任を神官長一人に擦り付けて、知らぬ存ぜぬを通すつもりの様ですが、いくら神官長とは言え、我々に全く勘付かせることなく、神子召喚の準備など不可能。ましてや、神子様を縛る魔具など・・・。神殿ぐるみ、更に一部の貴族を巻き込んでの事と考えています。ひょっとすると、ジュラ王国の宗主的立場を良く思わない他国の介入もあるのかもしれません。厄介な事です。」
「それで、神子様をお連れした、と?」
飲み終えたカップを静かにテーブルに戻して、ヨハン王子の母、魔法師のアリシアは、尋ねた。
「その通りです、母上。」
彼女は橘花と視線を合わせると、深く頭を下げた。
「こちらの勝手な都合に巻き込んでしまい、謝罪の言葉もありません。せめて、心穏やかにお過ごしになられるよう、尽力致します。」
「母上、彼女は、まだ、こちらの言葉をあまりよく理解できません。」
そういうヨハンに、アリシアは厳しい視線を向けた。
「言葉がわかるかどうかは、この際問題では無い。謝罪は気持ちが大切なのだ。全く、貴方は、頭でっかちでいけない。言葉は相互理解を深める一つだが、それが全てではないのだよ。」
「・・・。相変わらず母上のおっしゃることは抽象的過ぎて、私には理解が難しいです。」
困ったように苦笑いをするヨハン王子と横の膝をつく女性、それを面白そうに見ている老人。話された内容の一部の単語しか理解できない橘花には、この会談はとても恐ろしいものにしか感じられなかった。




