現世 29
大和はギュンターが食事をする横で、魔法陣を描いていた。彼が、チラチラとこちらを見てくるのを十分に意識している。意図的に間違った文字を描いた時など、食事が止まり、口を出すべきかどうか悩んでいるのまで手に取る様にわかる。
内心、笑ってしまうのだが、きちんとした魔法陣を描くには、集中して巫力を流す必要がある。遊びじゃないぞ、と気持ちを引き締めて、次の作業に移る。ギュンターが黙っているならば、それまでだ。彼がこちらをどの程度信用しているのか、大和は見極める必要がある。
暫くして、大和は自分を呼ぶ声に、顔を上げた。
ほっとした表情を浮かべる異世界人が自分を見下ろしていた。
〈あまり根を詰めるな。また、倒れるぞ。〉「ヤマト、おそい。」
母国語と日本語に共通性を感じず、首を傾げた大和だったが、腕時計を見て、驚いた。既に三時間が過ぎていた。
「え!え?ごめん。すぐ、お風呂入れるね。」
集中しすぎて、時間を忘れていた。「やっばー。もう、武流兄、帰ってきてるよな。うわー、怒られるかな、これ。」
ササっと風呂を洗って、自動給湯をセット、出しっぱなしにしていた魔法陣をバタバタとカバンに詰め込む。食べ終わった食器をまとめて、布団を敷くまでをあっという間に終わらせて、大和は出ていった。
湯船の中、ギュンターが大きくため息をつく。
自分は必要だから神子を召喚した。それが王族の義務だ。
これまで召喚した神子は、文化の進んだ王国の暮らしを楽しんだと聞いていた。文明の遅れた野蛮な異世界人に贅沢な暮らしをさせてやっているのだ、見返りに結界を張るぐらい当然だろうと・・・。
”人攫い”と神子本人に罵られても、全く心に響かなかった。そんな事を言った所で、王国の暮らしを知ってしまえば、この地に招かれた事を手放しで喜ぶのだ。宝石や金銀財宝、絹やレースの豪華な衣装に囲まれた生活を望まない者はいない。そう、思っていた。しかし、今回召喚した神子は黄金の首飾りを汚らわしい物を見る目で拒絶した。
ざばばっと湯を溢れさせて、頭の先まで適温の湯に浸かった。
聞かされていた話とは全くの別物で、神子のいた世界は、ジュラ王国よりはるかに水準が高い世界だった。清潔な住居に澄んだ水、多様な旨い食事、様々な便利な道具、何より、魔物のいない安全な世界。そんな気持ちの良い贅沢な生活が当たり前の世界だった。
〈帰りたくないな。〉
自分などいなくても、誰も困らない。あの優秀な兄がいれば。
そう幼い頃から、ずっと心の奥で思っていた。
現に、今、自分がいなくなっても誰も呼び戻そうとはしていないではないか。
神子召喚陣の対象者を自分に書き換えれば、直ぐに呼び戻してもらえる、そうギュンターは思っていた。
召喚陣の起動に王族の血が必要で、例え、兄が拒否したとして、第一王位継承者である自分を父王が見捨てるはずはない。王妃である母がそうさせない。そう信じていた。
召喚に必要な魔力を貯めた魔石の準備や召喚に適した星々の配置を考慮しても、本気で呼び戻すつもりなら、自分はもう召喚されている筈だった。
それが無い、と言う事は、つまり、そういう事なのだろう。
〈平凡な王子〉
陰でそう呼ばれていた事を知っている。




