異世界 30
数日後、ヨハン王子が待っていた護衛部隊が伯爵邸に到着した。
春日と橘花、そしてヨハン王子を乗せた王家の馬車が、騎士たちに囲まれて北上する。
既に、結界の綻びが伝えられているのか、騎士達の表情は硬い。
馬車の中でもヨハン王子は関係各部署に書簡を作成し、それをヘレナに渡して送らせている。クラウスは馬車と並走しているが、赤騎士であるレイバンは、部隊より先行し、道中の安全確保の任についていた。
滔々と流れる大河の対岸が北の辺境伯領になる。対岸には数キロに渡り河沿いに壁が作られており、向こう岸の様子は見る事が出来ない。広い河川敷の向こうを西から北東に流れる川にかかる橋は、幅が狭く、馬車が一台通るのがやっとだ。その橋は木造で、北と中央を結ぶ交通の要衝であろうに何とも頼りない感じがした。
「あの、私は初めて、渡河するのですが、この橋は何とも、その、緊張、しますね。」
それまでは馬車の横を並走していた青騎士のヘレナが、後ろに下がり、先輩の青騎士に話しかけた。
「北の辺境伯領は、それ自体が二ーラカーナの魔物への防衛を担っている。この橋も魔物を渡河させないよう、いざと言う時に落とすこと前提で架けられているのだ。この先にも、魔物から国を守るためのあらゆる手段が取られている。」
「そうなんですね。知識としては知っていましたが、実際に目にすると、身が引き締まる思いがします。ここは、王国防衛の最前線なのですね。」
しかし、感動するヘレナをあざ笑う声が頭上からかけられた。
「たーんじゅん。そんなの建前に決まってるじゃん。」
「レイバン?!」
いつの間に戻っていたのか。赤騎士は、不敬なことに王家の馬車の上に胡坐をかいて座っていた。
「確かに、水を嫌う魔物は多い。けど、ニーラカーナは海の向こうにある島だ。そっから渡って来た魔物が、今更、こんなちっちゃな河を嫌がるかよ。橋があろうとなかろうと渡河するに決まってる。これは、北の辺境から、住人を誰も逃がさないためなんだぜ。」
「何を馬鹿な!」
「あー、大貴族のご令嬢様は知らなくって良い事?そっちの白い兄ちゃんは知ってる?知らないか、王宮勤めには関係ないもんねー。」
食ってかかるヘレナをへらへらとかわして、レイバンは馬車の前を進むクラウスに矛先を向けた。
一行の中で、唯一の白騎士隊士である彼は、名目上、ヨハン第一王子の護衛だ。ヨハン王子は青騎士隊隊長として動く時には、基本、白騎士の護衛はつかない。今回は、王族としての公務も行う可能性を考慮し、クラウスを同行させている、が表向きの理由で、本来は春日達の護衛だ。
「この国の川に架かる全ての橋は、有事の際には落とす事が許される。」
クラウス・フォン・アインバッハ白騎士隊二席は、進行方向を見つめたまま、静かな声で答えた。
「全て、の橋?」
驚いたヘレナの声とひゅーっと口笛を吹くレイバン。同行の青騎士は何も言わず、眉を顰める。
「全て、とは、王都の橋もですか?」
返事が無いのは肯定なのだろう。ヘレナは青くなった。
王都はミト河とその中州に建てられた王城を中心として形成されている。別名、水の都とも呼ばれる美しい王都は、東西に架けられた大橋で対岸への移動が可能だ。東側には貴族達の邸宅が河沿いに建てられている。上流に行くほど、身分が高い。貴族は基本、王城への登城時には専用の船を使う。西側は、平民街だが、橋を挟んで上流が商業地区、下流が工業地区に別れている。河から離れる程、下流に下るほど貧しい者たちが住む。
ミト河の上流と下流にも橋が架けられており、ここが王都の南北の境界線となる。
有事の際に王都の橋が全て落ちると、王城は孤立する。
「何の為に?籠城?」
「まさか!自分たちだけが助かる為、だよ。決まってる。」
そう断言したレイバンの言葉にもクラウスの返事は無かった。




