異世界 28
パタンとかすかな音がして、馬車の扉が閉ざされた。最後に見えたのは深く頭を下げた白騎士の姿だ。
橘花はふーっと深い息をつく。彼は、毎晩、彼女が外に出る時に少し離れた所に立っている。そうして、橘花が中に戻ろうとした時に、そっと近づいて、一輪の花を差し出すと、馬車の扉を閉めるのだ。施錠の音を確認し、暫く、その場に留まり警護をする。朝にはいなくなっているので、日付が変わる前には別の騎士と交替しているらしい。
白騎士からもらった花は、春日の枕元に飾られている。毎日、違う花をくれるので、統一性は無いが賑やかな花束が出来ている。何日か経って、元気の無くなった花もあり、捨ててしまってよいのか、ちょっと悩む。
昔から、花をもらうのは好きなのだが、その後、どうしたら良いのか困る。ドライフラワーにした事もあったが、どの花もドライフラワーに出来る訳では無い。武流は、不思議そうな顔をしたが、橘花には折角もらった花をしおれたからと言って、ゴミ箱に捨てるのはどうにも心が痛むのだ。
なので、絵に残すことにしていた。
スマホで撮るのは簡単だが、描いている間中、もらった時の幸せな気分が続く。
そうして、何枚もの花の絵を描いた。
「絵が描きたいな。」
馬車の中で過ごさなくてはならない一日の大半を、無為に過ごすのは勿体無い。
あれから、何日が立ったのだろう。
今までは、嵐の様に毎日が過ぎて行ったが、ここに来て、いきなり、ぽっかり何もする事が無くなってしまった。言葉の学習はしている。けれど、一番会話の成立する青年と最後に会ったのはいつだろう。彼の持つ辞書の様な物を借りられれば良いのだろうが、その交渉すら出来ない。
春日はまだ、目を覚まさない。
彼女の手に握らせたスマホには、何件がメールが届いていたが、ロックがかかっていて、橘花では開ける事が出来なかった。待ち受け画面の武流をずっと見ていたいけれど、いつ電池が切れるかと思うと、朝夕の挨拶の時しか、開ける事は出来なかった。
自分のスマホはとっくに電池切れだ。春日のスマホがいつまでも100%なのは異常だ。だからと言って、それがいつ0%になるかは、わからないのだから、ケチケチ使うに越した事は無い。
山盛りのクッションに囲まれて眠る春日は、時々、眉間に皺が寄っている。つんつんと軽く突いて、皺を伸ばそうと指で左右に広げていると、変な顔の出来上がり。つい、吹き出してしまって、勢いで涙が零れた。
「春ちゃん、早く、目、覚ましてね。・・・。寂しいよ。」
クッションに顔を埋め、そのまま春日に抱き着いた。馬車の窓、カーテンの隙間から見える夜空には、見知らぬ星々が瞬いている。
一日の内、本当に僅かな、眠りにつくまでの、自分だけの時間。
「お母さん。お父さん。心配してるよね。」
自分が目の前で消えた事を武流は、自分の両親に何と説明したのだろう。大和は春日と同じく状況をある程度把握しているのだろうけれど、異世界転移と説明された所で、両親が納得するとは思えない。我が身に起こっていてさえ、まだ、夢ではないかと思うぐらいなのだ。
「心配かけて、ごめんなさい。」
両親への思いとは、別な所に、もう一つ大きな思いが、橘花の心の中心にはある。
「武流さん、会いたい。」
彼が、自分の為に奔走してくれている事は全く疑っていない。だから自分も元の世界に戻る為に、出来る事は何だろう、と考える。少なくとも、何もせず、春日の傍にいるだけではいけない。春日が目を覚ました後、役に立てるように、物事を円滑に進めるために、良好な人間関係を築いておくことなら出来るかもしれない。せめて、自分が足を引っ張らないように。春日が思うように行動できるように。せめて、周りの異世界人の顔と名前と地位、能力、それ位は、春日に伝える事が出来るようになろう、そう、思った。




