現世 15
強い空腹感は聖水を補給しても満たされなかった。
ギュンター王子は、目の前に出された異世界の食事に恐る恐る手を伸ばした。こちらに来て、ずっと何も口に入れていない。水すら、一服盛られることを恐れて飲んでいなかった。流石に4日目となれば、限界だ。王族の嗜みとして、聖水と魔石は最低限装備している。王族に渡される聖水は、神子を召喚した聖なる泉から汲み上げた物に毒消しやポーションの効果を付与してある。本来、一口ですべての状態異常が解除され、三日は飲食を摂らずとも体力の落ちない仕様になっている。しかし、聖水を飲んでも、魔法は使えないまま、空腹は満たされなかった。
異世界は、何もかもが母国と異なっていた。
板の上に乗った皿や椀に盛られた食事は彩りよく、見覚えのない食材ばかりではあったが、初日に出された物より、馴染みのある食べ物に変わっていた。肉らしきものとパンらしきもの、そしてスープらしきもの。ナイフとフォークは武器になり得るからか供されていない。代わりにトングが付いていた。
「手で食べるよりはマシか。」
取り敢えず、スープを一口、口に含んでみた。特に、刺激も苦味もなく、適度な塩味が上手かった。気が付けば、全てを飲み干しており、愕然とする。青くなって、吐き気が襲ってくるのを待った。じっと待つ間、息を詰めた。
何も起こらなかった。
肉に手を付ける。臭みは無かった。そして、柔らかかった。こんな柔らかい肉は王家の食事でも、食べた事が無い。もっと欲しい、と思った時には、それも無くなっていた。
パンも持った瞬間の軽さとかんだ時の柔らかさに唖然とする。
〈あ、今晩は、食べたんだ。やっぱり洋食が良いのかな。〉
「ヤマト。」
〈え?僕の名前?何で?知ってるの?〉
食べ終えたのを見計らっていたかのように、黒髪黒目の神子によく似た気配を持つ少年が現れた。
言葉は通じないものの、ギュンターに向かって話しかけているのはわかった。覚えたての名前を呼んでみると、びっくりしたのか、大きく目を見開いた。
しかし、異世界人、と言うのは平和ボケしているとしか言いようが無い。今度の”牢”は、前の”、牢”に比べても、広く、開放的で、人間を閉じ込めておく場所とは到底思えない。直ぐに脱走できそ
うだ。しかし、今は、ギュンターにその気は無い。どうにかして、魔力を集めなければ。先程の黒い板を送るのでさえ、少年は気を失ったのだ。魔力枯渇によるものだろう。自分を故郷に送らせるには、全く足りない。にも拘らず、こちらに来て唯一の魔力持ちが、無防備に一人で敵方の人間の前に現れるとは。襲って欲しいとでも言うのだろうか?
取り敢えず、この少年を手懐ける必要がある。
ギュンター王子は、王国の貴族たちを虜にした輝くような笑顔を、大和に向けた。




