3-21 帰還の日
空けて翌日、いよいよ、帰還の日がやってきた。
その日は、ごく普通にぽかりぽかりと雲が空に浮かび、この時期特有のうすぼんやりとした天候で暑くも無く寒くも無く、当たり前の日常が待っていそうな、そんな普通の朝だった。
橘花はいつもの様に目を覚まし、いつもの様に階下に降りて、皆で食事を摂った。ミランダを手伝って食事の後片付けをし、しばらく暮らしていた灯台の部屋を掃除した。
「キッカ様、お弁当です。」
そう言って渡されたバスケットを受け取る。
「ありがとう、ミラ。行って、き、ます。」
ぽろぽろと涙が零れた。
「キッカ様、どうかお元気で。」
「ミラ!ミラ!ミラも元気でね。本当にありがとう。私、ミラの事、大好きだよ。」
「勿体無いお言葉です。ですが、嬉しいですわ。この世界からキッカ様の幸せをお祈りいたします。レイバン、キッカ様の事、頼みましたよ。」
赤毛の少年は大きく頷いた。「ミランダ様もお体に気を付けて。孤児院のチビ達の事、お願いします。」
ミランダ・フォン・シューバッハは既に王宮の女官長を辞している。これまでは神子の専属侍女長をしていたが、神子が帰ったあとは、ここノーザンライツ辺境伯領で、レイバンの古巣であるプラハ=ハウゼン孤児院の院長に就任する予定だ。今までの院長先生はレイバンの右腕の魔道義手の技術を買われて、同様の魔道具を製作する部門の総括に選ばれてしまったからだ。自分は何もしていない、技師たちの技が、等と断っていたが、辺境伯の押しに負けたらしい。
そんな訳で、橘花が描いた何枚もの絵は橘花からミランダへのエールでもある。
「それと、これを。」
レイバンはそう言うと首から下げた赤い羽根のドッグタグを外した。
「イザークたいちょ、いや、兄貴に返してもらえませんか?」
「バン?イザーク様にお別れを言わないの?」
そのドッグタグに魔力を注いで砕けば、すぐに、イザークに連絡が行く。帰還の前には必ず連絡する様に念を押されていた筈だ。
橘花があまりにも心配そうな顔をするので、レイバンはちょっと笑ってしまう。
「問題ないさ、橘花。兄貴は俺が使わない事をわかってて渡してる。過保護なんだよ、あん人も。俺たち孤児は、孤児院の奴らは全員家族だ。これは、家の鍵みたいなもんだ。帰る場所があるって言う証。」
「なら、バンが持っていた方が良いわ。
例え、遠くに離れていても、待っている家族がいる、帰る家がある、って心の支えになるよ。」
赤い羽根をレイバンの手ごとそっと包んで、橘花は囁くように言った。
「そうか、そうだな。これは、兄貴に、家族に繋がる鍵、だな。」
レイバンは自分の手を包む橘花の手を押し頂くように額に当てた。
「ありがとう、橘花。橘花はいつも俺に必要な言葉をくれる。」
橘花の顔が真っ赤になった。
「レイバン・プラハ=ハウゼン!あなた、このままここに残った方が良いのではなくて?」
きりりと眉を上げて、ミランダ元女官長の冷めきった声がレイバンを叱る。
「わわわ、ごめんなさーい。」
ミランダとの別れは、しんみりした雰囲気から一変してしまったが、最後にミランダの笑顔を記憶に焼き付け、橘花達は、ミランダ一人を残して、ニーラカーナの甲羅の上に転移した。
そこには、見知らぬ美しい女性が待っていた。
瞬時に、戦闘態勢に入るレイバンとリオンハートだったが、それはその美女から零れる膨大な魔力のせいだ。
「わざわざ、出来ていたのか?オト。」
最後まで橘花の腕の中にいる、と駄々をこねたカーバンクルのセンが、あっさりとその美女の腕の中に納まる。
「セン?お知り合い?」
「うむ、同僚だ。
ニーラカーナの誘引突起。乙。」
その紹介に、楚々とした美女は一転して妖艶に微笑んだ。
「誘引突起?」
「そう、魔亀・ニーラカーナは巨大すぎて結界の有無に拘わらず、そのままでは、隠密に人の世に混じる事が出来ぬ。その為、ニーラカーナは、誘引突起として、この人型・オトを作った、と言う訳だ。」
「えげつないぞー。この容姿に惹かれた男どもが色々と貢いでな。ついでに魔力もごっそりと奪っていくから、一時期、オトはサキュバスと言われてなぁ、神子の討伐対象になった事もある。」
うふふと笑う美女に、男性陣はドン引いた。
「で、何用だ?」
「ちちちちち。」
高音の金属を打ち鳴らしたような音が美女の口から発せられ、橘花達はぎょっとする。
「ふむ。・・・。オトにしては気前が良い。」
「ちちちちちち。」
「あぁ、そうだな。」
ふっとセンの表情に影が落ちる。
「ちちち。」
「わかった。」
会話?を終え、カーバンクルは再び、橘花の腕の中に戻る。
「ニーラカーナは、異界に戻る主たちが望むなら権能を与えても良い、と言っている。」
「ニーラカーナの権能って?」
「転移先の時を選べる。」
「「「!?」」」
センが言うには、ニーラカーナは本来、海つ神の神使で地上や天上に住む神々の連絡係として、世界をを行き来していた。その権能は、目的地に目的の時間に到着する事で、それはつまり、橘花達が希望するなら、召喚直後に戻すことも可能、と言う事だ。
「それは、凄いね。」
「良いですね。それなら、橘花も美大に入学出来ます。」
「春日も、イギリス留学に間に合うよ。」
春日、武流、大和が驚きつつ喜ぶ中、橘花だけは、考え込む。
「それは、私たち以外の人の時間はどうなりますか?」
「ちちちちち。」
「うむ、主たちに近しい者ほど、巻き戻しの影響は強い。死んだ者は生き帰らないし、壊れた物は壊れたまま、だそうだ。」
どうやってか、センにはオトの言葉とは言えない音が何を言っているのか、わかるらしい。これも彼の言う”言語ちぃと”なのかもしれない。
「橘花、あまり言いたくはなかったのだけれど、ここと向こうでは時間の流れる速さが違うようなのですよ。ですから、体感、こちらで一週間ほどであっても、向こうの時間では一か月弱、と言った所でしょうか?」
「え?!」
武流の言葉に橘花は驚く。
「だから、多分、このまま帰ると、向こうでは一年位経っていると思います。」
「一年・・・。」
だから、時間のずれを知っていた大和も春日もオトの提案に一も二も無く飛びついたのだ。
「そう、なんだね。」
一年。
そんな長期間、行方不明になっている自分を家族はどれ程心配しているだろう。そう考えると泣きたくなる。
「ねぇ、セン、もし、召喚直後に戻ったら、お父さんとお母さんはどう思うかな。私がいなかった一年の記憶は残ってるんだよね?」
「両親か。ふむ、なら恐らく覚えていよう。」
美女も頷いた。
「それは・・・。」
橘花は唇を噛む。春日達も思案顔だ。
「ちちちちち。」
「数人なら、記憶を消すことも出来る、と言っているぞ。」
「え!?」
どうする?と春日達は橘花をみる。
はっきり言って、倭の神道を司る伊勢の斎宮巫女である春日やその護衛を務める武流は、多少の怪異はスルーされる環境にある。仮に、伊勢のじいさまたちが、この一年の記憶を残していたとして、それは、大したトラブルにはならない。
けれど、普通に暮らしている橘花の両親は、空港で起こった爆発事故に巻き込まれ、意識不明の重体で一年近く入院・面会謝絶の愛娘が、突然、元気で戻ってきたら・・・。
「橘花がいない間の記憶を消してもらうのは、あり、だと思う。」
慎重に春日が言い、大和も武流も頷いた。
橘花には伝えてないが、大和たちは橘花の両親がどれだけ、橘花の事を心配し、病院に日参していたかを春日にも伝えている。日々憔悴していく様は見ているこちらも辛かった。
その記憶が無くなるのなら、それは、両親だけでなく、橘花にも良い事の様に思われる。
恋人たちの様子から、何となく、両親の様子を察した橘花も、頷く。
「私がいなかった時間の両親の記憶の消去を、お願いします。」
橘花はセンとオトに向かって、深々と頭を下げた。
「もう一つ、質問があります。」
橘花を春日に任せ、武流が魔神たちに向かって尋ねた。
「先程、”近しい者ほど、巻き戻しの影響は強い。死んだ者は生き帰らないし、壊れた物は壊れたまま”、と言われたが、僕たちの敵、はどうなりますか?」
”敵”、近しくはないが、無関係では無い者。
そう、今回の召喚の手引きをし、八咫鏡を手に入れようと画策していた出雲衆や照姫。
「八咫鏡が一つになって、主たちの手元にある以上、戻った時点で、出雲衆から八咫鏡の欠片や照姫は消失する。それに紐づいて幾つかの事象は確定となる。それが、何かは分からないが、物が神器絡みである以上、些事とは言えぬ影響が出るであろうな。」
ふむ、と武流は考え込む。ならば、帰ったらすぐ、奴らの動向を探る必要がある。だが、些事とは言えぬ影響が出て、照姫が消失するなら、もはや、不安要素は無い。
ちら、と大和を見ると彼も頷いているので、同じ結論に達したのだろう。
「わかりました。ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
にこにこ笑ったオトに、時代劇に出る様な漆塗りの箱を渡された。
「玉手箱、みたいだねー。開けたら、ぼわん、と煙が出たりしてー。」
笑っていたら、向こう側で美女が微笑んでいた。
にっこり。
「怖っ!」
思わず叫んだ大和だった。




