異世界 9
『春ちゃん。』
抱きしめる体は暖かく、呼吸も安定している。一見すると、ただ眠っているようだ。だが、橘花は知っている。春日がしばらく目覚めない事を。そう、本人が言っていたから。
春日のスマホが鳴って、大和の声がアニメ映画の有名なセリフを言った。様子がおかしくなった春日だったが、その声に反応して一瞬、元の彼女に戻り、「おじさま」と叫んだ。その直前に奪われたスマホがその叫びに応じて光り、持っていた男の人が消えた。
「ごめんね、橘花。帰るチャンスだったのに。私、暫く、起きられないと思う。この、呪い、解かなきゃだから。一人にして、ごめん。」
『わかってる。大丈夫。春ちゃんが、私を帰そうとしてくれた事、ちゃんとわかってるよ。』
「春ちゃんが眠っている間、春ちゃんの事は、私が守るよ。」
声に出すことで、自分を励ます。
目の前で跪いていた美しい青年が何かを話しているが、全く意味が分からない。この人は、最初にいたキラキラした人を止めていた人だ。でも、だから味方と言う訳では無い。だって、目の奥が冷たい。信じる事は出来ない。
〈われ、よはん、きみ、しゅご。〉
〈ここ、だめ、あんぜん、ない。〉
青年の口から片言の日本語が語られ、橘花はちょっと驚いた。だが、それだけだ。
橘花が反応を示さないからか、青年は彼女を刺激しないように後退り、何か話をした後、去っていった。残ったのは、春日に首飾りを渡した騎士一人。
少し離れた場所に、彼女たちに背を向け立っていた。
どの位経ったのか。
人が動く気配に、顔を上げると、一人の上品な女性が、彼女たちの前に膝をついていた。
「初めてお目にかかります、神子様。女官長のミランダと申します。神子様方のお世話をヨハン第一王子に申し付かりました。」
かなりゆっくり一語一語話してくれているが、何を言っているのか理解できなかった。しかし。心から彼女達を心配していることは感じられた。少し下がった眉と不安そうな声音。仕草の一つ一つが怯えさせないよう注意を払われている。
銀色の水差しから移された透明な液体。差し出された銀のカップ。安心させるように一口飲み、暫くしてから、そのカップを差し出した。
おずおずと手を伸ばし、橘花も一口飲む。
〈美味しい〉
そのまま、カップを春日の口に当てる。〈春ちゃん、飲める?〉
コクリ、と春日の喉が動いたのを見て、止めていた息を吐く。
女性が軽く小首を傾げ、水差しを持ち上げた。橘花も頷いてカップを差し出した。二杯飲んで少し落ち着く。女性は一緒に持って来ていたバスケットから、パンのような物を取り出した。
少しちぎって、自分で食べて見せ、橘花に差し出す。しかし、橘花は首を左右に振った。水なら飲ませる事が出来たが、眠っている春日にパンを食べさせることは出来ない。なら、自分も要らない。
安全を証明する様に、女性は再度一口食べて見せたが、橘花は首を振って、春日を見た。女性はそれで理解してくれたようだ。
騎士が何かを言い、女性がそれをやんわり咎めてくれていた。




