現世 52
持ち上げた白い兎のぬいぐるみがバラバラになって、大和の手から零れ落ちた。ガチャンとそれなりの重量のある物が地面に落ちた音がする。
風が、大和の顔の横を通り過ぎ、スッと頬に痛みが走った。
「え?」
少し離れた焚火の傍にいた筈のギュンター王子が海の中に落ちていた。戸惑う間もなく、武流が彼をがんじがらめに拘束する。
〈俺は悪くない。悪いのは、告げ口をしようとしたそいつだ!〉
一体、何が起こっているのか、全く理解できない。
分かった事はただ一つ。自分はギィの攻撃を受けて、頬が切れた、と言う事。
遅れて、つ、と細く赤い線が、大和の頬に走り、一筋の血が流れた。
『何なのじゃ、あ奴は。妾は、大和に、ここへ来てから、八咫鏡の欠片の気配が強くなったと、伝えたかっただけなのに。あ奴は、裏切り者かや?』
流石、神器と言うべきか、かまいたちのような攻撃や地面に落としたぐらいでは、割れる事は無いようだ。
呆れたような照姫の声を拾って、大和は、未だ、海の中で、俺は悪くない、と繰り返し呟く、ギュンター王子を見やった。
〈ギィ。さっきのは何?〉
はっとして、顔を上げたギュンターは、波打ち際に立つヤマトを見上げた。
白皙の頬に一条の血の跡。左右の長さの異なる黒髪。
それは、ギュンターがやった事だ。
寄せては返す波に、体がぐらつく。自分の心の中の様に、揺れる波に翻弄される。
「ヤマト・・・。俺は・・・。」
いきなり腹に食らった重い一撃のせいで、貯めていた息を全て吐き出していたから、海の中まで蹴り飛ばされても、海水を飲む事は無かった。それが、武流が思い切り投げたリュックサックによるものだと、知ったのは、そのリュックサックで拘束されたからだ。荷物を抱えるように前で両手をリュックサックの肩ベルトで固定される。瞬時に動けなくしておいて、改めてロープを取り出して縛り上げられた。あっという間の出来事だった。腹部が、じわじわ痛みを伝えてくる。
〈何のつもりだ。〉
それは、疑問ではなく、断罪。ギュンター王子を見下ろす武流の目は冷たく、いつの間にかその手に握られている鉈は、山を降りる時に、枝を落とすのに使っていた物だ。武流の全身からは抑えきれない怒りのオーラが立ち昇っている。
「武流兄、少し抑えて。僕は大丈夫だったでしょ。」
〈ねぇ、ギィ。さっきのかまいたち、ギィがやったの?〉
『こ奴は、妖しの術を使うぞ!妾は見たのじゃ。こ奴の手から炎が上がったのじゃ。』
得意げに報告する照姫に、ギュンターは鏡を攻撃したのは間違いでは無かった、と確信する。
〈妖しの術?〉
〈・・・ここは、魔素が濃い。向こうにいた時の様に魔法が使えるか試したんだ。炎を出してみたら、ちゃんと発動した。・・・俺は、それを、ヤマトに伝えようとしたのに、そいつが、お前にある事ない事言おうとしたから、だから、俺は、それを止めたくて・・・。〉
自分で言っていて、馬鹿げた妄想に過剰反応しただけだと思い知る。思わず、視線をヤマトから逸らした。
〈そっか。魔法が使えたんだ。良かったね、ギィ。ずっと気にしていたでしょ。〉
思いがけないヤマトの言葉に、逸らした視線を慌てて戻す。
満面の笑みを浮かべ、自分を見るヤマトは、これで一つ検証出来たと満足げだった。




