5章 猿の惑星
26 「奇跡」は20億キロメートル先までをも包含する
「奇跡」が起きたその一室には小さなはえが飛んでいた。はえはその赤い複眼に極小カメラを、つんとした尻には極小マイクを搭載した情報収集用無人機だ。それが獲得できるオーディオビィジュアルは質がかなり高く、ハイヴィジョン放送に耐えられるレベルに達した。
その注目度の高い情報は気が遠くなるほど遠いところへと運ばれる。なんとベオウルフビルから20億キロメートル離れた真空の宇宙空間に浮かぶ宇宙船である。そのものすごい通信技術は「ルクス」という方式をとっている。絹糸の千分の1の細さに相当する光の糸をぴんと飛ばす。すると20億キロメートルの間も0・1秒で結んでしまうのだ。通信の高速化のおかげでグローバル化メカニズムが世界に浸透したといわれる。実は効果はそれに留まらず、宇宙もまたかなり近くなっていた。とある気のはやった専門家は、宇宙が一気に統合されていくことを指して「ギャラクシー化」と命名しているほどである。
「あちゃあ。あの女、ついにやりやがった」
リーダー格のマルタロ星人、アントはジュースの缶を握りつぶした。褐色の液体が彼の手にしたたり落ち、そのべたべた感に嫌悪感を覚えた。女子バレー部の部室ほどの大きさの操縦室。床、壁は真っ白く機器はちょっと壁に計測器やらがついているだけで、3D画像で再現された映像で、宇宙船のすべてを管理できた。
円卓の前に浮遊するモニター画像には〈青い傘の女〉が輪っかに入り込んだ後の水浸しの部屋の映像が映っている。水はじりじりと競り上がってきている。宇宙服のやつは奇妙に水面に浮いて、天井の板を外した。ハヤタのからだを、それがまるで発砲スチロールかのように軽々と持ち上げて、その向こうに放り込んだ。宇宙服の男はまたもや奇妙な感じで天井の穴に「吸い込まれて」いった。
その一部始終を観ながら、「まさしくこれは『奇跡』だ。ああ、どうすればいいんだ」とアントは緑色の手でしこったまぶたを押した。アントは想定外の自体に直面していた。「彼女はどんどん近づいている。もしかしたらうまくやり遂げるかもしれない。これはわれらマルタロ星人にとって死活的な問題になるかもしれん」彼は心配で胸が押しつぶされそうだ。一週間前にひょんなことで好きになった男にラブレターを渡したばかり中学2年生の少女のような心境だ。アントはマルタロ星人や同胞に地球人の害が及ぶのを避ける使命を負っている。失敗すれば同胞を危機に巻き込むし、何よりも大事な自分のキャリアアップがふいになるだろう。彼はそのためにさまざまな「投資」をしてきたのだ。
「彼女は実に手際がいい。まるで未来を予知しているかのようだ」天井に逆さまに張り付いているナンバーツーの科学者タイプのボルトもまた心配している。「このままいけば、彼女は大きな変化を引き起こしそうじゃないか。これは看過できないところに近づきそうだなあ」。彼のもじゃもじゃな髪の毛は無重力のせいで体積をさらに拡大していた。ボルトは白衣のポケットからリモコンをとってボタンを押した。ミョンミョンミョン。超音波信号が出た。乗員招集の合図である。
さて彼らマルセロ星人とは何者か?
あいにく地球では無名だが、土星界隈ではかなり知的な宇宙人として知られている。土星の衛星のタイタンのすぐ裏側にひっそり浮かぶ田舎星の「マルタロ星」が故郷だが、腰を抜かしそうなほどの環境汚染が氷河期を到来させたせいで、居住不能になり、銀河の星々に離散した。そんな悲劇を味わったせいか、マルタロ星人は総じてたくましかった。学問に才能がありどんな大学にも必ずマルタロ星人の研究者がいた。商才に優れる者も多く実業家も多かった。彼らはあらゆる宇宙都市に分散したが、なお強い結びつきを持っていると言われる。
土星百科事典のマルセロ人に関する説明もまた興味深い。
「過去の悲惨な経験から理性、富という価値に重きを置き、争いごとを好まない。骨の随から髪の先まで協調主義者、平和主義者だ。彼らが最も好む地球の書物はカントの『永遠平和のために』だ。マルタロ星人はあの書物をこう評する。『あれは間違いなくマスターピースだぜ。地球人にはあまり好ましくないところがあるが、カントだけは掃除夫として迎え入れても良いぜ。掃除夫ってのはもちろん冗談だぜ』
ただし、金にはかなり厳しい考え方を持っている。富を得るためにはどんなことも正当化できると考えるタイプも少なくない。そのせいか、常にあらゆる物に警戒の目を向けており、彼らの信頼を得るのは大変だ。少なくとも、上前をはねて小銭を握らせるようなやり方はきかない。最近では、『屈服させられないための力をもつべき』という考えも出てきた。平和主義の伝統をどうするのかしりたいところだ」
27 宇宙的諜報集団
白い粒をまぶした暗幕の上をその宇宙船はつうっと滑っていた。宇宙船はさっきまで何も無かった空間に突然姿を現したばかりだ。ワープ、ではない。空間歪曲装置を使ったのだ。それによって宇宙船の姿を擬装し、外からその裸体は見えないようにできる。これで「透明宇宙船」になって彼らが嫌う無意味な闘いを回避するのだ。
その宇宙船はリング型だ。特殊合金でコーティングされた表面は太陽の光できらきら光る。リングはうっとりするほどなめらかに回転した。ティーンエイジャーの女の子がその様子を見たら、危うく一目惚れしてしまいそうな様子である。その回転が宇宙船に推進力を与え、進行方向の1ミクロン単位の調整を可能にしている。よくある火を噴くブースターなどという無粋なものはついていない。
リングの中心に小窓のついた丸いカプセルが据えられている。そこが宇宙船の核であり、船員の居住空間だ。長い宇宙空間での生活は船員を大いなるストレスにさらすため、富裕層向けリゾートマンション的な設備を完備していた。
宇宙船の乗員は7人のマルタロ星人は地球人に知られずして、地球人を知ることに成功していた。土星近隣の6星とともに「7星人ネットワーク」を組んだ。各民族の諜報が瞬時に共有される。この網は中央情報局(CIA)、国家安全保障局(NSA) らがしこしことつくり上げたビックブラザー的な完全情報認知システムに侵入し、情報を横取りしていた。ぽん引きが売春婦から金を巻き上げるようなあこぎなやり方だ。
ネットワークはかなり勤勉で、そのほかにもインターネットに常時接続したり、人さらいをやって記憶を奪ったり、世界中の主要な図書館の蔵書を解析したりとほれぼれする成果を収めた。このネットワークの構成員はグーグルとフェイスブックにかなり感謝していた。彼らの仕事の負担を一気に楽にしたからである。
これらの諜報活動ははじめのうちから地球人への猜疑心が常に先行してきた。7星人諜報ネットワークの初代長官モーポンは、朝食を自分のデスクで取るハードワーカーとして知られている。朝食の時間には、部下からCIA、NSAなどが蓄積する情報のダイジェストが上がってくる。それは毎朝開かれる公開処刑の場だった、と彼の秘書は述懐する。モーボンはいつだって朝食のししゃもを危うく吐き出してしまいそうになり、こうがなりたてる。
「うわあ、なんだこのガラクタどもは? なんでこんなクソを奴らはため込んでいるんだ。こりゃあ田んぼの肥やしにもなりやしねえじゃねえか。いやになっちゃうぜ。くそったれ。人間ってのは本当にポンテン(宇宙共通言語で『アホ』の意)だなあ。ふう、いやになっちゃうぜ」
秘書はその度に「まったくですな。やれやれ、人間野郎ってのは」と返事をしなければいけなかった。
モーボンは人間のつくる社会システムにも懐疑的だった。月に2回自宅でパーティを開き、「一部だけが大いに得をするシステム」を運用する人間をわんわん攻撃したとも言われる。「そのシステムはロスが多いぜ。だって、一部のやつらが、一部だけのためにシステムを常に改変するんだ。最悪だぜ!」彼は大好きなカクテル「土星の悩み」の水分をまき散らして、そう言い張った。
とにかくネットワークが各方面への継続的な努力を続けたせいで、ネットワークに加盟する星の生き物たちはコンピューターをちょっといじくれば、地球人にまつわる膨大なデータにアクセスできるようになった。彼らはこういう結論を導きだした。
「地球人は不安定で、何をするかわからない。彼らが宇宙に足を踏み出せば、大いなる混乱を引き起こす可能性がある」
これはかなり的を射た考え方だろう。
そしてこれがマルタロ星人が宇宙船をそのポイントに止めて、「青い傘を差した女」を監視する理由でもある。女の行動が地球を大きく変えるかもしれない。それは地球人の未来を変え、地球周辺の情勢をかえるかもしれない。良い方か、それとも悪い方か。まだされを誰も知らない。7星人諜報ネットワークもまた同じ見解を出しあぐねていた。
28 マルタロ星人諜報集団の円卓会議
ボルトが発した超音波を聞きつけて、7人の乗員が操縦席に勢揃いした。皆が皆なにかしらのポロフェッショナルだ。円卓を囲んで侃々諤々の話し合いをやった。仕切るのはナンバーツーのボルトだ。もじゃもじゃのひげを人差し指でくるくるくるとねじる。そうすると頭の中の川が流れを速めるらしい。
「さあ、さあ皆さん、状況が差し迫ってきたね。女が男の頭のなかに入り込んだじゃないか。大丈夫かな。ぼくは心配で心配で胸が張り裂けそうだよ。このできごとは地球人の各方面に巨大な影響を与えるスイッチになるだろう。もちろん女があれの奪取に成功すればの話だけどね。
彼女はまあまあ良いところまで行く気がしているんだ。それはわれわれにとってどんな結果をもたらすか、いち早くキャッチしたい」
「まて、どういうことかわからないな。背景説明を願いたいね」
質問したのは老軍曹と呼ばれるおっさんだ。第四次土星戦争で超人的な働きをした後、平和な世の中でやることもなく、ぶらぶらしていたところで、今回白羽の矢が立った。
ボルトのもじゃもじゃ頭がぴんと逆立った。
「ええと、これに関しては文書を配ってありまして、先に目を通してもらいたかったんですが」
「文書をぱっとみても分からんのだよ。生の説明がほしいんだ」
「わかりました。ちょっとこの背景がまだクリアじゃない方もいるから、簡単な背景説明をやろうと思います。ぼくとしては時間を無駄にするのがイヤなんだけどね」
老軍曹は腹を立てた。
「説明をするののどこが時間の無駄なんだ。当たり前だろ、そんなこと!」
周りはぎょっとして彼を見ている。彼は経験に基づく忠告に出る。「最近の若いやつらは2段飛ばし、3段飛ばしでものごとを進めたがる。おれから言わせりゃあ、慎重さに欠けるんだ。焦ることで、普通にやる数倍の時間を浪費することがあるねえ。さあ、知識をオープンにしたまえ」
ボルトは、もじゃもじゃ頭をふりふり、たくさんの鼻息を吐き出して悪態をつく。彼は思ったことはすべて口に出してしまう性質なのだ。「オープンにしますよ。言われなくともね。ただねえ、ちょっとは事前に勉強してもらいたいものだね。老人は若いやつが自分の代わりに諸々のことを済ませてくれると考えがちだ。ふんぞり返るのもいい加減にしてもらいたいな」
すると、老軍曹の顔が熟れたトマトになる。もう少しで赤い汁がこぼれ落ちそうだ。ジェネレーションギャップを土台にしたぴりぴりが円卓を満たす。長い間それは去らない。しばらく交戦国以外の誰もがこけしになる。こけしは何も考えないし、何もしゃべらない。
ここでアントがとりなす。こういうのはリーダーたる彼の役目である。「まあまあ、そんな辛辣なことを言っちゃだめよ。あたしたちは地球人じゃないからさ、ものごとを解決する方向に進みましょうよ。『女が男の頭のなかに入り込む』っていうのがまず常軌を逸しているでしょう。しかもその中には広大な世界が存在するという話なんだよね。これが、具体的にどういうことかを教えてほしいんでしょう。それは実のところ私も同じなの。専門家じゃないからよくわからないのよ」“実のところ”は彼はようく理解しているのだった。
ボルトはどうにでもしやがれてきな表情になる。技術畑出身で、人と適当にそりを合わせないときがある。「ええ、わかりましたよ。わかりやしたよ。ジェネラルマッカーサー。しょうがありませんね。最初から話させていきます」
しかし、彼の話はここからあなぐらに迷い込んでしまう。絶対王政時代の貴族がやるような壮大な道草に興ずるのだ。「ただ、その前に踏まえてもらいたいことがあります。それはこのできことが致命的なまでにこんがらがっているということです。地球人の虚妄感が丸出しにされているNHKの7時のニュースみたいに虚妄的な“客観性”をうたうことはできないのです。だから、緻密に理解してもらいたい。最後の一ミクロンまでです」
老軍曹「わかっているよ。さすがにそこまでぼけていない。いまも昔も能力はあるんだ。それを引き出すのに苦労するだけさ。それでどうなんだね、大天才ボルトくんよ」
「大天才」の響きにはどうも侮蔑が見え隠れした。もちろんボルトはむかついて反撃に出る。「わかりましたクソ秀才の軍曹殿。はいはい。このストーリーの背景は点と点を線でつなぐようには行きませんから。わかります。皆さんそういうの好きですよね。帰りが遅い=不倫、とか、中間管理職のゴルフ好き=犬、とかねえ。でもだいたいにおいて、ものごとは立体的でしかも層は一つじゃない。層は複数ありオーバーラップと『結婚』を繰り返しています。しかもどうやっても解読できないブラックマター(暗黒物質)もある。それに関しては周辺の状況を勘案して、全体像を推測する以外に方法がありません。つまり、あなたはより緻密な理解をすることが求められているんです」
軍曹は渋柿を食ったような辟易とした顔をする。「おいおい、キミ。わかったよ。良いから本題に入りたまえ。もうかなり時間をロスしているよ」。これは彼の台詞の中で唯一同調者が多かったものだ。
だが、ボルトの饒舌はたががこわれていた。「緻密な理解というのはねえ難しいですよ。そりゃあ難しい。でもねえ、けっして興味を失わないでほしい。わたしはかなりのところまで行っている。あなただって行ける。老軍曹、あなたは冒険家だ。たいまつ片手に洞窟のなかを慎重に慎重に進んでいくことができるのだ。洞窟の奥には門があり、門番がいる。あなたは懐から暗号を記した書物を取り出して読み上げる。狼に似た顔をした門番はその目を見開いた。無言のまま門を開ける。そこにはあなたが欲しいと思ったものがある。
つまり、正しく順を追えば何事も思ったほどは難しくない。むしろソリティアのごとく簡単だ。ものごとってのは大抵はそういうものだ。だからわたしを洞窟を照らし出すたいまつだと思って着いて来てほしい。損はさせません」
「わかった、わかった、わかった! なんて前置きの長い奴だ。理屈野郎だなお前は。お前の台詞のせいで読者の7パーセントの読む気が失せたとみるね。最悪だよ。とにもかくにも、それでどうなんだよ?」
軍曹殿はついに円卓の上に立ち上がって、孫の手を卓の表面にばしーんと叩き付けた。数々の戦歴誇る男の威圧だ。その余波で、円卓の上のいくつかのロイヤルミルクティーがこぼれた。
これにはアントも軍曹の肩を持つ。ボルトはかわいい手下だが頑迷なところがある、と思っていた。「ボルトよ、そろそろ本題に行こうじゃないか。われわれは早く意思を決定しないといけないんだ」
ボルトも親分に怒られてちょっとしんなりした。「へえ、わかりやした。そうですね。どんどん話を進めましょう」
29
「ええっと、今回のできごとは『女はハヤタの頭のなかから〈ルービア〉に入った』ということです。〈ルービア〉。初めて聞く人も入るでしょう。〈ルービア〉はバーチャルリアリティ=仮想現実の世界なんですね。現実とは異なる、想像されて初めて存在する別の世界。人形が人を似せてつくられるように、その仮想現実は現実の模倣として造られました。そこにはあらゆる銀河系があり、あらゆる太陽系があり、別の並列的な宇宙も存在が想定される。その真っ黒でゆがんだ空間のなかには、ガガーリンが「青かった」と言いたくなるきれいな地球がある。そこにはたくさんの生き物が住んでいる。
つまり『本物によく似たにせもの』です。でも〈ルービア〉はただの『にせもの』に留まりません。『本物』になりたがり、不可分な領域まで到達しました。不幸なことに、『にせもの』が『本物』になることは禁じられている。
『にせもの』が『本物』になることを許せば、『本物』の『本物』たるゆえんがあやしくなるからだ。『本物』は『不法入国』を防ぐため、『にせもの』との間に万里の長城を築き上げた。長城に築かれた櫓から『本物』側はいつも「不法入国」がないか目を光らせている。
だけど、〈ルービア〉はことのほか強かった。気球のように浮かんで万里の長城をすっと飛び越えた。本物の世界とにせものの世界をまたぎはじめた。ある地点から、〈ルービア〉が『にせもの』か『本物』か、どっちか分かりづらくなってしまいました。
だから、もしあなたが、目を覚ました時点で「現実」から〈ルービア〉へと移送されても気づくのは困難だ。それはあまりにも現実と似すぎている。双子ではなくクローンだ。
では、どうしてクローンをつくったのか(できたのか)、という問いが浮かぶはずだ。これはきわめて明晰な問いだ。そして必要不可欠な問いだ。でもこれにはいまだ誰も答えられた試しがない。もし合理的な理由を示せれば、間違いなくノーベル賞を受賞できる。そういうレベルの問いなんだ」
ここで彼は一回話を切る。
「どうでしょう。軍曹殿。ご理解いただいているでしょうか」
軍曹はうおほん、うおほんと咳払い。唇の先から声を出した。「そうだなあ分かったような。分からないようなという感じだ。まあいい、続けてくれたまえ」
30 ゆがみをめぐる論点の整理、その後オルグ
「ここで異論を説く者が出てくる。ゆがみ・カオス学派の連中だ。彼らはそもそも〈ルービア〉は完全なクローンじゃないと主張する。「〈ルービア〉のなかには一見〈現実〉と同じように見せてあっても、実態は異なるというような『ゆがみ』がところどころにある。あるいは、そもそも〈現実〉と照らし合わせて完全な異物にあたる『カオス的なもの』を含んでいる
この学派の権威、ウェイウェイ博士(自称ウェイウェイ研究所所長)はジョニーウォーカー・ブルーラベルのオンザロックを片手に鋭い視点を提示しています。
『この〈ゆがみ〉、〈カオス的なもの〉の存在が、〈ルービア〉と〈現実〉とシンクロナイズ理論を崩します。この二つのエネルギーが高められることで、〈ルービア〉はシリコンを入れた女性の胸のように変わります。〈ルービア〉は安定的でなく、常に巨大なトランスフォームの可能性にさらされているのです
問題はこの〈ゆがみ〉〈カオス的なもの〉が家庭内暴力を振るうお父さんのようになることです。そのお父さんはとても凶暴で、チェーンソーとか竹刀とかスティンガーミサイルとかを使うのです。〈ルービア〉という家はがたがたになるでしょう。そうです。それは〈ルービア〉の危機なのです。
この学派の主張の弱みは、〈ゆがみ〉〈カオス的なもの〉の存在の実証だ。ウェイウェイ博士はここを尋ねられると口調がちょっと乱暴になる。
『〈ゆがみ〉はありますよ!!。あるに決まってるじゃないですか。あの世界はゆがんでいる。そうだ。そうだろう。だってだよ、私は〈ゆがみ〉の観測方法を編み出したんだ!七視点法というんだ!ゆがみモニターという特殊装置をね、ある一点に向けて照射するんだ。それを17時間に渡り連続的に行う。そのうち一つから二つにしかゆがみは感知できないんだ。そういうもんだ。観測できるのはほんのちょっとの間だけだ。その観測データの積み重ねでね、『ゆがみ』が実証できたんだ。そうに決まっている!』
彼は膨大な書類を机にたたきつけた。それは複雑な曲線を描くチャートと膨大な意味不明の数値で埋め尽くされていた。彼はそれから〈カオス的なもの〉の存在について熱弁をふるうが、それは割愛することにしましょう」
ここでボルトの独白は一時止まる。
軍曹殿が待ちきれないという様子でここで割って入る。「おいおい、君の説明はやっぱりどうしても異様に長いな。おれはもう待ちきれんぞ。後期高齢者なんだよ。結論はどうなんだよ、結論は?」
「その〈ルービア〉には〈かぎ〉が隠されています。女がその〈かぎ〉を現実に持ち出して使うと、ものすごいことが起きると言われています。〈かぎ〉は本当にかぎの形状をしているそうです。それは不思議な力を持っている。持つ物を選ぶとも言われています。ふさわしくない人間が持てばすぐにあの世行きです」
ただし、とボルトは言う。「〈かぎ〉がもたらすであろう、すごいことが何かはわからないんです!」
「なんだと? じゃあ対策の立てようがないじゃないか!」
老軍曹は円卓をたたきつけた。
「彼女のやろうとすることは引き続き監視するべきです。ただし、われわれはもしそれが危険と判断した場合も打つ手を持っていません。いまは情報収集しかできない。だからわれわれは地球に行くべきです。もし事態がやばくなっったら、この手で女の目論みを木っ端みじんにするんです。積極的になりましょう!」
軍曹が大きくのけぞった。「おいおいおいおい、あの悪徳の巣の地球に行くのかよ。悪人どもにだまされて動物園のおりの中に放り込まれるのがオチだ。イヤだ! おいら行きたくない!」彼は正気を失ったふうに首をぶんぶん振るのだった。
そこでアントが光線銃で老人の頭を打った。老人はしばし沈黙。その後、にこ〜と笑い意見を180度変えてしまう。「ようし、いざ、地球。地球でレクサスを買うんだ。ひゃっほーい」彼は小躍りした。その様子をアントとボルトと残り4人が見ていた。残り4人はいまのアントの行動で、これは選択肢を示されているのではなく、命令されていると気づいた。
「ようし、皆の衆、地球に行くぞ! イェイ!」アントは声を張り上げた。「〈ルービア〉の『ゆがみ』次第では、安全ならそこに入ることも考えるぞ! そこは別の宇宙だ。新しい世界だ。イェイ!」
宇宙船は進路を地球に取った。リングが猛烈な回転を始めた。アントと
ボルトはあまりにも退屈していた。何か新しいことをやってみたいのだ。地球はそのためにふさわしい場所に思えた。