過程観察記録No.035:重要会話記録No.003:・
対して、自分はどうか?
ただ1本の糸の上で、進んでは遡行を繰り返しているだけではないか?
(そうか……自分も糸を選べるはずなんだ)
目を閉じて、暗闇で糸を見出す。
〈観察記録No.035〉
AM9:00
時点Fにて、四ツ葉と五十嵐、覚醒。
五十嵐により、世界変動率が変更。
四ツ葉と五十嵐、小学校の保健室へ移動開始。
AM9:05
四ツ葉と五十嵐、小学校の保健室へ到着。
〈会話記録No.082〉
AM9:05
会話開始。
五十嵐の体調が悪いからと、保健室を開けてもらった。
避難中に怪我をしたという人が今のところ居ないのか、保健室に人気は無い。
促して、五十嵐が白いベッドへ体を滑り込ませ、適当な椅子に四ツ葉も腰を下ろした。
「いくつか、言いたいことがある」
四ツ葉は、ひと呼吸置いた。
「別の、縦の糸が、見つからない」
「……」
「驚かないんだね、五十嵐」
「うん」
「【縦の糸】の自分がこの有様だから、まさかと思ったけど……そうなんだね」
上体を起こしている五十嵐は、顔を伏せた。
「縦の糸も、横の糸も、1本しかない。そういうことでしょ?」
ただただ、肯定するための沈黙が響く。
――今にして思えば、タペストリーという比喩自体が蹉跌だった。
平織の横糸は1本だけ。しかも、織物の端で横糸は折り返しになる。世界が無限の広がりを持つならば、どこかで折り返しがあるものではなく、縦糸も横糸も、どこまでも無限に伸びていくはず。
だが、まだわからない矛盾はある。
瞼を閉じて浮かび上がる糸の、無数の結び目。
縦の糸も横の糸も1本ずつなら、結び目も一つだけになるはずだ。
それに、実際に世界変動率が変動しているのも、横の糸が1本と考えたときにそぐわない。
挙句、『スケールはひとつではない』というヒントの意味も解らずじまいときた。
「どういうこと? 本当にどういうことなの……?」
もう、頭を抱えるばかりである。
ただひとつ判明しているのは、未だにふたりで生き残る未来が掴めていないという、無情な実態。
「いいんだよ、もう」
五十嵐が、なにもかも諦めたような声で、そんな言葉をぽつりと零した。
「……どういう意味よ」
「このまま、五十嵐が死に続けてれば、いずれ1ヶ月は過ぎるんだ。そしたら、なにかが起きる」
「!?」
四ツ葉の心臓が跳ね、絶句し、呼吸が浅くなる。
うすうす、そんなつもりなのだろうとは思っていたが、面と向かってそんな事を言われるのは、四ツ葉にとって耐えがたい苦痛だった。
「……ッ、ダメだ、そんなのは!」
「どうして? これでいいんだよ、これで。五十嵐が死ねば」
「自分も五十嵐もそんなこと望んでない!」
「五十嵐はこうなることを選んだんだ。それを今更引き返すなんて「嘘だ!」……何が?」
「死ぬのは、こわいことのはずだよ」
「……」
「そして、痛いことだよ。だから、せめて、先に意識が閉じる死に方を選んだんじゃないのか」
(事故による肉体外傷で死ぬときと、心臓発作で死ぬときとでは、きっと心理的恐怖に差異があるはず……いや、どっちも死ぬって点で絶対的に怖いはずなんだけど、でも)
「違う」
それでも尚、五十嵐は否定した。
「……強情ね。その強さを生きる方向に使ってよ」
「違う、違うんだよ……確かに死ぬのはこわい」
でも、と、五十嵐は微笑む。
「四ツ葉に、五十嵐のグロい死に様なんて、見せちゃダメだなって」
「えっ」
まったく予想だにしなかった理由だった。
「なに、つまりその……」
「心配なのはお互い様なんだよ」
それだけ言うと、五十嵐は布団に潜り込んで横になった。
もう話すことは無い、と、五十嵐の後頭部が暗に物語っていた。
ズルい、と四ツ葉は思う。
(やめろと強く言うのが難しくなるじゃないか)
実際、五十嵐の献身は、四ツ葉の心理的ダメージを軽くしているのは事実で、その気配りはありがたいものだった。だが、死んでほしくない想いも依然としてある。なにより、自分が心臓発作で突然死する世界線を選ぶ、五十嵐の内心が心配でたまらなかった。
(ダメだ、頭がモノを考えられる状態じゃない)
五十嵐への二律背反な想いと、破滅を迫る現実離れした現実に揉まれて居るせいだ。
(五十嵐の提案に乗っていいわけがないし、いったいどうしたものか……)
「あー、いたいた! ったくもー移動しないでよー」
なんとかしてくれそうな人が、騒々しく保健室にやってきた。
「ふむ、ここでなら落ち着いて話ができそうだな」
クリアにしゃべる蓄音機も、その腕に抱えられている。
「よかった、じゃあ色々と教えてちょうだいよ。五十嵐も起きて……ん?」
死んでる……。
AM9:09
会話終了。
AM9:09
【調律師】とヤルダバオト、保健室へ到着。
以降、この時点を時点Gと呼称。
五十嵐、心臓発作により死亡。
四ツ葉により、時点Gへ時間遡行。
累計経過時間 9時間4分




