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新たな物語の始まり

僕の朝は早かった。


念のために目覚まし時計を3時45分にセットしていたが、目が覚めて携帯電話を見るとまだ3時30分だった。


この玄関は防犯のために一晩中電気がついていたが、その明るさが気にならなくなるほど、外も明るく輝きだし、太陽の強いオレンジ色の光が玄関越しに入ってきていた。


昨日の暑さが疲れとなり、完全には抜けきれておらず、倦怠感となってからだに残っている。


予定がない僕のこれからだ。


少し足を伸ばして温泉に浸かってから、都内に戻るのも悪くない。


僕は少しだけできた目覚まし時計が鳴る前の15分間ごろごろと携帯電話をいじりったり、最寄りの温泉施設を探したりして過ごした。


運良く、ここの駅から10個ほど離れたところに天然温泉があることを発見し、ひとまずはそこに向かうことにした。


しかし、始発の電車の時間までは、少なくとも一時間半以上はある。


それまでどう時間を潰すかは未定だった。


しかし僕には嫌なほどに時間がたっぷりある。


毎年この田舎に来るのであれば、少しくらい地理に強くなってもいいかもしれない。


長く歩くようの靴ではなく、靴屋で投げ売りされていた半額のスニーカーでどこまで歩けるかは分からないが、僕は始発までの時間を、この何もない田舎町の探索に当てることにした。


重い体をゆっくり起こして、身支度を始めた。


幸い夢は見ず、深い眠りで快適な目覚めだった。


もうあの嫌味な女と顔を会わせなくても済むと思うと、さらに気が晴れるようだった。


バックパックに荷物を詰め直していると、ふと布団の脇に小さな紙切れが落ちていることに気がついた。


そうだ、これはあの女が菓子パンと水の御礼にくれた手紙だ。


手紙というには大層な表現だと思う。


大学ノートの端を切ったかのような雑さが見え隠れするが、今の僕にはちょうどいい。


社会の端くれになった者には、これくらいのボロさ加減がいちばんしっくりくる。


民宿の受付のところに色褪せたゴミ箱があったので、そこに捨てることもできた。


しかし、僕はこの手紙を無下には扱えなかった。


僕のささやかな親切心を行動に起こしてくれた彼女の分身な気がして、丸めて捨てるなんて、してはいけないような気がした。


それに、折角の僕の親切心が、この先ずっともしかしたら幸せなことが続くかもしれないのに、そんな雑な扱い方をしてしまうのは演技が悪いようにも思えた。


僕は少しだけ考えを巡らせて、受付に置いてあった鉛筆を見つけ、彼女が書いた「ありがとう」の裏に「どういたしまして」と書いた。


僕の字は彼女のように端麗ではなかったものの、気持ちは伝わるだろう。


僕は布団から出て、音をたてないようにゆっくりと階段を這うようにして登り、チョコレートバーと一緒にその手紙を彼女が寝ている襖の前にそっと置いた。


そして、いよいよ民宿を出る準備を本格的に始めた。






時刻は既に目標の4時5分前だった。


とんでもない発言をしたなと自分でも思っていたが、自分で言ったことだ。


彼女に誠意を見せるためにも、ここは有言実行をしなければならない。


僕はバックパックを背負い、Tシャツにハーフパンツというラフな格好で、玄関に座りスニーカーを履いて、そして玄関の取っ手に手をかけた。


この手すりはどうがんばってもガラガラと音がなってしまう。


しかし極力民宿で寝ている老夫婦や彼女を起こさないようにと、右の指差に神経を集中させて、ゆっくりと古い扉を横に引いた。


僕は民宿の店主にと、御礼の代わりに深くお辞儀をして、また音を立てないように、そっと扉を閉めた。






外に出ると昼間の暑さが嘘のように肌寒い空気が僕のからだ全身を包んだ。


太陽が登り始めた神々しいオレンジ色とまだ静けさに身を潜める青白い建物の融合がなんとも美しく感じられた。


こんな何もない田舎を美しいと思えたのは、きっと僕の心の変化かもしれない。


しかし、感慨深い時間も寒さで現実に引き戻されてしまう。


半袖だと鳥肌が立つくらいの気温の低さで、寒暖差で風邪を引いてしまいそうに感じる。


僕は荷造りしたばかりのパックパックから薄手の上着を出して、Tシャツの上から羽織直した。


まずは駅に向かおう。


そしてどこか適当にぶらつこう。


僕はまた来年もお世話になるだろうこの民宿が、どうか来年も残っていてくれますようにと思いを込めて、看板を一瞥して駅へと足を進めた。





ガラガラガラ


静けさに身を沈める駅前の民宿前に、雑音に近いような音が響く。


聞いたことがあるのその音は僕の後ろから聞こえてきて、さらには誰かがかけてくる音も聞こえる。


僕は思わず振り返ってしまった。


そこには裸足でこちらに向かってかけてくる少女の姿があった。


白地に膝上のワンピースのような寝巻きの裾を翻しながら、黒髪のボブを揺らして走ってくる。


僕はまた何か、彼女の気に障るようなことをしてしまったのだようか。


体を緊張させる僕と異なり、彼女は少し興奮したかのように少しだけ上がった息を整えながら僕の前で止まった。


「あの…これ…」


彼女は言葉を選ぶようにして、右手に持っているものを僕の目の前に差し出した。


それは、僕が彼女の寝室の前に置いた手紙とチョコレートバーだった。


「あ…気に障ったのなら、謝ります」


僕は小さな声で萎縮しながら答えた。


「違う、違うの」


彼女は僕の胸元くらいしかない身長を大きく伸ばして、言葉を続けた。


「嬉しくて、その、ありがとうって」


そんなことを言うために、この早朝4時に起きてきたのか。


それか僕が約束を守って民宿を出るのを見張っていたのだろうか。


いずれにせよ、御礼を言われて嫌な気持ちはしなかった。


「あぁ、それならお構い無く。それに、君裸足だよ?足を怪我するから靴を履いた方がいい。僕はもう出るから、気にしないで」


彼女は僕にそう言われて初めて裸足だったことに気がつき驚いた表情をした。


この人は、怒った顔よりもこうして生き生きとした表現が似合っている。


「君はもっと笑った方がいいね」


ふと僕の口からこぼれ落ちたのはそんな言葉だった。


「あ、いや、いいんだ、僕の独り言だから。じゃあ、気を付けて」


僕は彼女に背を向けて歩き出した。


きっと彼女も入り用で、あんな山奥までお墓参りに行っていたんだ。


心の中でそっと、悪い出会いではなかった、終わり良ければ全て良しだなと思いながら歩を進めた。


「待って!」


今度は勢いがある声が背中に飛び込んできた。


僕は振り返り、彼女に向き合う。


「あ、あの、その…」


何かを躊躇う彼女は、どこにでもいる普通の女の子だった。


裸足であることを覗いていては。


僕は彼女の言葉を待った。


「私と一緒に、しない?」


「え?」


「私と一緒に、行かない?」


「え、どういうこと?」


「私と一緒に、その、旅を、しませんか?」


彼女からのオファーに僕は理解が及ばず、呆然と立ち尽くした。


旅?どういうことだ?



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