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僕の優しさ、隠し味

さてと、と僕は最悪な寝起きに加えて意味が分からないいざこざに巻き込まれたので、変な汗もかいていたこともあり、早速店主にお願いしてシャワーを浴びさせてもらった。


もともと湯船には浸かる予定がなかったので、シャワーだけ借りますと言って、バックパックからハンドタオルを一枚取り出して、店主宅の私室に足を踏み入れた。


店主が嬉しそうに話しかけてきたので、僕も無下には相手をせず、しっかりと受け答えをした。


なんでもここの店主は五人兄弟だったようで、上の部屋はすべて子供たちの部屋だったそうだ。


しかし、時が経つにつれ、その子供たちも大きくなり、皆この地から出ていってしまったのだという。


田舎には仕事もなければ、若者が楽しめる娯楽もない。


店主は悲しみながらも、いまでも連絡をまめにくれる五人の子供たちに感謝をしていた。


「元気に生きているだけで、本当にそれだけでいいよ。離れて暮らしていてもね」


店主はそう言ってはにかんだ。


「そうですよね。生きていれば、それだけで」


僕は何だか店主の言葉がやけに胸に刺さったまま、流れ作業でシャワーを浴びた。


浴室から出て、脱衣所で体を拭いたり、下着を着替えたりしていた。


すると扉の奥でまた何やら騒ぎ事が始まったように思える。


あの女の声はとてもよく通る声で、脱衣所の扉を閉めていても、はっきりと何を言っているのかが分かった。


「すみません、この辺りにコンビニって前あったと思うんですけど、少なくとも去年は」


「あー、あれね。つぶれちゃってさ。今はこの通りを少し行ったところの商店しかないよ」


「あぁ、そうなんですね。それなら大丈夫です。軽く食べ物を買えればそれでいいので。ありがとうございます」


「はいよ。もうワシたちは寝ちまうから、何かあってもなんにもできないけど、本当に何かあったら部屋まで来てくれて構わんよ」


「はい、ありがとうございます」


女はそう言って、玄関がガラガラと鳴る音がして、静かになった。


どうやら、食べ物を買いにいくらしいが、果たして彼女はあの商店に無事にたどり着けるだろうか。


そして、シャッターが閉まった状態でも、店は営業しているという事実に気がつくだろうか。


まぁ、良いやと僕は思って彼女が完全にいないことを確認してから、寝床がある玄関に向かった。







それから彼女が民宿に来たのは、小一時間程経ってからだった。


僕は彼女が民宿を出てからなんとかして鉢合わせしないようにトイレに隠れたり、布団の中に隠れたりしたが、さすがに30分もそんなかんじで過ごしていると、もうどうでもよくなってきた。


入り口は一つしかないので、僕は玄関にしかいれないので、彼女とどうがんばっても出会ってしまう。


しかし、それは彼女が望んだことだし、僕は嫌だが玄関で寝る他ないので、そこはご容赦願いたい。


僕はここを出てからの予定は全くなかった。


ただ、食いぶちはつながなければいけないので、時給が高い都内に戻って、手頃なコンビニか夜勤の仕事をしてから今後を考えようとしていた。


都内には知り合いもいるが、頼りたくはない。


僕は一人で生きていくと決めたので、今さら頼ったところで誰も幸せになれないし、僕も幸せではない。


ポケットから携帯電話を取り出して、「東京 バイト 高時給」と検索ツールにワードを入れて、探し始めたときだった。


ガラガラと、引き戸が動く音がした。


布団の中にくるまっていたが、隙間からちらりと見えたのは、彼女の紺色のスカートと白い足だった。


おじいさんがさっきまで座っていた民宿の受付はすでに窓が占められ、恐らくもうおじいさんもおばあさんも夢の中だ。


しんと静まり返る玄関に、はぁはぁという息づかいが聞こえる。


彼女の目には、はっきりと布団にくるまる僕の姿が見えているはずだ。


のし、のしと僕の布団を踏む音がする。


狭い玄関に僕の布団がさらに狭そうに敷かれているので、彼女は僕の布団を踏まずして二階の寝室には上がれない。


もう僕も寝ていると思っているのだろうか。


抜き足差し足で音を出さないように静かに歩く彼女は、これでも一応優しさや気遣いはできるらしい。


階段まで辿り着いたところで、彼女が小さく呟いた。


「お腹すいた」


彼女が呟いたのと同時に、ぐ~と間抜けな音がした。


きっと彼女の腹の虫だろう。


「お店、やってなかったじゃん」


彼女はそうポツリとつぶやいて、力なく階段を上っていた。


布団の隙間から少しだけ見えた彼女は手ぶらで、財布しか手に持っていなかった。


きっと、商店のシャッターが降りているのを見て、営業終了だと思ったのだろう。


そうして彼女はふらふらと階段を上がり、二階の部屋に入っていった。





少ししてから彼女が再び一階に降りてきた。


僕は変わらず布団の中で息を潜めていた。


玄関の電気は防犯の意味でもずっとつけておいて構わないらしい。


眩しいなら消しても良いよと店主に言われたが、僕は「かまわない」と言った。


恐らく彼女はお風呂に入りに行ったのだろう。


うだるような暑い日だった。


シャワーを浴びずには眠れないだろう。


布団の中から覗きはしないが、お風呂場の扉が開く音がして、シャワーやお湯を被る音がした。


僕は布団から出て、ガサガサとパックパックを漁った。


そして音を出さないように静かに階段を登り、彼女が泊まる部屋の前、襖の下に菓子パンを3つと水を置いた。


僕の予想が単なるお節介であれば、それはそれでいい。


もう二度と彼女には会わないだろう。


それに、気遣いはしても別に迷惑ならまた無視してもらえば良い。


僕は床に置かれた焼きそばパンとメロンパンとクリームパンと水のボトルに別れを告げて、玄関の布団に戻った。






それから少しして彼女が風呂から上がったようだ。


また、のしのしと、布団を踏んで階段を上っていった。


女性特有のあまくて柔らかいシャンプーのような匂いが、ふとんの中にふわりと入ってきた。


彼女はまたフラフラしながらも階段を上っていって、目の前に菓子パンと水を見つけて、一瞬硬直しているようだった。


そのあとの様子は分からないが、恐らく布団を睨んでいたに違いない。


こんなことをするのは、妖精以外、僕しかいない。


もう殴るなり蹴るなりしてくれと覚悟をしていたが、彼女は菓子パンを何一つ取らずに、また襖をピシャリと閉めて中に入っていった。


僕は、それが彼女の選択なら、それでかまわないと思った。


そして僕は再びバイト探しに没頭した。






いくつか短気のアルバイトではあるが、時給が良さそうなものを見つけた。


目星をつけて、明日の朝も早いことからもう寝る体制に入ろうとしていた。


時刻はまだ9時だったが、今日は朝早くから電車に揺られていたし、いつでも眠れる状態を感じていた。


すると、スッと襖が開くような音がしたかと思えば、カサカサと何かプラスチックの袋が擦れるような音が聞こえた。


まさかとは思うが、もしかしたら、彼女が菓子パンに手を出してくれたのかと期待した。


僕はずっと布団の中で息を潜めていた。


ギシッと階段がきしむ音がして、僕は一瞬びくついた。


恐らくだが、彼女が僕の布団の脇で立っている気がする。


彼女は少しだけその場に立って、そして僕の枕元に何かを置いて再び階段を上って静かに襖が閉まった。


僕はゆっくりと彼女には気づかれないように、彼女が置いたものを確認した。


どうせ、菓子パンの返却だろと思っていたが、そこには紙切れ一枚が谷折で置いてあった。


僕はその紙に手を伸ばした。


開いてみると、「ありがとう」とボールペンで書かれていた。


素敵な字だった。


誰かから手書きの手紙をもらうのは初めてだった。


嫌な女でもこうした御礼はできるんだなと感じたのと同時に、人に良いことをすると気持ちが良いなとも思った。


僕はスッキリした気持ちで、眠りの体制に入った。


誰かに良いことをすると、こんなにも気持ちが良いものだ。


逆に悪いことをすると、どうしてあんなにも心がぐちゃぐちゃになるのだろう。


でもこのときの僕は満足感しかなかった。


長い人生、今日くらいは気持ちよく眠れそうだ。


それくらいは神様も許してくれるだろう。


僕はふっと息を吐いて、すぐ眠りに落ちた。


明日の朝は早い。


無職の僕は働かなければいけない。


明日からたくさんの試練を受けるなら、今日くらいは幸せに寝たい。


彼女も僕の優しさという隠し味でさらに美味しくなったパンを食べろよ、と柄にもないことも思う頃には、夢も見ない深い深い眠りについていた。


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