神さまは、試練を与えたがり
僕たちは、しばし停止していた。
彼女は手から落ちた白い麦わら帽子を拾えずにいたし、僕は寝起きで横になったまま、彼女が立っている古い襖を眺めていた。
その内、バンッと強い音が最初にして、何かと思えば彼女は勢いよくその古い襖を閉めた。
その直後、どしどしと勢いよく階段を降りる音がして、すぐしたの民宿の店主に大声で話しかけているのまでは、部屋の中にいながらにして感じ取ることができた。
さらに言えば、彼女が店主に大声で怒鳴っている内容も漏れなく聞き取ることができた。
「同室の人ってあのひとなんですか、なんでなんですか。部屋、変えてくれませんか。それか、あの人を別の部屋にしてもらえませんか。同じ部屋なんて嫌です。私女だし、男の人と一緒の部屋なんて物騒ですよね。何かあったら警察がきますし、この宿も営業できなくなりますよね。困りますよね。早く部屋を変えてもらうか、あの人を追い出すとかしてくれますか」
初対面の人物をここまで毛嫌いするのも珍しい話だなと思った。
それか、重度の”坊主恐怖症”か何かだろうか。
確かに彼女の言い分も一理ある。
彼女はどうみても高校生くらいだし、僕は社会人で、同じ部屋にこうして男女を泊まらせるのは世間体にも良くない。
僕は自分の坊主頭を何度か掻いて、寝起きでまた完全に動かない重い体を起こして、そのいざこざの中に向かうことにした。
このままでは店主が一方的に可哀想である。
彼女が怒っている原因は僕にあるのだから。
僕は、先ほど彼女が勢いよく閉めたおかげで少しだけ立て付けが悪くなった襖を開けて、静かに階段を降りて行った。
彼女はまだ怒っていた。
何をそんなに怒っているのが、逆に気になって、あとから聞いてみたいものだが、今はいきなり鬼の剣幕で怒られているこの民宿の店主が不便でならないので、そこから手をつけなければいけないだろう。
僕が静かに階段を降りていても、嫌でも視界に入るので、彼女は僕の姿が目に入るや否やすぐに距離を取って、後方の玄関に後退りした。
「なによ」とは言われなかったが、まさにそんなことを言いそうな顔をしていた。
民宿の店主は、「助かった」という顔をしていて、見るからに僕に助けを求めている風だった。
「すみません、僕の何かが気に触ったようで。部屋が別が良いと言うのであれば、僕は部屋からでます。その代わり、ここの玄関で寝ても良いですか。さすがにもうお金は払っているので、外では寝たくないし、蚊にも刺されそうだし、不審者扱いをされて警察に連れて行かれそうだ。君には二度と近づかないし、話もしない。だから命だけでも見逃しくれないか」
途中まで彼女は僕の話をうんうんとすごい剣幕の顔ではあるが聞いていたものの、最後の一言が気に入らなかったのか、また怒りを顕にした。
「命を逃して欲しいなんて、そんな偉そうな」
小さい声だったが、握られた両手はわなわなと小刻みに震えていたし、眉間のシワはかなり深さを増していた。
彼女はなぜこんなにも怒っているのだろうか。
「すまない。僕のことが本当に嫌なのは分かった。僕は明日の朝早くここを出ていく。もう今は午後の16時だから、ちょうと12時間後にはこの民宿を出ていくことを約束しよう。それまでは、僕は玄関にいて、この民宿の店主に見張っていてもらう。二階には一切上がらない。これで気を収めてくれないか」
僕もなんだか彼女を宥めるのに必死になっていた。
脇で店主が申し訳なさそうに困った顔をしているし、もうどうすれば良いのか僕には分からない。
「それで、いいですか」
何も言わない彼女だったので、僕は店主に同意を求めるしかなかった。
「あ、ああ。いいよ、いいともよ。ワシが見ておるから、安心して二階で寝てくだされ」
店主の声で、ようやく彼女の怒りは収まったようで、硬く握られた手は解かれ、「ふん」と言いながら僕の脇を颯爽と駆け抜けていった。
「ふう」
と僕と店主は肩に入っていた力を抜いて、一息ついた。
「すみません。巻き込んでしまって。でも嘘はつきません。泊まらせてくれるだけでありがたいです」
「いや、いいよ。むしろ玄関で寝られるとこっちも宿代は貰いにくいから、返すね」
店主はそう言って、レジをがさごとといじりだしたが、「いえ、お気持ちです。騒いでしまったお詫びです」と言って断った。
「すまないね」と店主はお礼を言って、「ちなみに二人は知り合いか何かなのか?」と聞かれた。
「いいえ、全く」と僕は困った顔で答えた。
「ああ。そうか。よかったらお風呂はワシらのところを使ってくれ。あの子には、客用のものを使うように言っておくから」
「ありがとうございます」
全く、なんて日だと思った。
神様は僕に試練を与えたがるのがどうやら好きなようだ。
僕は店主に頼んで、二階の部屋から玄関に布団を下ろしてきてもらって、荷物を簡単にまとめた。
さて、勢いで言ったが、こんな何もない田舎町に早朝4時に飛び出して、どこに行こうか。
僕は頭を悩ませながら、慣れない坊主頭を仕方なく掻いた。