憧れと現実とギャップとナイフ
正直、白澤さんの友達に会うのは億劫だった。
しかし、これも僕の社会復帰の一貫だと考えれば良いリハビリだった。
白澤さんとの偽恋人の関係が終われば、2度と会うことはない。
僕はどこかの有名な俳優になった気分で大学に行くことを楽しみにしていた。
高校を卒業したあとは、就職という選択肢をとったが、もしかすると僕も憧れのキャンパスライフを送っていたのかもしれない。
今日は夜からまた仕事なので、あまり無理をせずにごはんを食べたら仮眠をとって仕事にいこう。
待ち合わせの時間までそわそわしながら過ごした。
まるで遊園地に行く子供のように、僕の心は高鳴っていた。
11時30分過ぎに、白澤さんから連絡があって、僕は大学へと向かった。
合鍵がすっかり手に馴染んで、嫌々始めた同棲生活も板についてきた。
日の光が燦々と注ぐ日中は、夜型生活の僕にとってはとても眩しすぎてなれるのに時間がかかった。
コウモリが洞窟の奥で息を潜めて夜を待つ意味かなんとなく分かった。
白澤さんのアパートから大学までは徒歩10分という好立地だった。
白澤さんのお父さんは何度か会ったことがあるが心配性で、娘思いの優しい人だった。
アパートは家賃58,000円で、大学生が一人で住むにはやや相場として高そうだが、いまは二人で折半なので比較的安く押さえられていると思う。
もちろん、結婚前の、それに交際していない男女が同棲していることは家族には内緒だ。
大学までの道ですれ違うのは、子連れの母や買い物帰りの老夫婦など、僕が普段見ることもない人々ばかりだ。
白澤さんのアパートは僕の勤務先にも近く、電車代が要らないので、その分食費を多く入れている。
なんだかんだ、僕は今の生活に満足をし始めていた。
大学は僕の想像以上に輝いた場所だった。
雑誌からそのまま抜け出してきたかのようなお洒落な服に身を包んだ人々が僕の目の前を優雅に通りすぎてきた。
全員が芸能人かモデルかと思うほど、顔面偏差値も高く、僕がいかに場違いな存在かというのを思い知らされていた。
黒のTシャツに履きつぶしたスニーカー、カーキのハーフパンツという出で立ちは、この大学には相応しくない。
さっきまでの受かれた気分とは裏腹に僕は気分を底まで落として、白澤さんとの待ち合わせ場所に向かった。
「桶谷さーん」
人混みの中から僕を呼ぶ声がする。
待ち合わせ場所の学食には、昼時ということもあり、人がごった返していた。
学食の椅子の数と生徒の数が明らかに合っていないくらいに人が溢れている。
「白澤さん」
僕は学食の入口の前で手を振る彼女を見つけた。
人がごまんといるこの大学の中でも白澤さんはとびきり輝いていた。
道行く人が彼女に視線を送り、振り返り、白澤美並という美女を見て、目から栄養補給をしている。
「席とってあるから安心して。桶谷さんは学食初めてだと思うから私と一緒に買いにいこう。二人は先に食べてて」
二人と、紹介されたのは白澤さんには及ばないが美しい身なりをした女性だった。
後からお互いに自己紹介をしたが、一人は明るい茶色の髪を優雅に巻いていて、デニム生地のショートパンツに白のブラウスを爽やかに羽織ったスタイルだった。
彼女はハルと名乗った。
見た目はギャルなのだが、話すとしっかりしていて、賢い印象を会話の節々で感じた。
もう一人はマイカと言って、背が低めなのだが、とてもスポーティーで活発な印象だ。
マイカはエスニック風のオレンジ色に原色を散りばめた色を見事に着こなしていた。
自分には絶対できないが、色が限りなく白に近い金髪をソバージュにした髪もよくにあっている。
白澤さんは、水色の膝竹ワンピースを風に揺るがせていた。
ノースリーブから見える白澤さんの脇がとても色っぽく、僕はこの人をこの手で抱いたのだと思うと、昼から性欲がむくむくと沸き立つのを感じた。
あの日以来、偽の恋人ということもあり、僕たちはそうしたからだの関係を持ってはない。
ただ、布団がひとつしかないこともあり、たまに二人でひとつのベッドに寝るくらいだ。
それも本当にたまにあるくらいで、お互いに活動する時間が違うので、基本的にはバラバラに寝ている。
活動時間がばらばらなのを良いことに、僕はそうした男なら必要である性的な処理を気兼ねなくできている。
僕はもう誰も抱かない。
自分の性くらいは自分で片付けたい。
白澤さんにおすすめしてもらった学食の焼きカレーは600円という安さにも関わらず、たっぷりとチーズとカレーが乗ったボリューミーな一品だった。
上に粉チーズがかけられ、その奥にはなんと玉子が隠れている。
学食は、食べ盛りの学生には最高な場所だ。
僕はハルやマイカ、白澤さんとの会話も忘れ、当初の目的である交流そっちのけで、目の前の焼きカレーに食らいついた。
「よく食べるね、桶谷さん」
「桶谷さんって俳優のあの人に似てない?最近ドラマで主演やってたひと…名前忘れちゃった」
「あー、分かる!雰囲気あるよね。髪型とか変えたらもっと良いと思う」
僕がいなくても三人の会話は充分に成り立っているようだった。
僕は顔があまり見えないように前髪を伸ばして、さらにはだて眼鏡をかけている。
夏場はマスクをしているのだが、今日は人に会うと分かっていたので、だて眼鏡だけにした。
「美並の恋人か~。優しそうなひとでほんとによかったよ」
「元サヤなんだって?もう運命みたい」
ハルとマイカは二人で盛り上がっていた。
「えへへ。皆に紹介できてよかったよ」
白澤さんは遠回しに話題をそらしながら会話に入っている。
「いつも白澤さんと仲良くしてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします」
僕も気を利かせて、恋人らしいことを言ってみた。
「桶谷さんってやり手だよね。知ってる?美並ね、一年生の時ミスキャンで圧勝したんだよ。一年生でのグランプリってなくて、殿堂入りしちゃって、今年はもう参加できないんだよね」
「そうなの?知らなかった」
白澤さんがミスコンだろうがそうでなかろうがどちらでもよかったが、改めて僕には不釣り合いな高嶺の花なのだと感じた。
「桶谷さん、どうやって美並のこと落としたの?」
「昔話に花が咲いただけだよ」
この話は事前に白澤さんと打ち合わせをしていた。
気分は完全には乗っていなかったが、ひとつ経験として僕も大学生活を送れていたことは、良い経験だった。
この張りぼてだらけの関係も終わりがある。
それまでは、楽しんでもバチはあたらないだろう。
「美並?」
頭上から野太い声が槍のように振ってきた。
聞き覚えのあるこの低い声は、紛れもない。
「…明さん。何?」
白澤さんの声も急に曇る。
「…“彼氏”と一緒か」
いつかは来るとは思っていたが、まさかこのタイミングとは。
白澤さんの元恋人であり、ストーカーであり、ナイフで人を脅すこの人から白澤さんを守らなければいけない。
昼時に賑わいを増す学食の一角で、氷のように冷たい雰囲気を感じ始めた5人がいた。
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