◇参◇(終)
4/13更新です
その日はもう暗かったので、明日街を案内してもらえることになった。三日もこの世界のものを食べていれば人間の匂いは消えるらしく、三日後から街を歩き回って良いとのこと。
ちなみに、明日は人間と悟らせない妖術をかけもらい、外にでると聞いた。
やっぱり未知の世界というものはちょっと怖いけれど、彼が大丈夫というのならきっと心配することなどないのだろう。今は街へ行けることが待ち遠しくすらある。
そういえば、妖の世界にも仕事という概念があるらしく、幽世に住まう妖は何かしら役割や仕事をしているのだとか。付喪神は仕事という仕事をする類ではないようだけど、他の妖は趣味でお店をやったり、現世へ行って各々の役割を果たすらしい。
溯雨さんのやっていることは聞きそびれたけれど、彼も何かやっているのか『偶に家を空けますが、気にせずくつろいでください』と言われた。
しかしそうはいっても、私も何かやらなきゃという思いに駆られるので、ここでやれる手仕事か何か……溯雨さんのお手伝いでもできればなあと、ぼんやり考えている。
「そろそろ寝ようかな」
私の為にとあてがわれた部屋で、いそいそと布団を敷く。
この部屋には小さな机とランプ、座布団が一セットあり、あとは衣装箪笥が二つ設置してあった。
家主の彼曰くすべて自由に使ってよいとのことだったが、衣装箪笥に入っている四季折々の刺繍が施された着物や浴衣を見たときは流石に驚いた。
全部新品で用意したから安心してほしいと満面の笑みでそう言われたが、彼はやはり何かずれているのではないだろうか。一体総額いくらするのだろう……。
それに窓からはよく月が見える。見知った光が夜を照らしていれば少しは不安も薄れようという、彼なりの気遣いらしい。
本当にお世話になってばかりだ。さっきの仕事の件でも、なんでもいいから彼の力になりたい。
現世に戻りたくはないが、戻らなければならなくなった時が来たとき、あの美しい妖とその後も会える保証はない。二度と会えなくなる時までに、私は彼に恩をできるだけ返さねばなるまい。
「水泉さん、起きていますか」
襖の向かい側から声が聞こえた。紛れもなく、今の今まで思いを馳せていたその彼の声。ずっと考えていた相手がすぐそばにいるというのは少し気恥ずかしい。
「はい。どうかしましたか?」
私は至って冷静に返事をする。
それにしても、この部屋には時計がないからわからないが、もう夜も遅いはずなのにどうしたのだろうか。
「よかった。実は明日の早朝、急用で出なくてはならなくなりました。お約束していた街の案内ですが、明後日でもよいでしょうか」
顔は見えないけれど、申し訳なさそうなその声色から表情が伺える。
「もちろん。私より用事を優先してください」
「ありがとうございます。朝餉は用意していきますが、昼餉は家のものを適当に食べていただけませんか?本当に申し訳ありません」
早朝から用事だというのに、それでも私の朝ごはんを用意していこうとしていることが少し可笑しい。
「気を遣っていただかなくて大丈夫ですから」
「いえ、三食昼寝付きと申し上げたのは私ですからね。……さて明日は日中私の家で過ごしていただきますが、一点気を付けていただきたいことがあります」
急にぴりりと空気が張りつめたような緊張感が走る。真剣な声に、思わず唾を飲む。
「この家には裏口があります。そちらから庭に出ることができるのですが、庭の隅にある柵を越してはなりません。そして当然ながら玄関からも出てはなりません。私が不在の際は、貴女はこの家に守られることになりますから、家の敷地外へでてしまうと、たちまちほかの妖に見つけられてしまうことでしょう」
早速忘れかけていた。幽世で人間が生きていくのは危険だということ。今度は忘れないように、しっかりと彼の言葉を反芻した。
「胸にとめておきます」
「ふふ、仰々しく申し上げましたが、あまり気負うことはありません。普通にこの家で過ごしてくだされば結構ですから。では、おやすみなさい。良い夢を」
規則正しい足音と衣擦れの音が遠ざかっていくと同時に、私の眠気もピークだったらしく、意識が遠のいていった。
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次回から肆に突入です。引き続きおつきあいいただければと思います。