◇弐◇(終)
4/12更新しました
それから、分厚めの羽織を着せてもらって、後をついていった。
しかしなんとなく道中に違和感があるのは何故だろう。誰もいないから……?
それに、建ち並ぶ家屋も現代じゃ見かけないような純和風の木造建築の平屋ばかり。
歩いていく中で見たのはすべて平屋、二階建てだったのは溯雨さんの家くらいだ。アスファルトで舗装もされていないし。
眉にしわを寄せて首をかしげていると、つきましたよ、と溯雨さんが私の手を取った。
そこには人が一人通れるくらいの大きさしかない小さな鳥居。その先は神社でもなく、狭い路地になっているようだが、不自然に先が見えない。
「さあ。水泉さんがここを通ることができれば、お礼は結構です。そのままお帰りください」
「戻れるとか戻れないとか、通ることが‘できれば’とか、どういうことですか?この鳥居の向こうには何があるんですか?」
塗装もしていない、ただ組んだだけの木製の鳥居を指す。
鳥居の向こうの暗闇を見つめれば見つめるほど不安を覚える。ここをひとりでいけというのだろうか。さっきからこの人の行っていることが分からない。
「今はわからないと思いますが、もし貴女がこの鳥居を通れたならば、その説明も不要になります。通れなかった場合は私溯雨から責任をもってご説明させていただきますから」
「……今は説明してもらえないんですね。わかりました。真っ暗で先が見えないようですが、この先に行ったら私の知っているところにでるんですか?」
「ええ、もちろん。では、行ってらっしゃい」
大きな片手で優しく背中を押される。
暗闇に進むと、不思議なことに目が慣れるよりも先に足元が見えた。前は何も見えないので、ひたすら下を向いて進んでいく。
彼は通れないこともあるみたいな言い方をしていたが、まったく抵抗なく通れたし、何のことを言いたかったのだろう。考えても考えても、私の中に堪えは浮かばない。
それにしたって、帰ったらどうしよう。風俗店の特性上うちには来ないだろうけれど、もうあそこで働きたくないし……。それに二日間帰らなかったことをなんと親に説明すればいいのだろう。
まさか『風俗嬢やってたけど嫌になって逃げだした先で知らない男性に拾われて、二日間看病されてました』なんていうわけにもいかない。
私のためにと、いつもしてくれる両親。正義感が強くて、私が尊敬している両親。けれど、良かれと思ってしてくれたことでも、私の『今』に直結することを無理強いした二人には少なからず恨みもある。
そんな彼らのもとに帰れば、正義感が強いが故に今回のことは強く詰られることだろう。
……そう思うと帰りたくない。もう成人もしているのに、子供のように駄々をこねたくもなる。
お金はどうしよう。どうせどこで働いたって足りないし、また違う風俗店にでも行く羽目になるのかな。もう嫌だな……。
目が慣れても一向に見えない道の先に気持ち悪さを感じつつも、私はひたすら前に進んだ。心はずっと後ずさりをして、行きたくないと叫んでいるというのに。
ふっと視界に光が宿る。
やっとこの暗闇から解放される。そんな安堵感とは裏腹に、何とかして溯雨さんのところへおいてもらえばよかった。すべてを投げ出せばよかったとも思う。
この先に希望なんてなくて、あるのは不安と絶望だけ。
あと何年同じ暮らしを続ければいいの。趣味の一つもやる気が起きなくて、ストレスを発散するだけの買い物ができるお金もない。
ただ借金を返すためだけに生きているような私は、誰かにとって意味のある存在なのだろうか。
光が差し込んでいるところには、行きと同じく鳥居がある。眩しすぎるというわけでもないのに、光の先が見えないけれど、何にせよここを出ればまた私は死んだように生きるのだろうな……。
最後の一歩を踏み出す。
やっと見えた景色、しとしとと小雨が降り始めたのか地面が濡れている。ぬかるんだ土にうっかり足を取られてしまい、体勢が崩れた。
ああ、こけてしまう……。
「はい、お帰りなさい」
結果からいうと私は倒れなかった。受け止めてくれた人がいたから。それは――――。
「溯雨……さん?」
変だ。私は彼に言われ、彼を置いて先へ進んだはずなのに今私を受け止めているのは、間違いなく溯雨さんその人。
でも、今は両親や風俗店の人たちのいる場所に戻っていないということに心底安心した。きっと両親は心配しているだろうに、私はどうしようもない娘だ。
「ええ、私ですよ。やっぱり通れませんでしたね。とはいえ、水泉さんが‘真っ暗で先が見えない’といった時からわかっていましたが」
ほらね、と言うように眉を下げて微笑む彼の体温に、今の私がどれだけ救われているか。きっと彼は知らないだろう。
気になることはたくさんあるけれど、今は『帰れなかった』……いや、『帰らずに済んだ』ということだけで私の頭はいっぱいだ。
「では我が家へ帰りましょう。あの鳥居のこと、この場所のこと、そして私のこと。可能な限りご説明いたします」
私は黙ってひとつ、頷く。
いつの間にか彼が手にしていた和傘の下に入り、雨音に耳を澄ませながら彼の家へ急いだ。
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