ホワイトブレイクダウン 前編
掌編です
豪雨の勢いは止むことなく、むしろ激しさを増している。曇天から落ちてくる水はもはや雨と形容するのがおかしいほど、狂ったように落ちてくる。
「主任! もう限界ですよ。田上ダムに放流要請を出しましょう。こんな状態でいまだに連絡がないなんてどう考えてもおかしい」
水門技師、水野は堪りかねて現場主任の安藤に訴えた。落ち着きが無いため多少、詰問調になってしまったが、なりふり構っていられない。が、主任の安藤はことここに至ってまだ、煮え切らない態度を取る。普段から昼安藤などと揶揄されるほどの事なかれ主義者だが、こんな非常時にまで、不自然なほどの反応の遅さだった。
「あ〜……君の主張ももっともだがね、ほら、田上ダムは域内の水瓶でもあるわけだし、ウチとは事情が違うんだよ。それにこんな勢いの雨、いつまでも続くもんじゃあるまい。もうしばらく経過を見ようじゃないか」
そんな事情は分かり過ぎるほど分かっている。それでもなお危険水域に達しているのは火を見るより明らかだった。周りの職員もほぼ水野と同意見らしく、目で安藤に訴える。
「それにだ、こちらから放流要請を出したところで向こうが聞く耳を持ってくれなきゃそれまでじゃないかね。なにしろアッチは防災省から出向したお歴々が決定権を持ってるんだから。ここはお互いが連携を取り合ってだね……」
「だったら! 向こうから連絡が来る前にこちらだけでも放流を開始しましょう! それで最悪の事態は免れるはずです!」
「おいおい、最悪の事態って、君は何をもってそんなことを言ってるのかね? それは君ぃ、ダムの管理職員が口にしてはいかんことだよ。だいたい、そんなことをウチが勝手にやって、誰が責任を取れというのかね?」
安藤がのらりくらりと言を左右に振る間にも、窓の向こうの雨は白いカーテンのように視界を塞ぎ、それでもここ、田野中ダムの水位は危険な位置まで差し掛かっているのが分かる。制御室の各メーターもほぼ、危険な警告色のランプが点灯している。水野も覚悟を決めた。
「分かりました。私が全ての責任を負います。先走って放流して、それでダムの水がなくなって、向こうからも責任を問われたら私の一存ということにして頂いて結構です」
もちろん、責任を負うと言っても技師ひとりの裁量でどうにかできるわけでもないことは分かっている。しかし、自分が進退でも賭けて事態を少しでも動かせれば、という思いがつい口を突いた。周りの職員も同意の頷きをする。
「おいおい、困ることを言うもんじゃないよ。職員ひとりが責任取るって、どうやって取るつもりなのかね? 君は正義のヒーローでも気取っているつもりかもしれんが、そんなスタンドプレーは現場を混乱させるだけだよ。少し落ち着き給え。冷静になって経過を見れば案外どうということもなかった、なんてことはザラにあるんだ。焦りは禁物だよ」
制御室内は異様な息苦しさに包まれる。窓の向こうの雨は一向に衰える気配はない。むしろ腹に響くような不気味な雨音の勢いが増してゆく。




