文章
文章の良し悪しなんてすぐ分かる。1ページ読むのも億劫。逆に気が付いたら2、3ページいつの間にか読んでいた。それで判断すればいい。
こんなコメントを読んだのがいつどこで誰のものかはよく憶えていません。いや、もしかすると自分の脳内妄想なのかもしれません。その前提はさておき、あえて個人的な注釈を付け加えるならば、その文章が読者のフィーリングに合うか合わないか、ってことなんでしょうな。
語彙、表現、リズム等々、それらが特定の読者の好みと合った時、その文章は読み手の意識に心地よく入ってくるってことなのでしょう。その内容がたとえ好みでなくっても。危険な思想であったとしても。作り手と作品は別物ですから。自分もつい最近、このサイトでまさにそんな体験をしました。これも小説投稿サイトの大きな魅力でしょう。
まあその体験は超個人的なものなので自分の胸にしまっておくとして、自分の若かりし頃の文章の師とも言えるべき人を思い出したので、ここではそれを語りたいと思います。とはいえ、師といっても見ず知らずの赤の他人です。早い話が購読してたサブカル誌のライターさんです。もっと言えばゲームのレビュー記事的なものを書いておられた人です。
今さら言うまでもありませんが雑誌のライターは大抵4〜5人います。時間か予算の関係かは知りませんが編集さんが書くこともたまにあったようです。編集部の修羅場が窺えます。閑話休題。
で、たいていの記事には奥付けっていうんですかね? よく知らないのですがライターの名が記されてるので誰が書いたのか一目瞭然です。もちろん、そのテの雑誌はペンネームで本名名乗る人などまずいません。それでも何でも名前を記すってことは書いた文章に責任持つってことです。書いたライターさんたちは誌面で戦ってたのかもしれませんね。コイツより俺の方が読者を惹きつける記事が書ける! なんてね。
そんな中でも特に自分が惹かれたのが前述した、勝手に師と仰ぐライター氏なのです。何に惹かれたかははっきり言えません。好みに合ったとしか言えないでしょう。ときに笑えたり、ゲームと全然関係ない、表現者が守るべき心得のようなものもまま見られたので、物を書く仕事にプライドを持っておられる方なのだなと思いました。もしかするとゲームライターという仕事も本意ではなかったのかもしれません。それでも手抜きは許さぬという気概のようなものは文面の端々に出てくるものです。そういう部分にも強く惹かれたのを憶えてます。それがゲームライターの資質としてどうだったかは自分には分かりません。が、自分は最新号を購入する度、ゲーム内容そっちのけでそのライター氏の記事を追っていたものです。そんなこと考えてるうち、自分はここである恐ろしい事実に気付いてしまいました。
フィーリングか好みか分かりませんが、文章が特定の読者とマッチングしてしまえば、行間ににじみ出る書き手のモチベは間違いなく読んだ人に伝わってしまうってことです。手を抜いたり、やる気が無かったりすればそれは間違いなく見抜かれてしまうってことです。こんな恐ろしいことがあるでしょうか!
自分だって過去作改めて読んでみるとかなり無理してるのが分かります。あんまり真面目に書いてないのも分かります。なにしろ書いた本人ですから。自分の拙い文章とフィーリングの合う人がいるかは分かりません。が、もしいた場合、それは間違いなく看破されるってことです。その場合、自分に逃げ道はありません。甘えてましたと頭を下げる他ないのです。
あのライター氏の記事に手抜きだと感じた仕事は自分が知る限りひとつとしてありませんでした。それでお給料貰ってるんだからそりゃ当然なのでしょう。でも、その当然を維持するのがどれほどの難事なのか、自分はいままでよく考えずに適当に物を書いていた気がします。
ペンネームとはいえ、名前を添えた文章を世に出すっていうのはそういうことなんだなって、改めて感じた次第であります。




