インチキビブリオ その3
なんかこれではあんまりなので他の登場人物などを。
まず父親は田舎寺の住職で早死にしてしまい、この父の遺志を継いで母親に金閣の住職になれと主人公はプレッシャーをかけられます。
次いで老師こと道詮和尚。主人公の師匠筋に当たる人ですが、上っ面だけの生臭坊主。表面は真面目ぶってるけど粘着気質で主人公を疎んじますが、主人公はこの老師の二面性にどこか親近感でも抱いているようで、嫌いというわけでもなさそう。
そして寺の同輩の鶴川という聡明な若者と仲良くなります。吃音のせいで差別されてると思い込んでる主人公に分け隔てなく接してくれる鶴川に好意を抱くもちょっとした嫉妬を抱きます。が、父親の葬儀に出席し、そのまま事故に遭って死んでしまいます。
次いで知り合うのが柏木という問題児。内翻足という、足に障害があるということで主人公はこちらに親近感を抱くのですが、やや性格に問題あり。足の障害を利用すればすぐに女を抱けるとかアドバイスするどうしようもない奴です。でも実際に抱かれる女がいるんだからどうしようもありません。なんだかなあ。
ちなみに鶴川は主人公に柏木とは付き合うなと忠告はするものの、後に鶴川は柏木に個人的な悩みを相談していた事実を柏木に鶴川の手紙を見せられることによって知らされ、多少の疎外感を覚えます。さらに柏木は鶴川は自殺したっぽい旨を告げます。これも放火の伏線にはなってるようですが、決定的な動機というわけでもなさそうです。
結局のところこの作品読んで主人公が金閣に放火した理由は自分の脳ミソでは理解できませんでした。まあ金閣に実際に放火するような奴の心情を文学的に美しく描かれても抽象的な表現に終始して自分みたいな読書力に欠けるような奴には到底理解はできないってことなんでしょう。
恐らく三島は金閣ほどの文化財がしょうもない犯人によって燃やされたという事実が受け入れられなかったのではないでしょうか。そこで自身の文学として昇華させることによって、そこに救いを求めたとも考えられます。
でもそもそも金閣に放火するような奴がそれほど高尚な意識持ってるとは思えません。それを文学にしてしまおうとするとやっぱり凡人には理解不能なものにならざるを得ないんではないでしょうか。いや、理解不能なのは自分がバカなだけなのでビブリオな人がこんな感想読んだら失笑すること請け合いです。でもしょうがありません。実際バカだから理解できないんだもん。これを理解したフリして「作者の心情を仮託された主人公の鬱屈した想いが叙情的に美しく描かれ……」なんて書評、やろうと思えばできなくもないけどそんなことはやりたくありません。
ただひとつ言えるのは三島作品をろくすっぽ読みもせず三島ファンを標榜しなくて本当によかった、ってことです。金閣寺読了した今、ファンとは言わないまでも、三島マニアとか自分で言っちゃってたらものすごく恥ずかしいです。たしかに三島の最期は劇場と呼ばれるほどドラマティックではあるけども、作品読んだら相当ヘンな小説家です。ま、そこらへんが天才とか言われる所以なのかな。少なくとも自分のような凡人には理解できないっす。短編数本と長編一本読んだ程度でそこまで判断するのもどうかとは思いますけど。
そういえば二・二六事件を題材にしたらしい憂國って短編もあるけど、それも読まんといかんのかなあ……金閣寺みたいな感じで展開されたらちょっと嫌だぞ。




