独裁国家
掌編小説ですからね。
その国は民主主義国家だった。国際的にも高度に民主主義を実現した先進国として認知されていた。
しかし権力は腐敗するの格言が示すとおり、その国の民主主義もまた落果のごとく倦み、腐敗していた。
政治家、官僚は上は末端に至るまで保身と蓄財、権力の維持と増大に腐心し国民を顧みず、国政も外交も大国に阿り、マスメディアは政権に阿り、国民は税の財源と化していた。
政治の世界は高齢者が多数を占め、縁故と世襲が蔓延し、政治家、公務員の待遇ばかりが篤くされ、一般国民との格差は中世を想起させるほど拡大していた。誰もが疑問を抱いていたが、政府は年月をかけ、巧妙に権力を集中させていたため、おかしいとは思っていてもそこに異議を唱えることさえできなくなっていた。
高齢の政治家は間接税の増税に腐心し身内の登用に権力を濫用し、国難とも言えるほどの感染症に対しても有効な対策を打つどころか小手先の人気取りに終始し、自身らはステーキ会食をするという有り様だった。爛熟しきった果実といえた。自浄を期待する者さえおらず、国民の大多数が諦観していた。
そこに異議を唱える者が現れた。この国は民主主義国家などではない。これでは独裁ではないか、と。
立ち上がったのは若手議員のホープだった。容姿もよく、話術にも長けていたため国民の人気は非常に高く、次期総理との期待を一身に集める政治家だった。その若手政治家が国政を握る老人たちに舌鋒鋭く詰め寄ったのだから国民は熱狂し、彼を支持した。
彼はまず現政権の批判、それによる権力の移譲を訴えた。この国難を乗り切るには国政を一新する他はない、と。誰もがそう感じていたことを堂々と言ってのけた。次いで権力を握る老人たちの今までの失態と危機管理能力のなさを徹底的に追求した。不満を募らせた国民も一斉に同調した。
マスメディアも国民も権力者の不正と失策をあげつらいシュプレヒコールをあげる。独裁を許すな、民主主義を取り戻せと。ときに権力者の人格攻撃の様相をも呈しはじめた。彼らはそうされても仕方のないことを今までやってきたし、それをおかしいなどと疑問に感じる者もいない。熱病のように公衆リンチが罷り通り、一種の娯楽ですらあった。誰も彼もが正義は我にありを唱えた。
ついに老人らは国民の声に圧される形で権力を手放し、間接税の減税、国民生活と景気の向上など、ありきたりなポピュリズムを掲げた若手議員に権力を渡した。そしてそのポピュリズム政策は実行されていった。その一方で新たなリーダーは自身の権力集中を巧妙に行い、憲法を改正、国民の知る権利や表現の自由、マスメディアさえ支配下に置くことにも成功。自身の権力を揺るぎないものにしていった。それはいままでの老人たちが築いてきたシステムの改訂版ともいえた。それが今までできなかったのは国民の支持が低かったからに他ならない。新たなリーダーもまた、2世、3世に渡る世襲政治家である事実など多くの国民が忘れていた。
程なくしてその国家は民主主義の皮を被った独裁国家となった。新たな時代の独裁国家のモデルケースでもあった。世界に先駆けて新たな独裁を成し得たそのリーダーを、多くの国民が熱狂的に支持した。
公衆リンチが罷り通るとき、自身もまた熱病に罹患してはいないか、疑ってみるよう心がけたいと思います。




