毒まんじゅう
これ書いてる現在、とうとう自分の住む地域にも感染者が出たとのこと。懸念していた危惧が現実味を帯びてきました。
この調子で感染者が増えてくるといよいよ自分の職場も休業を覚悟せねばならなくなります。テレワークなどできる上等な仕事じゃありませんから。コロナのために仕事できなくなって困ってる人の気持ちも実は今までよく分かっていなかった現実にも気付かされましたよ。仕事休めるぜウェーイなんて考えてませんからね?
それはともかく、だからといって政府の張るキャンペーンが正しいとはやっぱり思えません。少し古いけど、毒まんじゅうなる言葉を思い出しました。毒まんじゅうを食えばその時は飢えをしのげた気もするけど、実は中毒性のあるまんじゅう。一個食べたが最後、延々と毒まんじゅうを食い続けなければならなくなります。ま、麻薬みたいなもんですな。
政府の張るキャンペーンも似てます。とりあえずカネをバラまいてその時はまあ息ができたような気もするけど、実際のところ根本的な解決になってないどころか、キャンペーン頼みで解決に向けた努力を怠りがちになるような気もします。
仮にこのキャンペーンで生き永らえて、コロナも無事収束したとする。それならキャンペーンは意味があったとは思います。しかし本当にそれでいいんだろうかという気も少なからずするのです。また同じような危機が起きた際、また同じ対応をするのか。
それはこのコロナ禍が収束した後で考えればいい、って考えもあるかもです。でも、今でさえそれがやれてないのに、収束した後にできるものなのかという気もします。人間喉元すぎれば嫌なことは忘れたがる生き物です。
いま現在、ワクチン開発、実用化に注目が集まっているようです。結局のところワクチン頼みのようです。いまだ権力にしがみついてる大統領も、どっかの総理もワクチンを強調してそれにスガっているような気さえします。毒まんじゅうみたいです。
でもワイドショーに出演するモノホンの識者が言うように、ワクチンは万能じゃないし、一発逆転の魔法の薬なんかじゃありません。素人だって分かることです。気休め程度に考えた方が無難なようです。
危機管理としての正しい姿勢は魔法の薬なんてものはないという前提で現実と向き合うことです。「コロナで死ぬ人より自殺者の方が多くてはいけない」なんておかしな論調もまま見受けられます。そうじゃないだろ。こんな時にまで自殺者を引き合いに出して利用するんじゃないと言いたくなります。
自殺の原因なんて人それぞれです。百歩譲ってコロナで将来を悲観して自殺する人が大多数と仮定しても論理としてはおかしい。そのコロナで悲観して自殺した人は経済的な困窮が主な理由なんかじゃなくって、全く違うベクトルの問題で自殺してるはずなのです。
国の代表が毒まんじゅうをワクチンのごとくバラまいてりゃ、そりゃ誰だって将来に悲観したくもなりますよ。