文学
昼寝から目がさめてたまたまテレビつけると三島由紀夫、川端康成の番組やってたのでこれ幸いにと視聴。いや、どっちの作品も一度たりとて読んだこともないんですけどね。
なんか最近名前を聞くと思ったら来年は三島没後50周年らしい。(2019年10月現在)てことは今生きてたら90ウン才ってとこか。自分の親より年上だったんだ……
若い頃はそれなりにトンがってたので頭のイカれた文学青年ぶりたがる時期もご多分に漏れずあったのですよ。三島とかキューブリックなどは格好の題材でしょう。このへんの名前を挙げときゃちょっとそれっぽく見えるという程度の話。実際に作品や人物に深く傾倒してるわけでなくても。
んで、三島文学をちょっとかじってみたこともあったけど序盤の難解さでもう断念。なにが何やらサッパリ理解できず。ビブリオな人なら「三島程度で難解とか言ってたら先が思いやられる」とか鼻で笑われそうです。でも理解できないんだからしょうがない。見栄張ったって仕方ありません。実際文学なんか理解できないんだもん。
そんなもんだから川端なんかもっと無理。積極的に読もうという意欲すら湧いてきません。いや、文学なんて読もうと意気込んで読むものでもないんでしょうけど。
そもそも「とりあえずこれこれは読破しました」程度の自慢の種にする程度のやつに文学が理解できりゃ苦労はありません。文学理解する感性がありゃ見栄張りたいとか思わないんじゃないでしょうか。
なので、映画ならもうちょっとハードル低いかなって思いもしたけどやっぱり時計じかけのオレンジなど見てもなにが面白いのか理解できず。頭のイカれた監督が撮ったイカれた映画くらいにしか思えません。ラストのお色気シーンは食い入りましたけどね。
あ、でも2001年宇宙の旅は普通に面白いとは思ったかな。まあ内容はやっぱり理解できませんでしたが。あと序盤の20分はいらん。
ではなぜこの二人のクリエイターはイキりたがる底辺の格好のターゲットにされがちなのでしょうか? 答えは簡単。どっちもイカれてるっぽいから。
川端もノーベル賞取っちゃうくらいの天才なんだから大なり小なりイカれてるんだろうけども、少々インパクトに欠けます。そこいくと三島のイカれっぷりは分かりやすいし知名度も高い。ミーハーが食いつくのにこれ以上のクリエイターもいないでしょう。作品なんか理解できなくっても。
思うに三島ほどの天才なら天才があえてああいう行動に走るところこそ天才らしいとか考えてたとも考えられます。なんなんだ? この小学生っぽい文章。
しかしその程度の動機であんな凄惨なマネはできんよなあ。やはり天才は紙一重ってことなのか? いや、そもそも自分が三島を天才だと判断する材料ってなに? 所詮世間の評価。三島作品読んだこともないやつに天才だかどうだかなんて分かりようがない。
なんだかその程度の浅さを三島に看破されてるような気もする。「どうせお前ら俺がここまでやっても俺の文学なんて本当に理解したいとか思わないんだろ?」みたいな。ええそのとおりです。
そこまで計算していたとすりゃ間違いなく天才ですな。自身の文学が一般ピーポーに理解できないってことまで分かってたんじゃなかろうか。
そこまでの天才ならその一般ピーポーにも理解できるような娯楽作品でも書けよって言いたくなります。意味不明な熱弁を場違いな場所でぶってないで。
「俺の考えが理解できないなら俺の作品読め」ってメッセならおーし、読んだろうじゃん。って気分にはならないなあ。だってそれじゃあ三島の術中にハマったことになるもん。文学なんてそんな動機で読むもんでもないでしょ。それで読んだ、あるいは読んだフリしたがる人が大量にいるならあれこそ最高の販促パフォーマンスってことになってしまいます。個人的にはそんなプレゼン認めたくはないですねえ。
ま、どうせ読んだって凡人には理解できないだろうけどね!